●著:麻生ミカリ
●イラスト:小島ちな
●発売元:三交社
●発行元:メディアソフト
●ISBN:978-4-8155-4076-0
●発売日:2022/1/28
俺に最高にモテてる自覚ないの?
上司と部下の関係から秘密のルームシェア相手となり、ついに婚約することになった隼人と沙弥。一緒に婚約指輪を買いに行ったり、お互いの両親に挨拶にいく計画を立てたりと幸せいっぱい。「慣れないところもかわいい。だけど慣れてほしいとも思う」甘いいちゃいちゃも慣れて順風満帆に思えたが、中途採用で入ってきた新人が沙弥の中学の同級生だったことで隼人が少しヤキモチを焼いてきて―!?
大橋隼人は、リビングで恋人が戻ってくるのを待っている。
隼人の母は六十近くなっても、仕事を続けている女性だ。カウンセリング化粧品の小さな会社を経営している。若いころはメイクアップアーティストとして華やかな世界で働いていたそうで、年齢より若く美しく見られることが多い。
電話を終えるとき、母は言った。
『結婚なんて興味なさそうだったのに、隼人もまともになったのね』
――ま、たしかに。沙弥に出会ってなかったら、結婚なんて考えなかったかもしれないな。
「なー、カロちゃん」
ケージの中で元気に回し車で走るカロちゃんは、我関せずといった顔だ。まあ、ここでハムスターにうなずかれても隼人だって困る。
沙弥と住む前、隼人の部屋はなかなか壊滅的な状態だった。食事は基本外食かコンビニ弁当か冷凍食品。恋人がいた時期はあったけれど、仕事を優先するたびにケンカになり、たいていそれが理由で別れた。
『あなたはわたしより仕事が好きなんでしょ』
そう言われて、違うよと言ったことはない。隼人にとって、仕事はもっとも楽しい趣味だったからだ。
――沙弥に同じことを言われるところは想像できない。きっと、沙弥はそんなこと考えもしないんだろう。
だが、だからこそ自分が気をつけなければと隼人は思う。
彼女のことが好きだ。結婚したいと思うほど、沙弥に夢中だ。
今まで、沙弥の家事能力と優しさに甘えすぎていた面があることは自覚している。結婚となれば、今までのように食費を多めに払って済ませるわけにはいかない。彼女の負担を少しでも軽減していく必要がある。
料理は、一度チャレンジして大失敗を経験した。
だが、食器洗いなら隼人にだってできる。
風呂掃除、トイレ掃除もいけるし、洗濯もなんとかなるはずだ。
「かわいい子には旅をさせよとは言うけれど、俺は沙弥をひとりで旅に出すのはまだまだ先だな」
「……あの、どんなひとり言ですか、それ」
いつの間にリビングに戻ったのか、頬を赤らめた沙弥がこちらを見つめている。
「どんなって、別に? ただの本音だ」
「わたしは旅に出る予定はありません」
「俺と新婚旅行に行く以外はな!」
絶対、照れる。わかっていて口に出した。
沙弥の素直なところがかわいい。まじめなところが愛しい。隼人の言葉に一喜一憂する姿を見ると、抱きしめたくてたまらなくなる。
「……それは、いずれということで……っ」
予想通り、彼女はいっそう顔を赤らめた。
「沙弥、おいで」
ソファに座り、手招きする。沙弥が妙に緊張した足取りで近づいてきた。
――緊張しやすいところもかわいいな。
ぽすん、とクッションを抱きしめて、彼女が隣に腰を下ろす。
「実家に電話した?」
「はい。一応、最速だと来週末があいてるみたいです。あとは再来週の土曜と、来月だと――」
「来週末、土日どっち?」
「どちらも予定はないと言ってました」
「じゃあ、日曜の午後に伺おうか。さっき調べたんだけど、訪問の時間帯は十四時から十六時ごろがいいらしい。食事時にかからないようにってことだろうな」
善は急げだ。隼人は早速カレンダーアプリを開いて、『沙弥実家訪問』と入力する。
「あの……っ」
「うん?」
結婚に向けて一直線な隼人と違い、沙弥には戸惑いがありそうだ。わかっているからこそ、少し早足で物事を進めようとしている。
――沙弥が、やっぱり今は無理なんて言い出さないように。俺はずるいな。
努力家で、要領は悪いけれどまじめな沙弥。
放っておいたら、仕事関連で悪い虫がつく可能性もある。
それを許せないから、結婚したいという気持ちがあるのは否定できなかった。
――やっぱり結婚は早いって、言い出すんだろうか。
もし沙弥が本気でそう言ったとしたら、隼人としては待つしかない。彼女の気が変わるよう全力は尽くすが、それでも沙弥の気持ちを無視して結婚を押し切るつもりはなかった。
「な、なんておっしゃってました?」
しかし、沙弥の口から出たのは隼人の想像とはまったく違うことだ。
「誰が?」
「主任のお母さまですよ! わたしたち、結婚前から一緒に住んでるって、ちょっと感じ悪いんじゃないかと……」
「……ああ、そこは言ってなかったな」
「えっ」
「え、言わないとまずかったか!?」
沙弥がふるふると首を横に振る。やわらかな髪が揺れて、小型犬のようだった。
「気になってたんです。結婚前から一緒に住んでるだなんて、だらしない子だと思われるんじゃないかと!」
――なるほど、そういうことか。
「うちの母は女性向けの仕事をしているから、そのあたりは比較的柔軟な考えを持ってると思う。沙弥のほうは? 俺と住んでるって言ったのか?」
「言ったというか、結婚を前提につきあっている相手がいると言った時点で、母が察してしまいました」
彼女が気にするということは、沙弥の母親は同棲を不快に思っているのだろうか。
「もともと、いろいろ話してたんです。なっちゃん――あ、従姉の奈月の家に住むことになったけど、上司とルームシェアで驚いたとか、会社で困ったことがあったときに主任が助けてくれたとか……」
知らぬ間に、彼女と彼女の家族の間で自分のことが話題になっていた。
その事実に、なんだかこそばゆいものがある。
「なので、一緒に住んでる男性がいるのにほかの男性とつきあってるはずがない、と言われて」
「あー、そっか。沙弥の性格なら、それはないな」
「……わたしがヘンみたいな言い方ですね」
「まじめってことだ。そこもかわいいよ」
細い体を抱き寄せると、沙弥がこちらの肩に顎をのせてくる。その所作が、さらにかわいらしいことに彼女はきっと気づいていない。
「隼人さん」
「うん?」
「母が、楽しみだって言ってました」
「俺も楽しみだよ。沙弥をこんなにかわいく育ててくれたご両親だからね」
「緊張しないんですか?」
――するに決まってんだろーが!
心の声とは裏腹に、隼人は優しく「沙弥」と呼びかける。
「沙弥と結婚するためなら、俺はどこにだって行くし、誰にだって挨拶する。どんな緊張する相手を前にしても、堂々と言うよ。沙弥さんと結婚させてください、って」
「……っっ、主任、ずるい……っ」
頬どころか耳まで真っ赤になった沙弥が、ぎゅっと首にしがみついてきた。
「はいはい、俺はずるくてエロオヤジですよー」
「……でも、大好きです」
沙弥の実家訪問は、のちに彼女が母親に電話で確認し、来週日曜の午後十四時に決定した。
隼人がひそかに『結婚 挨拶 服装 男性』で検索をしていたことなど、彼女は知らない。
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