●著:犬咲
●イラスト:すらだまみ
●発売元:三交社
●発行元:メディアソフト
●ISBN:978-4-8155-4096-8
●発売日:2022/10/28
おまえを誰にも渡したくない。
二面性のある婚約者に長年虐げられていた伯爵令嬢ローズ。王宮の舞踏会でも彼に無体を働かれ、逃げたはずみに精霊公爵アランが丹精して育てた薔薇を潰してしまう。彼から「おまえが私の薔薇になれ」と求められ、屋敷に赴いたローズを、アランは手入れと称し風呂に入れ、蕩かすように愛でてくる。「蜜を出して誘うのは花の性だろう?」彼の手で美しく花開くローズだが彼女を妬む存在がいて―!?

風薫る初夏の午後。
大陸の穀物庫と呼ばれる農業大国ランベール王国。その王都郊外に広がる緑豊かな森の中心に建つ、瀟洒な白亜の館の二階、浴室へと続く着替えのための小間にて。
ローズは灰緑色のドレスの胸元でギュッと両手を握りしめ、鮮やかな青色の瞳を潤ませながら、目の前に立つ青年を見上げていた。
「あ、あの……王弟殿下、今、何と?」
「服を脱げ、と言ったのだ」
傲然と答えたその人は、この世のものとは思えぬほどに美しい姿をしていた。
うなじで一本にくくられ、さらりと背に流れる白銀の髪と凛々しい眉に涼やかな目元。
煙るように長い睫毛の下から覗くのは、深い菫色の瞳。
スッと取った鼻梁と、どこか酷薄そうな薄い唇。
その顔は見る者に感嘆の念を通りこし、生きて動いていることに違和感を抱かせるほど、完璧な左右対称に整っている。
昨夜、初めて彼の顔を間近で目にしたとき、あまりに現実離れした美しさに、ローズはまるで月光の化身のようだと思ったものだ。
けれど、彼は紛れもなく人間で、そして、今のローズの――所有者でもある。
アラン・ド・ランベール――ランベール王国現国王の弟であり、薔薇をこよなく愛する彼の命によって、ローズはスルス伯爵令嬢から彼の「薔薇」となることが決まった。
とある成り行きで、彼の丹精した薔薇を台無しにしてしまった償いのために。
そして、今朝、生まれ育ったスルス家の屋敷を離れ、こうして彼の屋敷にやってきたのだ。
アランの薔薇として生きるために。
屋敷に着いてから、彼は「仲間」に紹介してやると言って、色とりどりの薔薇が咲きほこる庭園を見せてくれた後、ローズをこの部屋に連れてきた。
それから、唇の端をつり上げて、世にも美しい笑顔で楽しげに言い放ったのだ。
「……さて、検品と手入れだ。はじめよう。服を脱げ」と。
そして、ローズは思わず聞き返してしまったというわけだった。
――ああ、聞き間違いではなかったのね。
キュッと目をつぶり、心の中で嘆く。
この部屋に連れてこられた時点――いや、彼の薔薇になると決まったときから、薄々覚悟はしていた。
女が男の所有物となるからには、そういった行為を求められる可能性もあるだろうと。
「……どうした? 早く脱げ。花が隠されたままでは検品できぬだろう?」
さも当然のことのように促され、ローズは唇を噛みしめる。
国王に継ぐ地位を持ち、この国の命運を左右できる力を持つアランにとって、一介の伯爵令嬢に過ぎないローズの尊厳や矜持など気にかける価値もないことなのだろう。
――本当は、おやさしい方なのかもしれないと思ったのに……。
庭園を案内してくれたアランはローズをさりげなく気遣い、他愛のない質問にも丁寧に答えてくれた。
薔薇を見つめる視線は慈愛に満ちていて、この人は細やかな感性を持った人なのだと感じた。
けれど、やはり社交界の評判通り、彼は「人の心を持たない冷酷な方」だったのだろうか。
