ループして闇墜ち騎士団長を救ったら、執着溺愛が止まりません!【本体1300円+税】

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●著:御厨 翠
●イラスト: Ciel
●発売元:三交社
●発行元:メディアソフト
●ISBN:978-4-8155-4354-9
●発売日:2024/12/27


美しいあなたを皆に見せたいと思うが、独占したいとも思う


 名ばかりの婚約者だった騎士団長クロヴィスが結婚式当日にクーデターを起こした直後、六年前に回帰したレティーツィア。クロヴィスが蜂起した理由が国王の理不尽な命令で部下を失ったせいだと知ると、騎士団のために薬草を研究し悲劇を回避しようと試みる。
 一方、クロヴィスは他人のために献身的に尽くす彼女を愛し始め、運命はよい方向に動き始めるかに見えたがクロヴィスを憎む国王が卑劣な罠を仕掛けてきて……!?





プロローグ
結婚式の当日は、雨が降っていた。
遠方から聞こえる雷鳴が空気を震わせ、レティーツィアは身を震わせた。
式の開始を待つ花嫁の部屋には誰もいない。少しひとりになりたいと言って、侍女を下がらせたからだ。
鏡の中の自分を見つめると、美しく飾った花嫁が映し出されている。
赤みを帯びた金の髪に白薔薇を編み込み、首もとには大きな金剛石が光っている。純白のドレスには金糸を使った刺繍が施され、翠の瞳と同色の小さな宝石が散りばめられていた。
今日のレティーツィアは、誰が見ても目を瞠る輝きを放っている。ところが顔色は、幸せな花嫁には似つかわしくない憂いを帯びていた。
(クロヴィス様は、まだいらっしゃらないのかしら……?)
窓の外に目を遣り、公爵家の子息であり王国の騎士団長を務める婚約者の顔を思い浮かべる。
彼とは国王の命で婚約した。まだ十歳のときのことだった。だが、それ以降良好な関係を築けずにいる。それどころか、必要最低限の交流しか持てず、今日この日を迎えてしまった。
レティーツィアが彼を避けていたわけではない。クロヴィスが、婚約者を遠ざけたのだ。折り合いが悪い国王から強引に勧められた婚約だったことも影響したのだろう。
実際、レティーツィアは国王が放った間者だと思われていた節がある。この国において、大抵の女性は十六歳から十八歳までの間に結婚しているが、二十歳の今まで放置されていたのがその証だ。
それでも、結ばれた縁を大切にしたかった。自分が諦めさえしなければ、クロヴィスもいつか婚約者として――妻として、愛してくれるのではないかと期待していた。なぜなら、レティーツィア自身は国王となんら関わりもなく、ただ純粋に彼に好意を抱いていたから。
初恋、だったのだ。
今日は、王城の敷地内にある大聖堂で式を挙げ、その後は城内でパーティが開かれる予定だった。この結婚のために、国王がわざわざ解放を命じたと聞いている。
こうしているうちにも、続々と招待客が来ているだろう。出席者は、バルバストル公爵家のほうが多い。騎士団長という立場から、団員をかなり招いたようだ。
普段は王城内に騎士団が入城することはない。城内の警備は近衛兵が担当し、騎士団は主に国境で他国の侵略から自国を守りつつ、『魔獣』と呼ばれる害獣の討伐を担っていた。
戦闘に特化した組織であるがゆえ、また、下級貴族や平民もいることから、団員らは高位貴族からは敬遠されており、国王からも疎まれている。
先王の時代は王室と騎士団の関係も良好だったが、現王が即位してからは関係が悪化していた。
両者の間に決定的な亀裂が走ったのは、数年前に国王が命じた魔獣の掃討作戦からだ。遠征からの一時帰還を願った騎士団の要請を退けた国王は、無茶な行軍を命じた。魔獣との激しい交戦の中、団員らの間で病が蔓延し、命を落とした者もいると聞く。
それでもかろうじて勝利を収めたが、王都へ戻ってきた騎士団は出兵時より半数に減ってしまった。にもかかわらず、国王からは最低限の褒章しか与えられることはなかった。
クロヴィスと婚約が決まってから、それまで知り得なかった騎士団と王国の関わりについて学んでいた。しかし、その背景を知るほどに、疑問が頭を擡げるようになる。
(陛下は騎士団というよりも、クロヴィス様を嫌っていらっしゃる印象だわ)
理由は定かでないし、気軽に出せる話題でもない。だからこれは、レティーツィアの想像に過ぎないが、まったくの見当違いではないと思っている。
