●著:山野辺りり
●イラスト:旭炬
●発売元:三交社
●発行元:メディアソフト
●ISBN:978-4-8155-4052-4
●発売日:2021/5/28
もう何年も前から、僕は貴女の虜だ
実家への援助と引き換えに、ワケありの伯爵と期限付きの契約結婚したプリムローズだが、相手が契約満了間近で急逝してしまう。途方に暮れる彼女の元に、夫の弟で次期伯爵のシュエットが熱烈に迫りだす。「貴女は今、欠片でも僕との未来を夢想したでしょう?」異性を苦手にするプリムローズに、煌めく男性的魅力に溢れた彼は眩しすぎて!?
呆然とした彼女は、普段の取り澄ました仮面をかなぐり捨て、とても可愛らしかった。年齢よりも幼く見え、出会った当初のことを思い出させる。
――いや、仮面と言うよりも、あれは鎧なのか?
自分の求婚に目を剥いたプリムローズの様子を思い出し、シュエットはうっそりと口角を上げた。
セルマンと結婚して以来、決して外面を崩さなかった彼女が見せた、素の表情。取り繕ったものではない、ありのままのプリムローズ。
それが、ずっと見たかった。ようやく願いが叶ったものの、その後これまで以上に険しい壁を築かれた気もするが、今はあえて考えないことにする。
――でも仕方ない。これくらい揺さ振らないと、プリムローズは絶対に僕を『一人の男』として認識などしてくれない。
最初から眼中にないのだから、多少手荒な真似をしなければ彼女の視線がこちらに流れてくることはないだろう。
プリムローズと兄が結婚し三年。
長いようで短い期間だった。いや、実際にはその前から彼女を見てきたのだから、やはり気が遠くなるほど長かったと言わざるを得ない。
シュエットにとっては、心を削られ続けるも同然の年月だった。
――兄さんの隣で微笑む貴女を、僕がどんな気持ちで見つめ続けてきたかなんて、考えたこともないだろうね。
年下の義姉に対し、苦い想いを噛み締める。
長く抑圧され拗らせた感情は、もはや綺麗なものではなくなっていた。どす黒く変貌し、凝っている。それでもやっと巡ってきた好機に、シュエットの心は躍っていた。
諦めていたものが目の前に差し出されたのだ。これは気まぐれな神がくれた最後のチャンスだろう。
――それとも悪魔が施す堕落への誘いか……
どちらにしても立ち止まる気も引き返すつもりもなかった。このまま全力で突き進むだけだ。既に、心は固まっている。
プリムローズにとって、シュエットは夫の弟に過ぎない。しかもどうやら嫌われていることは、以前から薄々感じていた。
彼女は巧みに隠しているつもりらしいが、瞳の奥に拭い去れない怯えと嫌悪がちらつくのだ。
たとえば、不意に声をかけた時。または視線が絡んだ瞬間。
触れることはなくても、プリムローズの肩が緊張で強張るのを何度も目撃した。彼女に触れるのを許されたのは、実の兄だけ。
それがどれほど妬ましく羨ましかったか、きっと誰も知らない。しかしそれでいい。
兄夫妻の間に身体の関係が介在していなかったことは知っている。けれどそれでもシュエットは、プリムローズが幸せなら、自分の想いを押しつけるべきではないという理性は辛うじて持っていた。
彼女は穏やかな目で、いつも夫を見つめていた。あれは、愛されない女の態度ではない。
そして兄もまた、プリムローズを大切にしていた。肉体関係がなくても二人の間には信頼や情があったのだと思う。
夫婦のことは互いにしか分からない――第三者でしかない自分には立ち入れない領域。
いくら身悶え渇望しても、シュエットには入り込む隙がなかった。故に、指を咥えて見守ることしかできなかったのだ。
セルマンが、不慮の事故で命を落とすまでは――
――兄さん、だけどもう貴方はいない。僕は我慢をやめます。
非道と罵られても。外道に堕ちても。本当に欲しいものに手を伸ばす。
五年前からずっと焦がれていたものに。
――昔と変わらないな、貴女は……自分のことには無頓着なのに、他者を守るためには無謀なこともする。普段は引っ込み思案の気があっても、急に強気になるところも……あの頃と同じだ。
夫に愛されなかった女として社交界で笑い者になるとちらつかせた際には動揺だけだったものが、妹の結婚について触れた途端、明らかに表情が強張った。
自分の評判に傷がつくことより家族に醜聞が波及する方が、ずっと辛いらしい。それからセルマンの名誉を守りたいのがはっきりと伝わってきた。
女として愛されていなくても、あの二人の間には強い結びつきがあったのだろう。
シュエットは鋭い痛みを胸に感じ、服の上から胸部を押さえた。
――本当なら出会ったのは、兄さんよりも僕の方が先だったのにな――
考えても詮無いこと。それなのに悔しさがいつまでも巣くっている。おそらく、三年前二人が結婚すると聞いた日からずっと。
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