じわりと涙が滲みそうになるのを堪えながら、ローズは「はい、ただいま」と答えると、ドレスの胸元を留めるボタンに震える手を伸ばした。
こういうことになる可能性もゼロではないと思っていたから、コルセットは着けていない。
アランの屋敷には侍女がいないことも聞いていたので、自分で脱ぎ着ができるようにドレスもボタン留めの物を選んできた。
――でも、もしかしたらと思っていたのだけれど……。
アランは人間の女に興味がないという噂だった。
だから、本当に薔薇のように、ただ観察されるだけですむかもしれないと仄かな期待を抱いていたのだ。
だが、彼も男だったということなのだろう。婚約者――もう元だが――のフランシスと同じように。
――結局、私は、このように扱われる運命なのね。
ローズは庭園のひとときでゆるみかけていた心を引き締め、惨めさと恐怖、恥ずかしさで滲みそうになる涙を堪えて手を動かしていく。
「すべて脱げ。肌に何も残すな」
「……はい」
楽しげにかけられた非情な命に、強ばる声で答えながらドレスを脱ぎ、シフトドレスの襟元をくつろげ、肩から滑らせて床に落とす。身じろいだ拍子に、腰まで伸びた黒髪がさらりと揺れた。
最後に残ったストッキングを留めるリボンをほどき、右、左と脱ぎ終えて身を起こす。
「身体を隠すな。両手を後ろに回して胸を張れ」
「っ、はい」
答える声が震えるのを抑えきれなかった。
無駄に大きく育ってしまった胸を覆う手をそろそろと外して背に回し、背すじを伸ばす。
途端、強い視線が剥きだしの肌をなぞるのを感じて、ローズはギュッと目をつむる。
――ああ、いや、怖い……!
誰にも、幼いころからの婚約者だったフランシスにさえ晒したことのない生まれたままの姿を、恋人でも医師でもない男に見られている。頭の天辺からつま先まで、じっくりと検めるように。
羞恥に身体が熱くなり、怯える膝が震えて崩れ落ちそうになる。
それを必死に堪えていると、不意にアランが近付いてくる気配がして、ローズはハッと目をひらいた。
「――っ」
すとん、と彼が目の前で片膝をつき、胸に顔が近付いて、ローズはビクリと身を震わせる。
「……私の肩に手を置いて、右足を上げろ」
「えっ」
「上げろ」
「っ、は、はいっ」
先ほどまでの上機嫌な様子とは打って変わった厳しい声で命じられ、ローズはビクリと肩を跳ねさせて、ガクガクと頷いた。
「し、失礼いたします」
そっと彼の肩に手を置き、羞恥に強ばる足に力をこめて踵を床から持ち上げる。
アランが睫毛を伏せ、菫色の視線がローズの腹をなぞってその下へと下りていく。
「……っ」
思わず視線を拒むように両脚を閉じ合わそうとしたところで、彼の手が動き、上げた足をガシリと右手でつかまれた。長い指がローズの足首をぐるりと捕らえ、グッと握りしめる。
ゴツゴツと硬い手のひらの感触が、どれほど彫像のように美しく見えても、まぎれもなくアランは生きた男なのだと感じさせた。
その力強さに、ひ、と小さく息を呑んだところで、左手を足の裏に添えられる。
そうして両手でローズの足を捧げ持つような格好になった途端、アランの表情が険しさを増す。
いったい何をされるのだろうと身がまえた次の瞬間、彼は眉間に深い皺を寄せ、ボソリと呟いた。
「……踵が硬い」
「え?」
アランは手のひらでローズの踵からつま先へと撫でながら、不満げに眉をひそめる。
「……小指の横にも胼胝ができている。爪も少し歪んでいるな。よほど窮屈で粗悪な靴を無理に履いていたのだろう。足が傷んでいるぞ」
「え、あ、も、申しわけございません」
ローズはことの成り行きについていけぬまま、反射のように謝る。
――踵って……まさか、それを確かめるために足を上げさせたの……?