けれど、国王とクロヴィスにいかなる確執があろうと、どうすることもできない。これ以上悪化しないよう祈るのみだ。
「――レティーツィア様……!」
ひとり物思いに耽っていると、静寂を切り裂く声が聞こえた。
驚いて振り返れば、侍女のアウラが血相を変えて部屋に転がり込んでくる。反射的に立ち上がったレティーツィアは、駆け寄ってきた侍女に歩み寄った。
「そんなに慌ててどうしたの?」
「すぐに……今すぐにここからお逃げください……!」
縋りついてきたアウラのただならない様子に、心臓が嫌な音を立てた。
「落ち着いて。何があったか話してちょうだい」
「っ、クロヴィス様が……」
がくがくと全身を震わせたアウラが口を開きかけたときである。乱暴に床を叩く複数の靴音と共に、正装に身を固めた騎士団の数名が流れ込んでくる。
「ストクマン侯爵令嬢で間違いありませんね?」
入ってきた騎士たちは、皆、濡れ鼠になっている。しかし、それよりも気になったのは、それぞれが帯剣していることだ。
(王城の敷地内で帯剣が許されているのは、近衛兵のみのはず。それなのになぜ……?)
緊張感の高まりを感じながら、レティーツィアは騎士らと対峙した。
「……わたくしが、レティーツィア・ストクマンです。ずいぶんと物々しいですね。いったいなんの騒ぎなのですか? いくら騎士団の方とはいえ、無礼な振る舞いではありませんか。クロヴィス様の顔に泥を塗る真似は控えたほうがよろしいのではなくて?」
震えの収まらないアウラの背を撫でながら、騎士のひとりに非難を投げかける。本当は、レティーツィア自身も恐れを感じているが、侯爵家令嬢として、騎士団長クロヴィス・バルバストルの婚約者としての矜持が気持ちを奮い立たせていた。
――だが。
「心配は無用です。まず、結婚式は行なわれませんので」
「え……」
そんなことは許されるはずがなかった。この結婚は王命で、誰であろうと逆らえない。
もしも国王に背けば、すぐにでも逆臣として処罰を受ける。そうなれば、公爵家や騎士団にも累が及ぶ可能性がある。だから彼は、レティーツィアとの婚約も受け入れていたのだ。
しかし乱入してきた騎士たちは、どこか憐れむような眼差しを向けてくる。
「団長閣下は現在、大広間にいらっしゃいます。こちらにいらっしゃることはありません。あなた様は、これから我々と一緒に来ていただきます。閣下のもとへお連れしましょう」
これから結婚式が始まるというときに、なぜ大広間にいるのか。式に出られない貴族たちはすでに集まっているだろうが、クロヴィスが来るべきなのは花嫁が待つ大聖堂であり、パーティ会場ではないはずだ。
(いくらこの結婚に乗り気ではないからといって、式に出ないはずはないもの)
見ず知らずの者を警戒するのは、貴族の娘として当然である。それに、騎士団というだけで無条件に信用できるほど、彼らを知っているわけではなかった。
その場から動けずにいると、団員のひとりが小さく舌打ちをした。
「我々も手荒な真似はしたくないんです。おとなしく従っていただきたい。疑問があれば、閣下にお尋ねになればいい」
部屋に入ってきた十名ほどの騎士らが一様に頷く。
完全に信用はできないが、騎士たちを振り切って逃げるのは難しい。彼らの様子からも、なんらかの異変が起きているのは間違いないようだ。
「わかりました。あなた方とまいりましょう」
「レティーツィア様、危険です……!」
アウラの顔はすっかり青ざめていたが、それでもレティーツィアを守ろうとしている。
この場での味方は彼女だけだ。騒ぎになっているのに誰も駆けつけてこないのは、騎士たちがなんらかの手を講じているのだろう。戦いに特化した騎士団を止められる者など、王城の近衛兵でも難しい。
「心配せずとも大丈夫よ。クロヴィス様にお会いしないことには、何も状況がわからないもの」
気丈に答えたレティーツィアは、そっとアウラの手を摩った。安心させるように微笑んで見せてから、騎士たちに向き直る。
「侍女も連れて行ってよろしいですか?」
「構いません」
短く返答した騎士に部屋の外を指し示され、アウラと寄り添うようにして部屋を出た。
ふたりを先導しているのが二名、背後にいるのが六名、レティーツィアたちを挟み込む形で一名ずつが一定の距離で歩き始める。四方から囲まれているため圧迫感があり、緊張で足が進められない。ウエディングドレスを身に纏っていることも理由のひとつだろう。
(まさか、式を挙げずに大聖堂を出ることになるなんて……。いったい何が起こっているの……?)
