女嫌いな美貌の王子に、ナゼか56番目の婚約者の私だけが溺愛されています【本体1300円+税】

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●著:麻生ミカリ
●イラスト: 森原八鹿
●発売元:三交社
●発行元:メディアソフト
●ISBN:978-4815543129
●発売日:2023/04/28

もうきみは、俺から逃げられないよ

地方の出で公爵家の養女になったララは、55人の婚約者候補と破談になっていた美貌の王子セシルの新たな婚約者として王宮に招かれる。
「はっきり言おう。俺はもっと大人の女性が好みでね」
セシルに冷たくされるも、明るく振る舞い、王宮生活を満喫するララ。
容姿だけを評価される己を卑下するセシルは自分を特別視しないララに惹かれるが、弟の縁談を妨害してきた兄王子がまたも彼女に目を付け!?



「あら? どうして殿下がわたしのお部屋に?」
 自分の声が、いつもより遠く聞こえる。そんなことがあるだろうか。
 けれど、実際ララの耳にはララの声がどこか遠くから聞こえてくるように感じられた。
 ゆらりと揺れる燭台の明かりに、セシルの艶めいた黒髪が浮かび上がっている。
――なんて美しい人かしら。殿下はきっと、どんな高級な砂糖菓子よりも甘く美味な魂をお持ちなのね。だからこんなにもお美しくいらっしゃる。
「ふふ、きっとこれは夢ね。夢の中でも、セシル殿下はとってもおいしそうなのだわ」
「おいしそう。俺が?」
「はい。だって、こんなにすべらかな頬で」
 ララは指先で彼の頬をなぞる。
 精悍な輪郭をたどっていくと、顎に到着した。
「それに、睫毛も長くていらっしゃるの」
「きみが俺の顔に興味があるとは知らなかった」
「まあ! わたしだって、美しいものには興味があります。だけど、そうね。この宮殿には、おいしいものが多すぎるんですもの。つい、食べるほうに気持ちが……」
 ふわぁぁ、とララはあくびをひとつ。
 今日一日の疲労が入浴でほぐれ、その後の食事で脳まで癒やされたのだ。
 さらに、そこにアルコールが入ってしまった。
 そろそろ眠くなってもおかしくない時間である。
――殿下の胸に抱かれて眠る。ステキな夢ね。現実だったら、きっとこんなことできないもの。
 彼の鎖骨の下に、ことんと頭をもたせた。
 心臓の鼓動が聞こえてくる。
「ララ、さすがにこれは……」
「夢ですもの。わたしの夢なら、自由にさせてください」
「夢?」
「はい。だって、殿下がわたしのお部屋にいらっしゃるだなんて、夢に決まっているわ」
 見上げた天蓋布が、かすかにたゆむ。
「夢であってほしいのかもしれないが、これは現実だ」
「ふふ、おかしな夢……」
 両腕でセシルに抱きつくと、たしかに夢とは思えないほど彼の体温をしっかり感じられる。
 ただ寝ぼけているのならば、ララだってきっと気づけた。
 このぬくもりが、現実の温度だということに。
 しかし、初めての葡萄酒はよく回っている。
「酔って男の部屋へ来たらどうなるか、体に教えてあげるよ」
 寝台が、ぎし、と軋んだ。
「男の人のお部屋?」
「そうだ。きみは自分の部屋に俺がいると思っているようだが、ここはきみの部屋じゃない」
「だから、わたしに教えてくれるの?」
――体に教えてあげるだなんて、既成事実を作ろうとしているみたい。現実の殿下は、そんなこと言わないわ。だって、セシル殿下はわたしのことが……
「邪魔、なのに」
 小さな声で、つぶやいた。
 ララがいかに鈍感で、頭の中がお花畑で、色気より食い気に走りがちだといっても、自分がセシルにとって望まぬ婚約者候補であることくらいはわかっている。
「ララ?」
「殿下は、わたしなんていらない。結婚したくないんですもの。でも、わたしはここでがんばらないと。ほかに、行く場所なんて……」
 どこにもない。
 大きな手が、ララの目元を覆った。
「夢だ」
 耳元に、甘やかで優しい声が聞こえる。