戸惑っているうちに、アランはローズの足をそっと床に下ろし、空いた手をローズのウエストにさらりと這わせた。
「ひゃっ」
「細い。痩せすぎだ。肋骨が浮いているではないか」
「っ、申しわけありません」
これ以上胸が大きくならないように、ここ数ケ月食事を制限していたのだ。結局、徒労に終わったが……。
ウエストを離れた彼の手がローズの手に絡み、今度は指先を摘ままれる。
「爪も薄い。しかも、二枚爪になっている。栄養状態がよくない証拠だ」
「あ、も――」
ローズが謝るよりも早くアランは立ち上がって、あわあわと見上げるローズの頬に手を添えて瞳を覗きこんでくる。
「おまけに、化粧で隠しているつもりだろうが隈もひどいぞ」
指摘されてローズがハッと目元を隠そうと手を上げると、アランはその手をそっとつかんで眉を寄せた。
「きちんと睡眠はとれているか?」
てっきり不摂生だとなじられるものと思っていたローズは、予想外にやさしい声で問われ、パチリと目をみはる。
「あ、いえ。最近はずっと、その……」
「眠れていなかったのか?」
「……はい」
ローズの答えに「そうか」と返すと、アランは腰に手を当てて深々と息をついた。
「……まったく。素材は良いが、実に不健康だな。どうしてこうなるまで手入れを怠ったのだ?」
責めるような台詞だが、その口調はやわらかく、怒りや嘲りはこもっていない。
素直にローズの身を案じてくれているように感じられて、ローズは何だか目の奥が熱くなった。
「……まったくもって、状態は実に悪いとしか言いようがないな」
溜め息まじりのアランの声が響く。ローズは申しわけなさに俯いて――。
「だが――その分手入れのしがいがあるとも言える」
不意にアランの声がガラリと明るいものに変わり、ローズは、え、と顔を上げる。
「手入れ、でございますか?」
「ああ」とアランは力強く頷き、ローズの手をグッと握りしめると、菫色の瞳をキラリと輝かせ、まばゆい笑顔で傲然と言い放った。
「私が本来のおまえの美しさを取り戻してやる! さあ、手入れだ!」
それから、くるりと彼は踵を返すとローズの手を引いて歩きだした。
意気揚々と進むアランの広い背を見つめながら、ローズは、ようやく理解が追いついてくる。
――ああ、今のが「検品」だったのね……。
先ほどアランは「検品と手入れ」をすると言っていた。
だからまず、薔薇の健康状態を検めるように、ローズの身体に傷んでいるところはないかを確かめた。
そして、これから手入れに移るということなのだろう。
いやらしい意図など、最初から、まるでなかったのだ。
――それなのに、私ったら何を勘違いしていたのかしら……!
彼は正しくローズを「薔薇」として扱っていたのだ。
それなのに「女」として求められていると思いこみ、アランを怖れ、恨み、恥辱に震え、涙さえ滲ませていたなんて。
安堵と共に先ほどとは違った方向の恥ずかしさと、彼に対して申しわけなさがこみ上げてくる。
――ああ、ごめんなさい……!
これほど美しい人が自分に対して欲情するなど、あるはずないというのに。
ローズは真っ赤になっているであろう顔をアランに見られぬよう、深く俯きながら浴室に入ろうとして、段差につまずき、あ、とよろけた。
「――っ、ローズ」
すかさず抱きとめたアランが「どこをぶつけた? 爪は大丈夫か?」と足元に跪き、手を伸ばしてくる。
「……ふむ、大丈夫そうだな」
つま先を撫でてホッと息をつくと、アランはローズを見上げ、グッと眉をひそめた。
「ローズ。おまえはもう私の薔薇なのだ。その身を粗末に扱うことは許さんぞ。もっと気をつけろ」
真剣な口調と表情で下されたやさしい命令に、ローズは思わず、ふ、と頬をゆるめる。
「……はい。以後、気をつけます」
「ああ。そうしろ」
アランは目元をほころばせて立ち上がると、あらためてローズの手を取った。
そのまま浴室へと誘われながら、ローズは不思議な気持ちになる。
――昨夜の殿下は、あれほど恐ろしく見えたのに……。
今、ローズの手を引くアランの手は何とも温かく、心地好く感じられる。
――やはり、殿下は私や皆が思っているよりも、ずっとおやさしい方なのかもしれないわね……。
そんなことを考えながら、ふとローズは昨夜の夏迎えの宴のできごと――アランの薔薇に命じられたときのことを思い返した。
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