なぜ新郎であるクロヴィスは、大聖堂ではなく王城にいるのか。なぜレティーツィアは、囚人のように騎士団に連行されているのか。
なぜ――招待されていたはずの人々の姿を、誰ひとりとして見かけないのか。
「騎士様、お尋ねしてもよろしいですか?」
「……なんでしょう」
「式に参加するために来てくださっていた方々はどうされたのでしょうか? 何も事情を知らされないままお待ちいただくのは、さすがに気が引けます」
長い廊下を歩きながら、疑問を口にする。大聖堂内には、すでに多くの高位貴族がいるはずだ。高齢の出席者も多くいる。すぐに式を始められないのであれば、彼らには他の場所で休んでもらうべきだ。
そう伝えたところ、返ってきたのは端的な言葉。
「ご心配には及びません。出席者の大半とは、じきにお会いできるでしょう」
騎士のひとりが告げたと同時、中庭へと続く扉が開け放たれた。
王城へは中庭を通ったほうが近道だ。それはわかっているが、雨足が強まっている中に外へ踏み出すのは勇気がいる。今日のために誂えた純白のドレスを着ているからだ。
わずかに躊躇いが生まれ、足を止める。隣を歩いていたアウラは、「あ……」と小さく声を上げた。
「騎士様、せめて雨具を。このままでは、レティーツィア様が濡れてしまわれますわ」
「雨具など持っていない」
すげなく言い放った騎士からは、明らかに憤りが感じられた。
「我々は、雨だろうが雪だろうが、どれだけ過酷な状況でも行軍してきた。この程度の雨など足を止める理由にはならない」
「な……レティーツィア様は、侯爵家のご令嬢なのです……っ、あなた方とは違います!」
怒りが恐怖に勝ったのか、アウラが声を荒らげる。しかしレティーツィアは、侍女の肩にそっと触れて首を振って見せた。
「いいのよ。雨具がないというなら、このまま行くしかないわ」
問答しても始まらないと、意を決して一歩を踏み出す。
(……今さらドレスを気にしたところで無意味だわ)
騎士たちの振る舞いは最低限の礼儀こそあったが、言葉の端々に棘を感じる。とはいえ彼らと面識がないことから、レティーツィアではなく侯爵家に対して思うところがあるのかもしれない。
何かを考えていなければ、恐ろしくて足が竦みそうだった。けれど、それよりも先に肌を叩く雨粒に思考が奪われていく。
美しく結い上げた髪は風雨に乱され、編み込まれていた薔薇の花びらが儚く散っていった。王城の大聖堂にふさわしく贅を尽くしたドレスの裾は、またたく間に泥を吸って重苦しい。踵の高い靴を履いているせいで雨に濡れた石畳は歩きづらく、余計に足を鈍らせている。
これまで貴人として扱われることに慣れていた侯爵家の令嬢が、まるで罪人のような扱いだ。騎士たちはもっと過酷な状況に置かれることもあるのだろうが、そもそも立場が違う。敵軍や魔獣との戦闘を想定して鍛え上げられた人間と貴族の令嬢とでは、比べること自体がおかしな話だ。
身に纏っている布が水分を含み、どんどん重くなってくる。それでも気力のみで足を進めていたとき、前方を歩く騎士が前進を止めた。
怪訝に思っていると、前方で留まっていた騎士が左右へ散った。視界が開けたと同時に目に飛び込んできた光景に、レティーツィアは驚愕する。
(あれは……!)
