過労で倒れた社畜な子爵令嬢ですが聖騎士様に溺愛保護されています【本体1300円+税】

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●著:千石かのん
●イラスト: 森原八鹿
●発売元:三交社
●発行元:メディアソフト
●ISBN:978-4-8155-4357-0
●発売日:2025/1/30


君は君自身をもっと大切にするべきだ


 王都防衛組織「銀嶺」の魔道具製作所に勤務するスノウは貧乏子爵家の出身。実家のため高位貴族の注文に振り回されていつも過労気味な彼女は、公爵令息で騎士隊長のイリアスの前で倒れて彼の屋敷で保護されることに。
 あまりに手厚いサポートに遠慮気味のスノウに対し、ぐいぐい距離を縮めようとするイリアス。
「拒絶されたら無理やり俺のものにするところだった」
 キラキラの美貌のイリアスに溺愛されて押され気味のスノウは!?






プロローグ
(天国のおばあちゃん……私ももうすぐそっちに向かうかもしれません……)
大きな窓が特徴的な食堂の一画。案内されたテーブル席でメニューを手渡されたスノウ・ヴィスタは立派な拵えのそれに視線を落としながら、全く食欲がわかないことに気が付いた。
ぱたり、とメニューを伏せて溜息を吐く。
さらさらの銀色の髪はまとめる余裕もなく下ろしっぱなしで、見る影もなく縺れて顔に掛かり、柔らかな春の空のような水色の瞳には隠し切れない疲労が滲んでいる。
魂が抜けかけたような頭に浮かぶのは、「ものには心が宿る。だから大切に扱いな」とおしえてくれた祖母の豪快な笑顔だった。
五年前に亡くなったその祖母がスノウに向かって手を振っているようで、彼女は目を閉じるとテーブルに突っ伏した。
ごん、と額がぶつかって鈍い音がするが、なんだかその痛みも遠い気がする。
次から次へと舞い込む「仕事」のため、スノウはほぼ休日返上で働いていた。
多分、十二連勤とかそんな感じだ。そのため、見かねたスノウの上司が「まともな食事をしてきなさい」と有無を言わさぬ笑顔で宣言し、結果食堂へと来ることになったのだが。
(ここでちゃんとした食事をとったのはいつだったかな……)
のろのろと顔をあげて再びメニューを取り上げ、そこに並ぶ夏野菜を使った料理や涼し気なアイス、ゼリーの文字を見て目を瞬かせる。
スノウの脳裏に残っている食堂の最新メニューは「春を先取り、菜の花パスタ」だった。
ずいぶん時間が経ったな、なんて呑気なことを考えて大きなガラス窓に視線を遣ったスノウは呆然とした。
(ていうか、もう夕方だ……)
早朝、日の出を作業室で見たのは覚えている。それから約十五時間……ほぼノンストップで仕事をしていた。
夏の夕暮れは遅い。空はまだまだ明るいが、一般の人が帰宅する時間だろう。
その事実にどっと疲れが押し寄せて来て、スノウはますます食欲が失せるのを覚えた。
(食べなきゃ持たないのはわかってるけど……)
何も食べたくない。このまま突っ伏して寝てしまいたい。でも……。
ぼうっとメニューを眺めるスノウの視界に、不意に何かが映った。はっとして顔をあげれば、にっこりと微笑んだウエイターがかがめた腰を伸ばすところだった。
「……あの?」
まだ何も頼んでいない。だが目の前には柔らかな湯気とふわりといい香りをさせた鶏肉とホウレンソウのクリームシチューに、表面がぱりっと焼き上がったパンが二つ置かれている。
あまりにもぼんやりしすぎて頼んだことを忘れているのだろうか、と一抹の不安を覚える。
「これ……は?」
恐る恐る尋ねると、ウエイターは笑顔で「あちらのお客様からです」と窓際の席を手で示してくれた。
が。
「え?」
「あれ?」
二人が視線を送った先には、食べ終えたばかりと思われる空の皿と空席のみがあり、肝心の主がいない。
「先程までいらしたんですが……お帰りになったのかな?」
首をひねるウエイターに、スノウはどんな人だったのかと聞いてみる。
「金髪の紳士ですよ。疲れて食欲がなさそうだから、優しい味のクリームシチューを差し上げてって」
なんと。
ゆっくりとスノウの真っ白な頬が朱色に染まっていく。
見ず知らずの男性に心配されるくらい、酷い様相だったということだ。
(でもそうか……)
食堂にやってきたのに何も頼まず、テーブルに突っ伏していたのだ。心配されて当然かもしれない。
目の前には、見ず知らずの誰かの優しさを示すように温かい食事が。
「デザートも承っておりますので、あとでお持ちします」
「へ?」
まさかそこまでしてもらえるとは。
聞けばスノウが一番好きなチョコレート菓子だ。
ドーム状のチョコの中には蕩けるようなマシュマロがたっぷりと詰まり、底のビスケットが封をしている。夏場に作るのは大変なお菓子だと思うが、鏡のようにつるりとしたチョコが美しいそれがスノウは気に入っていた。
後でコーヒーと一緒にお持ちします、と言われて頷き、スノウはスプーンを取り上げた。
じんわりと心が熱を持ってくすぐったい気持ちが溢れてくる。
ゆっくりと、素直に食事をとり始めたスノウは、疲れた胃に沁みていくようでほっと溜息を洩らした。
そうして改めて自分の勤務体制を見直すことにしようと心から誓うのだった。