 普段から浮世離れした憂いの美貌を持つ彼の、心まで寄り添うような声音に鼓膜が震えた。
「これは夢だよ、ララ。夢の中では、きみは誰からも望まれている。不機嫌で無愛想な王子からも、求められている」
「セシル殿下は不機嫌でも無愛想でもないわ。きっと正直な方なのよ」
「きみを追い出そうとする人なのに?」
「誰だって、自分の平穏を乱す相手を歓迎したりしないわ。殿下は、歓迎するふりもなさらなかった。そこがね、正直で、もしかしたら少しだけ不器用な方なのかしらって思うの」
「……ララは、そんな男と一緒にいてつらくはない?」
「ぜんぜん。だって、ここにはおいしい食事があって、楽しい侍女たちがいて、それに――」
「それに?」
「それに、わたし、セシル殿下の笑う声が好きなの」
 たった一度、彼が声をあげて笑った。
 あの瞬間、宝物をもらったような気持ちになったのを忘れられない。
「セシル殿下がいつもああして笑っていられたらいいのにな。そうしたら、きっともっとみんなが殿下と仲良くなりたいって思うわ。物憂げで芸術品のように美しい殿下より、ほんとうの殿下を知れたらいいのに」
 喉元に、何かが触れる。
――ん、くすぐったい……?
「きみは、俺が思うよりずっと強い」
「な、に……? ん、ぁ、のど……に……」
「怖がらないでいい。きみを傷つけることはしないよ」
 ドレスの上から、大きな手が乳房を持ち上げた。
 ただそれだけで、全身がぞわりと甘い予感に打ち震える。
「喉に力が入った。まだ怖い?」
「っん……」
「キスしているだけだ。何もきみの喉に噛みついたりはしない」
――キス? わたしに、セシル殿下が?
 夢だとしても、そんなことがあるだろうか。
 だが、唇と唇を重ねるのではなく、喉にキスするというのがセシルらしい気もする。
 愛がないから、唇にはキスしないのだ。
――だって、殿下はわたしのことなんて好きじゃない。
「体に触れられるより、喉にキスされるほうが不安?」
「わ、からない。でも、すごく……」
 口を開けて、必死に息を吸う。
 高地にいるときのように、酸素が薄い気がした。
「すごく、頭の中がぼうっとするの。唇で、わたしの肌に触れているの……?」
「快楽にも素直だとは。ララ・ノークスは見た目よりずっと魅力的な女性らしい」
「ふふ、ヘンなの。殿下はそんなこと言わないわ」
 視界を奪われているから、夢の中だから。
 そうでなければ、王子相手にこんな軽口は叩けない。
「なぜ? 現実の彼はそんな偏屈なのか?」
「そうじゃないの。わたしが、残念なことに殿下の好みの女性じゃないから、かしら」
 五十六番目の婚約者候補として宮殿に暮らしていても、ララは自分がこの場所にそぐわない存在だとよく知っている。
 おそらく、今までこの宮殿にやってきたどの婚約者候補よりも、自分は彼に望まれていない。
セシルの理想が、大人っぽくて、女性的で、落ち着いた人物ならば、ララからはかけ離れている。
「好み、ね」
 ふ、と彼が息を吐く。
 鎖骨に吐息が触れて、ララは小さく身を捩った。
「人の好みなんてものは、存外曖昧なものらしい」
「そうなの?」
「ああ、きみと出会ってセシル殿下の好みも変わるかもしれないよ」
「夢の中の殿下は、優しいのね」
「へえ。現実はそうでもないんだ?」
「ううん、現実の殿下はね――」
――夢の中より、もっともっと、ほんとうは優しい人の気がする……
 すう、とララの意識がほんとうの眠りに吸い込まれていく。
 彼女の目元から、長い指が浮いた。
「……オルレジア王国の王子の寝台で安眠する女性なんて、きっときみくらいだよ、ララ」
 呆れと慈愛の混ざりあった瞳で、セシルが言う。
 まったく、どうにも調子が出ない。
 本気で追い出したいのなら、もっとやり方はあるはずだと知っている。
「俺は、どうしたいのだろうな」
 彼の当惑は、夜の静寂に消えていった。

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