王城を背に中庭の中央に立っていたのは、婚約者であり騎士団長のクロヴィスだった。先の討伐任務で失った左眼を黒の眼帯で覆い、右目は眼光鋭く周囲を見据えている。
騎士団の正装に身を包んでいるが、彼の手には長剣が携えられていた。まるで戦場のような光景だが、レティーツィアが驚いたのは彼の姿にではない。その足もとに転がる無数の近衛兵たちを見たからだ。
王城、そして、何よりも国王を守るための精鋭らが、無残にも戦闘不能に陥っている。
「クロヴィス……っ、おのれ、余に対しこのような真似をして許されると思っているのか……!」
地を這うような怒声は、クロヴィスの足もとに這い蹲る人物から発せられた。瞬間、全身に怖気が走る。なぜなら、そこにいるのはこの国を統べる最も尊き者。
(国王陛下がどうして……)
まるで踏み潰された蛙のごとき見苦しい有様で雨に打たれていたのは、ウーリ・ハンヒェン・ホルスト国王その人であった。
冷ややかに国王を見下ろしていたクロヴィスは、剣の切っ先を彼の者へ突きつける。少し力を入れるだけで命を奪うことが可能だ。一国の主の命運は、まさしく騎士団長の手に委ねられていた。
「俺は、端から誰にも許されようと思っていないし、許しを乞うつもりもない。貴様を地獄へ叩き落とすためだけにここにいる」
堂々と告げた声色は低く、確かな意思と怒りを含んでいる。この場にいる誰しもが、クロヴィスは本気で国王を弑すのだと確信していた。
レティーツィアは目の前で起きている出来事が信じられずに、視線を彷徨わせる。ある意味現実逃避だった。なぜならクロヴィスが行なっているのは、謀反と呼ばれる行動だ。国家や王家に対する反逆行為にほかならず、国を守る騎士団としてありえなかった。
(どうして? どうしてクロヴィス様は、こんなに残酷な真似を……!)
いくら考えたところで答えなどわかるはずもない。彼とは必要最低限の会話しかしてこなかったからだ。
がくがくと足が震え、恐れと混乱で視界が歪む。今にも気を失ってしまいそうだったが、そのときレティーツィアの耳にさらなる衝撃が飛び込んでくる。
「クロヴィス……クロヴィス・バルバストル! これだけの人間を屠っても、まだ足りぬというのか!」
声を張り上げた国王が、泥塗れとなった上体を力なく起こした。
「見ろ!! おのれが積み上げた死体の数を……っ! 王国騎士でありながら、おのれはその剣を国民の血で染めた。それだけに留まらず、王位簒奪まで企んでいようとは……恥を知れ!」
国王は怨嗟を吐きながら、地面に落ちていた装飾品や泥の塊をクロヴィスへ投げつけた。その姿は一国の王とは思えないほど滑稽だったが、レティーツィアの視線は別の場所に釘付けとなった。
父母が、横臥していたのだ。それも、国王の傍らで。
「お……お父様、お母様……?」
雨に打たれてもぴくりとも動かず、この日のために誂えた父の儀礼服も母のドレスも泥水を吸い込んでいる。最初は倒れた近衛兵しか見えなかったが、煌びやかな衣装を身につけた貴族たちがあちらこちらで息絶えていた。
「ぁ……」
漏れ出たのは、声にならない掠れた吐息だった。隣にいたアウラもその場に座り込んでしまう。しかしレティーツィアは、侍女を気遣う余裕もないまま茫然と立ち尽くした。
なぜ父母が、冷たい地面の上で転がっているのか。確かに目の前の出来事なのに、心が認めることを拒否している。
「積み上がった死体の数は、貴様の罪の深さだ。……ウーリ・ハンヒェン・ホルスト」
降りしきる雨の中、王城の中庭で繰り広げられた惨劇は、どこまでも冷たい簒奪者によって終焉を迎えようとしていた。
「地獄で我が同胞に詫びるがいい」
クロヴィスの言葉と同時に、控えていた騎士らが国王の腕を左右から掴む。身動きができなくなり、自身の未来を察した憐れな王が半狂乱で叫んだ。
