●著:加地アヤメ
●イラスト:敷城こなつ
●発売元:三交社
●発行元:メディアソフト
●ISBN:978-4-8155-4045-6
●発売日:2021/2/26
お前は自分で思っているよりずっといい女だよ
秘書の世里奈は会社のCOO(最高執行責任者)の宇部にずっと片想いをしていたが相手にしてもらえない。田舎に戻る決意をし宇部と食事を共にした帰路、思い余って車をラブホテルの駐車場に入れ告白してしまう。「気持ちよくしてやるから、お前は黙って感じてろ」玉砕覚悟だったのに宇部は優しく世里奈を抱き、その後も甘く口説いてきて!?
「碇?」
私を覗うような宇部さんの声にドキッとしたそのとき。視界の左側に煌びやかなネオンと「IN」の看板が見えた。
そこはいつもだったらスルーするような場所。しかし今日に限ってなぜだかその看板に気持ちが引っ張られてしまい、気がついたらウインカーを出し、左にハンドルを切っていた。
「碇!?」
私がなにも言わずいきなり進行方向から外れたことに驚き、宇部さんが声を上げた。しかし、そのときすでに車は駐車場を矢印に沿って奥まで進んでしまっていた。
「IN」という看板の隣にでかでかと表示されているのは、休憩の金額と宿泊の金額、それとフリータイムという文字。
そう、ここはいわゆるラブホテルだった。
「……ちょ……碇。ちょっとまて……」
隣で困惑している宇部さんの声が聞こえたけど、聞こえないふりをした。
電飾に囲まれキラキラしている駐車場のどこに車を停めればいいかわからなくて、適当にその辺にあった駐車スペースに頭から突っ込んで車を停めた。シフトレバーをパーキングに入れた私は、咄嗟にハンドルに額を預け、宇部さんから顔が見えないようにする。
「……すみません。ちょっと……そこにホテルがあったので入ってしまいました」
「いや、そうじゃないだろ。なんで今までホテルにいたのにまたホテルに入ってるんだよ。しかもここラブホだぞ」
宇部さんが言うことは尤もである。
「確かにそうなんですけど……私、こういうところ来た経験がなくて……ずっと気になってたので……」
自分でも何を言ってるかよくわかっていない。
確かにずっとラブホテルというものがどういった場所なのかが気になっていた。でも、今じゃないだろ、私。
そう思っているのは宇部さんも同じようだった。背もたれに背中を預け、はあ〜と大きくため息をついている様子からして、この状況に呆れていることは間違いなさそうだった。
「碇、出よう。ここは俺たちが来るような場所じゃない」
俺たちが来るような場所ではない。
つまり、私達は恋人でもなんでもないから、そういう行為とは無関係という意味。
宇部さんが言ったことを理解した瞬間、私の中で何かがプツンと切れた。
――あっ……そうですか……
このまま気持ちを伝えずにいようと思っていたが、そんなことすらもう、どうでもよくなった。
投げやりになった私はハンドルから顔を上げ、助手席にいる宇部さんの胸ぐらを掴み強引に引き寄せた。
「なっ、いか……」
宇部さんが私の名を最後まで呼ぶ前に、私は勢いよく彼の唇に自分のそれを押しつけた。
人生で初めてのキス。ずっと前から夢見ていた、好きな人とのキス。
押しつけながら「やってしまった」と一瞬後悔が頭を掠めた。しかしどうせ会社から去るのだ。後の事など知ったこっちゃない。
だったらこれを記念として、彼への恋心に蓋をする。そのつもりで宇部さんの唇の感触をしっかり記憶しようと、全神経を集中させた。
――やわっ……やわらかい……
人の唇がこんなに柔らかいものだということを、齢二十八にして初めて知る。
長年思い続けていた人とのキスに、背中に羽が生えたようにフワフワしそうになる。
しかし残念ながら宇部さんにいきなり肩を掴まれ、べりっと剥がされてしまう。その瞬間、夢見心地だった私は現実に引き戻された。
宇部さんと私は見つめ合ったまま無言の時間を過ごす。それはほんの数秒なのに、ものすごく長く感じた。
「……お……お前、いきなりなにやってんだ」
宇部さんが言葉を絞り出す。
「なにって、キスです……」
「そんなことはわかってる。どういう意味でしたのかって聞いてる」
「どういうって……それは……」
そんなの、好きだからに決まっている。ここまできたら誤魔化しも嘘も必要ない。正直に気持ちを話してしまおうと決意した。
「申し訳ありません宇部さん。隠していましたが、私、あなたのことがずっと好きでした」
「……いか」
宇部さんがなにか言おうと口を開いたのと同時に、私は彼に向かって思いっきり頭を下げる。
「いきなりキスなんかしてお詫びのしようもございません。でも、私、これを思い出に……」
あなたのことを諦めます。そう言おうとしたら、なぜか話の途中で宇部さんがシートベルトを外した。
なにをしているのだろう。
私が神妙な顔で宇部さんの行動を目で追っていると、彼がこっちを見る。
「降りるぞ」
「え」
――それは、もしかして運転を交代する、という意味……?
もしかして怒らせてしまったのだろうか。いや、普通怒るか。なんせいきなりラブホテルに連れてこられたうえに強引にキスまでされたのだ。怒らない方が奇跡というもの。
自分でしでかして勝手に落胆した私は、大人しくシートベルトを外し車から降り、助手席側に回ろうとした。が、宇部さんは私と入れ替わりで運転席に来るわけでもなく、ただ立って私を見ている。
「……あ、あの……?」
席を入れ替わるのでは?? と指で合図した私を置き去りに、なぜか宇部さんがスタスタとホテルの入り口に向かって歩き出した。
「ほら、行くぞ。気になってたんだろ。社会勉強に付き合ってやる」
「え……い、いいのですか」
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