●著:火崎勇
●イラスト:旭炬
●発売元:三交社
●発行元:メディアソフト
●ISBN:978-4-8155-4092-0
●発売日:2022/8/30
忘れるな、私は本気だ
菓子の販売員だった前世の記憶を思い出した村娘ユリアは、ある日、流行病を避け村に来た王子アイザックと出会い、互いに好意を持つ。だが彼は王都に戻り、ユリアはワケ有りの貴族、レオリアに引き取られて離ればなれに。「私にもう一度お前を手放せと言うのか?」王城でアイザックと再会し、誤解とすれ違いの末に心を通わせた二人だが、貴族ではないユリアとアイザックでは身分が違いすぎて―!?

「公爵は結婚しないつもりなのか?」
「そうみたい。でもそれを発表すると公爵家を潰す気かと責められるから、私を利用しているの」
「お前はそれでいいのか?」
「引き取ってもらって、本当の娘のようにいい暮らしをさせてもらっているもの、恩返しができるなら別に構わないわ」
「愛人と呼ばれても我慢し、養女になれるかなれないかわからないままでも気にしない。お前は『また』何も望まないのか」
「殿下?」
「お前には私の名前を呼ぶことを許している。殿下はよせ」
呼んでいいの? 昔のように。
「……アイザック?」
彼は大きなため息をつき、少し乱暴な態度で私の隣に座った。
「私は、お前が公爵の愛人だと思っていた。初めて城でお前を見かけた時に似た娘がいると気づいて人に尋ねたらそう聞かされたから。なのに他の男の手を取る姿を見て、他の男とも遊んでいるふしだらな娘になったと思っていた。だがユリアは変わっていなかったのだな」
名前を……、呼んでくれた。
ただそれだけで嬉しくて、胸が熱くなる。
「私、まだ手紙と懐中時計を大切に持っているわ」
「気づいたのか」
「すぐに」
椅子の上で手が触れる。
「やっと、柵が無くなったな」
「うん……」
彼の言葉で、一瞬にしてあの頃に戻った気分だった。
「覚えてくれていて嬉しい。私は忘れられなかったけれど、あなたにはきっと忘れられてると思ったから」
「忘れるわけがない。ユリアは私の唯一の大切な女性だ」
「誤解されるようなセリフよ」
「誤解ではない」
彼の手が、私の頬に伸びて顔を向かせ、キスされる。
「あの頃も、柵が無ければこうしたいと思っていた」
カーッと顔に血が上る。これは救命措置ではないわよね。私は別に気分が悪いわけでもないのだし。つまりこれは正真正銘の私のファーストキスってこと?
「その顔を見れば、愛人の噂が嘘だとわかるな」
笑ってくれる紫の瞳。
昔もキスしたかったと言われて、喜びが身体を満たす。
けれど次の瞬間、私は彼を押し戻した。
「だめ、こんなことをしては」
「私が嫌いか? 同じ気持ちだと思ったのだが」
「嫌いじゃないわ。アイザックは私の初恋の人だったもの」
「過去形だな」
「今も好きよ、でもだめ。私は他の人と結婚しなくちゃならないのだもの」
重ねていた方の手が、ピクリと動く。
「公爵家の令嬢ならば私にもチャンスはあると思うが?」
本気? それじゃまるで私にプロポーズしてるみたいだわ。もしそんな気持ちがあるのなら、とても嬉しい。嬉しいけれど……。
「……私は公爵家を継げる人と結婚しないといけないの。そのために養女になるのだから。あなたは王子様で、王妃の手を取らなければならないでしょう? でも公爵家を継げない私は養女にはなれない。ただの平民の娘のままよ」
「私にもう一度お前を手放せと言うのか?」
怒ったような声。
「あの時、自分が子供だったからお前と簡単に別れてしまったことを後悔した。あれからお前以上に会いたいと願う女性とは出会わなかった。だからお前を手に入れたグレンローグ公爵が憎かった。簡単に他の男のものになったお前のことも憎んだ。その気持ちをもう一度味わえというのか? 今度はただ離れるだけでなく、他の男のものになるお前の姿を見ろと?」
私を魅了し続けた紫の瞳が真っすぐに私を見ている。
求めに応えてしまいそうになる心を、私はグッと押し止めた。
「アイザックは誤解しているのよ。私達は昔を懐かしんでいるだけ。あなたにはあなたに相応しい方がいらっしゃるわ。長い時間が過ぎて、私達は今のお互いのことを何も知らないもの。再会して、私がそんなに悪者じゃなかったと知って、気が高ぶっているだけよ」
「ユリア」
「王様になるのでしょう? だったらお互いの立場を考えないと」
「立場とは何だ!」
彼は私の腕を強く捕らえた。
「あなたは王様になる、お相手は皆に祝福される人でなければならない。私はただの平民。もし公爵令嬢になれたら、その恩を返さなければならない。そういうことよ」
「……お前は相変わらず小賢しい。何でもわかったような口を利く」
そのまま、もう一度彼は私に口付けた。
さっきのように軽く唇を当てるだけではなく、舌を使って何かを求めるように深く。
そして唇を離すと私を抱き締めた。
夢のよう。もう一度言葉を交わせばそれだけでいいと思っていたのに、本当に彼に求められてその腕の中にいるなんて。
「抵抗しないのだな」
遠くて、手が届かないから見ないようにしていた気持ちがはっきりとしてくる。
「……驚いてできなかっただけです」
けれどそれを見てはいけない。
「違う。お前も同じ気持ちだからだ」
「アイザック」
「お前の言うことはいつも正しい。だが私ももう子供ではない。お前に意見を求めるだけでなく、私も考えることができるようになった。ユリアがグレンローグ公爵のものではないのなら、私はお前を手に入れる」
「だから……」
「今は全てユリアの言う通りだろう。だが必ずそれを覆す」
アイザックは私を離し、立ち上がった。
「着替えを用意させよう。今日はもう帰るといい。だが忘れるな、私は本気だ」
「アイザック……!」
扉から出て行く前に、彼は振り向いて微笑った。
「もう後悔はしたくないのだ」
寂しげな笑みで、そう言って。
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