「はっ……離せええっ! 欲しいものはなんでも与えてやろう。だから……」
「欲しいのは、貴様の首だけだ」
クロヴィスは声を張り上げているわけではない。それなのに、明瞭にその場に響き渡る。彼こそがこの場の支配者なのだと知らしめ、恐怖を与えるには充分過ぎるほどだった。
「うっ、あああああ……――っ」
命の灯火が今にも消えようとしていとる悟ったのか、国王が耳障りなほど大きな悲鳴を上げる。
だが、それも短い時間のことでしかなかった。クロヴィスの剣が一閃すると、物言わぬ骸と成り果てて、泥濘みにその身を沈ませる。
「っ、ぁ……」
衝撃的な光景に、レティーツィアは声すら満足に出せずにいた。貴族の令嬢が一生目にすることがないだろう場面を見せつけられ、足が縫い付けられたようにその場から動かない。
クロヴィスの前に横たわる無数の骸の中に、国王が加わった。なんの感情もなくそれらを見下ろしていた男は、そこで初めてレティーツィアへ目を向けた。
――虚ろな瞳だった。左眼は黒の眼帯に覆われているが、残った右眼は暗く深い闇を纏っている。およそ人間らしくない眼差しを注がれれば、氷の上に立たされているような心地にさせられた。
「婚約者殿か」
一歩、また一歩と、クロヴィスが近づいてくる。たった今、国王を葬ったとは思えないほど平然とした態度だ。彼にとっては、これが当たり前の日常なのだと思い知らされる。
「見ての通り、国王をこの手で殺した。あなたの両親もだ」
「な……なぜ、なのですか……? 両親や、陛下を、なぜ……」
「あなたの両親は、国王の盾になった。いや、正確に言えば、盾にさせられた。彼らは俺の復讐の巻き添えになっただけで、個人的な恨みはない。……再三に亘って治療薬を要請したにもかかわらず、ついぞ騎士団に送られてくることはなかったがな」
「え……っ、まさか、そんなことは……」
「今となってはどうでもいい話だ。――俺はどうしても国王を殺さなければならなかった。そのための障壁になるものはすべて排除した。だから、目的を達せられたんだ」
彼は国王を弑逆するという目的のために、邪魔者を排除したのだ。その中に、運悪くレティーツィアの両親がいた。ただ、それだけの話だった。
淡々と語られるからこそ、クロヴィスが話しているのは事実なのだろう。だが、それが嘘でも真でも、簡単に納得できるはずがない。
「クロヴィス様、は……なぜ、陛下を……」
「あの男が、俺の部下を殺したからだ」
そのとき、初めて彼の声に感情が交じった。怒りだ。肌が粟立つような殺気を放ちながら、クロヴィスが国王の骸に目を遣った。
「俺が気に入らないのであれば、俺だけを標的にすればよかったんだ。それなのにあの男は……騎士団を魔物の巣窟に何度も送り込むだけでは飽き足らず、刺客を放ってきた。この左眼を失ったのもそれが理由だ」
「そんな……魔獣から民を守ってくださっている騎士団を、窮地に追い込むなんてこと……」
「よほど俺が目障りだったんだろう。戦闘で命を落とせばそれでよし、そうじゃなければ、魔物に命を奪われたように見せかける算段だった。……常に、死と隣り合わせの日々を送っていたんだ、俺は」
刺客から聞いた話だと言い、クロヴィスが片手で眼帯を覆う。
彼が傷を負ったのは、今から四年前のことだ。てっきり魔獣の討伐任務で負傷したのだとばかり思っていたが、命がけで守ってきた国の頂点に立つ王に傷つけられていた。その事実に愕然とする。王に命を狙われていたなんて、想像すらしていなかったことだ。
「先の討伐で刺客から俺を庇った部下は、そのまま命を落とした。これが国のために身を賭して戦っている騎士団に対する仕打ちか!? あの男が治める国など、我々が命を懸ける価値はない」
四年前。クロヴィスの負傷を知ったレティーツィアは、見舞いの品を送っている。訪問については体調不良を理由に断られていた。おそらく、そのころからずっと国王を恨んでいたのかもしれない。