        ◆◇◆

(……よかった)
広々とした食堂の、スノウの席から遠く離れた入り口付近で、背の高い、金髪の紳士が濃い蒼の瞳を細めて苦笑する。
テーブルに突っ伏したまま動かない彼女を心から心配していたのだ。
いや、そのもっと前から彼は彼女を知っていた。
(……また無茶をしなければいいが……)
最後に彼女を食堂で見かけたのは半年近く前だ。その時ですら彼女は青白い顔で、栄養のなさそうなスープを注文していた。
あれではいつか倒れると思っていたのだ。
(けどしっかり固形物を取っているから……大丈夫だろう)
しばらく食事をする彼女を眺めたのち、紳士はくるりと踵を返す。彼女が元気になってくれればそれでいい。うんうんと一人頷きながら、彼は食堂を後にした。

だがこの時、何が何でも声を掛けて、仕事をするなと厳命すべきだったと、三週間後、彼──第三聖騎士隊隊長、イリアス・ブランドは激しく後悔するのだが今は知る由もないのである。
1 過労令嬢、保護される
王都防衛組織銀嶺──そこの魔道具製作所がスノウの勤務先だ。
(うあ……もう朝……)
振るうことで一緒に魔法も発動させる魔法剣。その要といえる魔法石の修復を一晩中行っていたスノウは、再び宝石内部に魔力を取り戻した石から視線を上げ、目を刺した朝の日差しに驚くと同時に目を細めた。
作業机の真正面にあるガラス窓の向こうに、銀嶺という名を象徴するような真っ白な壁と銀の屋根を持つ巨大な建物が朝日を受けてきらきらと輝いていた。
銀嶺は、王国中の有望な魔術師や聖なる力を持った人々を集めて作られた防衛組織で、王都の一画に広大な敷地を持つ巨大組織だ。
所属する人間のほとんどが貴族なのも特徴の一つである。
その昔、大地に蔓延る異形のモノと戦い、その果てに国を作った偉大なる英雄王がいた。その彼を護り、支えた存在……それが魔術師と呼ばれる者たちである。
彼らは普通の人でも多少は持つ、奇跡を起こす力──魔力を生まれながらに大量に持っていた。
これを自在に操って奇跡を起こせる彼らは、英雄王の手足となって働き、国づくりに貢献した。
その功績を認め、彼らに地位と土地を与えたことからこの国の貴族は始まっている。
つまり、貴族のほとんどが魔術師と何らかの繋がりがあるということだ。
国を、人を、平和を守る彼らはやがて、効率的に国土を防衛するべく「銀嶺」と呼ばれる組織に召集されるようになった。
魔力の高い者、聖なる力を扱える者、頭脳明晰で王国の将来に貢献できる者……。
高位の貴族ほど才があり力が強く、社交界でも魔力の有無によって優劣が決まってくる。
そんな中、辺鄙な田舎の、かろうじて爵位を保っているアンバー子爵家の令嬢であるスノウが銀嶺に召集される確率はかなり低かった。
だが彼女は「戦う」ための力ではなく、その彼らを「支える」特殊な魔力を持っていたのだ。
(壊れたものを直すのは時間がかかるけど好きだし……呪いを解くのも謎解きみたいで楽しい。強化魔法を使うのだって嫌いではないけれど……)
スノウは銀嶺にある「魔道具製作所」に配属されていた。
そこは他の構成員が戦闘などで壊した武器や防具、護符なんかを直したり、新しい魔道具を作り出したりする部署である。
スノウの実家、ヴィスタ家は修理や修復、強化魔法に特化した血筋で、彼女も幼い頃から領民の依頼に応じて物の修復を行ったり、魔物に襲われないよう、家に防御魔法をかけたりしていた。
その力が認められて、晴れて銀嶺へと招集されたのだが、こういう地味な力を使う人間が少なく、且つ、貴族が主体の組織だけあって、構成員が平気で物を壊しまくる。