(いいえ。これはもっと……根深い何かがあるのだわ)
彼とは圧倒的に交流が足りていなかった。もっとしっかり会話をしていれば、このような事態に陥らなかったのではないか。少なくとも、なんの罪もない両親が命を落とすことはなかったはずだ。
「……ずっと、陛下に復讐する機会を狙っていたと……そういうことなのですね」
「そうだ。あなたと婚約を続けていたのも、国王に表向きの恭順を示すためだ」
もともと、婚約に乗り気ではないことは知っていた。けれど、貴族の婚姻は個人の感情は無関係だ。家同士の結びつきなのだから、クロヴィスも割り切っているはずだと考えていた。
政略ではあったが、それでもレティーツィアの心は弾んでいた。よき妻となり、彼を支えていこうと――今はまだ無理でも、いつかは愛情を抱いてくれるだろうと、未来への希望を持っていた。
(わたしは、何もわかっていなかった)
今このときが、クロヴィスと一番長く会話をしているのは皮肉だった。婚約しているとは思えないほど彼との関係が希薄なのは、婚約者という立場に甘えていたのだと思い知る。
こんなことになるのなら、遠慮などせずにクロヴィスにぶつかるべきだった。たとえ無視をされても、嫌な顔を見せられても、会話を重ねるべきだった。
後悔ばかりが胸を過るが、すべてが遅きに失している。クロヴィスの目的は達せられ、残されたのは無力な小娘ただひとり。彼の進む道に必要とされていないレティーツィアだけなのだから。
「あなたには、俺を断罪する権利がある」
「え……」
クロヴィスの言葉が理解できず、無為に聞き返す。
「わたくしが? なぜ……」
「そのつもりがなかったとはいえ、ストクマン侯爵夫妻を殺したのが俺だからだ。式に呼ばれて集まった国王派の貴族はすべてこの手にかけた。目的を達した以上、ここで殺されようと思い残すことはない」
(ああ、この方にとって、わたしはどこまでも取るに足らない存在なのだわ)
彼の見ている景色の中に、レティーツィアはいない。ただ、ストクマン侯爵夫妻の娘という役名の、通りすがりの人間でしかなかった。
目的を果たした彼は、この世になんの未練もないのだ。それが哀しい。
クロヴィスが心にも身体にも深い傷を負ったのは間違いなく、婚約者である自分が支え、癒す存在でなかったのが悔やまれる。
「あなたがいなければ……この国や騎士団は、どうなるのです……?」
「俺がいなくても問題ない。反国王派の中には優秀な者も多いからな。……俺の役目は、もうない」
誰のことも必要とせず、血溜まりの中でその場に佇んでいる。彼からは、そんな孤独な印象を受けた。
皆の祝福を受けて、幸せな花嫁になるはずだった。それなのに、レティーツィアは大勢の屍に囲まれている。父母が亡くなり、国王も葬られ、婚約者は自分の役目を終えて死を望んだ。
あまりにも多くの出来事がありすぎて、すべてが夢だと思いたかった。けれど、容赦なく肌を打ち付ける雨が、冷えていく指先が、鼻をつく血の臭いが、これは現実なのだと伝えてくる。
「あなたが俺に剣を突き立てるのであれば、抵抗せずに受け入れる。俺がしてやれる唯一のことだ」
「……わたくし、は……」
父母が亡くなったことすら現実感に乏しいのに、復讐など考えられる状態ではなかった。心が麻痺しているのだ。ただいくつもの『なぜ』と『どうして』が、脳裏に浮かんでは消えていく。
これまでの人生で、自分の意思で行動したことなどほとんどない。貴族の令嬢として礼節を弁え、親の決めた道から外れぬよう歩んできただけだった。
クロヴィスから突きつけられた選択は、これ以上なく重くのし掛かる。
何を選べば正解で、何をすれば間違いなのか、自分がどうすべきなのかがまったく思い浮かばない。ごく普通の令嬢として生きてきたレティーツィアに、人の生き死にを決めるなど無理だった。
答えを求めるように、視線を彷徨わせたときである。
クロヴィスに倒された近衛兵の中からひとりが立ち上がり、彼に向かって猛然と突進した。
「……っ!」
少し離れた場所にいた騎士たちは、起き上がった兵士への対応が遅れた。しかしクロヴィスはすぐに振り返り、兵士に向かって剣を振り下ろす。
ところが、次の瞬間――。
「う……っ」
城のある方角から飛んできた矢が、クロヴィスの胸を貫いた。
「クロヴィス様……っ!?」
「来るな!」
とっさに立ち上がったレティーツィアは、制止の声も聞かずに彼に駆け寄った。けれど、苦悶の表情を浮かべたクロヴィスに、「離れろ!」と、突き飛ばされる。
「あ……っ」
ずぶ濡れだった身体が泥に塗れたと同時、クロヴィスの身に何本もの矢が突き刺さる。
膝を折り、泥濘の中に倒れ込んだ彼は、そのままぴくりとも動かなくなってしまう。
(うそ……嘘、うそよ……っ!)
城から放たれた矢に気づき、騎士たちが対応に追われている。国王が斃れようとも、王城を守ろうとする兵士が存在していたのだ。
怒号が飛び交う中、レティーツィアは這うようにしてクロヴィスのもとへ向かった。騎士らは城からの攻撃を防ぐだけで手一杯のようで、彼を助けようとする者は誰もいない。
「クロヴィス……さ、ま……ッ」
先ほど転倒したときに痛めたのか、足首に激痛が走って立ち上がれない。ウエディングドレスは泥だらけで、いつの間にか靴も脱げてしまっている。降り続く雨は容赦なく体温を奪っていき、身体の動きがどんどん鈍くなっていた。
それでもなんとかクロヴィスのもとへ向かうべく力を振り絞る。本来ならこの場から離れるべきだとわかっているが、理性ではなく本能的な行動だった。
「どうして……わたくし、を……」
彼が突き飛ばしたのは、次の矢が放たれるのを察していたから。レティーツィアを庇うための行動だ。
そんな真似をしなければ、自分が助かる道もあったはず。にもかかわらず、クロヴィスは自身よりもレティーツィアの――なんの愛情もない婚約者を守った。
(そんな価値なんて、わたしにはない、のに……)
クロヴィスが何を考え、何を求めているのかを知ろうともしなかった。初めて出会ったときに心をときめかせ、恋をしているつもりになっていただけだ。
(今さら、思い知るなんて、なんて愚かなの……)
「クロ……ヴィス、様……申し訳……ありま……」
彼に向かって手を伸ばし、謝罪を口にしかけたレティーツィアだが、無情にも背中に深々と矢が突き刺さった。激痛に耐えきれず、その身が泥濘に沈んでいく。
「か……は……っ」
唇から血を吐き、指一本すら動かせない。
せっかく彼が守ってくれた命は、無残に散ろうとしている。
薄れゆく視界にクロヴィスを映したレティーツィアは、口の中で言葉にならない声を発した。
(もしもやり直せるなら……今度は、クロヴィス様や……お父様もお母様も、命が落とすことのないように、考えて……行動、するのに)
彼らを救うためなら、なんだってしてみせる。死の間際で願うなど愚かかもしれないが、祈らずにはいられない。
これまで己の力で何も成し得なかったレティーツィアは心の中で懺悔し、初めて持った意志を抱きながら、意識が闇へと落ちていった。


――レティーツィア・ストクマン二十歳の生涯は、ここで終わったはずだった。
だが、不思議なことに、次に目覚めたときは世界が変わっていた。
いや、正確に言うならば、時間がまき戻っていた。
神の奇跡なのか、贖罪の機会を与えられたのか。レティーツィアは、悲劇の結婚式を迎える六年前に回帰していたのである。






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