結果、配属から一年が過ぎた現在、スノウはまともな休日も取れないほどの激務に追われていた。
現在受け持っているのは粉々に破壊された杖の修復と防御魔法を強化させてほしいと頼まれた盾だ。
その他に、今日の昼までに依頼を受けるかどうか返答待ちのものが三つ。
しかもどれも納品日が十日後で、他にも日々、たった今完成させた魔法剣のような急ぎの修復案件が舞い込んでくる。
(十日後に合同捜査があるからなんだろうけど……それにしたってもうちょっと早く依頼してくればいいのに)
机の隅に置かれたトレイには返答待ちの封書が三通。
中から仕様書と依頼書を取り出し、スノウは渋面で溜息を堪えた。
確かにスノウの手元に入る依頼料はかなりいい。
銀嶺では、本部が支給した武器や防具、道具なんかの修理に関しては製作所の給料範囲での仕事にカウントされるが、構成員が個人で頼む武器や道具はそれに該当しない。
一応、「作戦で使うものだから」銀嶺から補助金が出るが、全額ではないのだ。
今回、頼まれている三件は全て護符で、使う素材が高額な宝石だったり、扱う魔法が特殊だったりで、依頼人が支払う金額は魔道具製作所の指定依頼料を適用してもかなりなものだ。材料費が含まれているとはいえスノウの手取りは相当な額になる。
だが製作期間が微妙に短い。
(……そういえば実家では冬に備えてそろそろ屋敷の修繕をしたいって言ってたっけ……)
じっと仕様書を見つめながら考える。
そのほかの杖と盾は比較的早めに終わらせられるだろう。だが護符三つは……間に合うだろうか。
(ううううん……)
食堂で優しい紳士からシチューを奢ってもらったのはもう五日も前になる。
最後に食べた食事は一昨日の昼だっただろうか。何を食べたのか……なかなか思い出せない。
(そうだ……受付のメイが見かねてサンドイッチをくれたのよね……)
悩んでいる間にも刻々と時間は過ぎていく。手が空くという余裕は今の彼女にはないのだ。
(仕方ない。やるか)
ぐっと両手を組んで頭上に上げ、大きく背伸びをする。
依頼書に了承のサインをし、出来上がった魔法剣と共に受付に持っていく。まだ始業時間ではないので人気のないカウンターに仕様書を置き、続いて魔法剣に「了」のタグをつけて保管庫に収めた。
そうして受付が管理している台帳に依頼主の名前とタグの番号を記載してスノウは作業室へと取って返した。
食堂が開くのはあと一時間後だ。久々に朝食をそこで取ろうと決めて、それまでの時間護符の作業を進めようと仕様書に視線を落として、材料の検討を始める。
(護符用の宝石は地下にあるから……)
上司から承認をもらって取りにいって……。
そんなことを考えているうちに時間はどんどん過ぎ、結局スノウは朝食を取りそびれた。
だがそんなことにも気づかず、彼女は作業にのめり込んでいく。
「あのぅ……レディ・スノウ」
一心不乱に護符の中核となる宝石に、加護魔法を組み込むべく特殊なインクで魔法陣を描いていると、遠慮がちにドアをノックされ可愛らしい女性が顔を覗かせた。
「メイ? どうかした?」
一般の人で魔力の無い彼女は、受付の他に職員にお茶やお菓子、軽食を用意してくれる。休憩を促すときは有無を言わさず入って来るのに、今は遠慮がちで顔を上げたスノウは首を傾げて見せた。
そんなスノウに、メイは言い難そうに困った顔をする。
「護符を依頼されたレディが三名、いらしてるのですが……」
「え?」
思わず目を見張る。
たった今取り掛かったばかりで、まだ要望にあった宝石に術式を組み込んでいる段階だ。完成には程遠い。まさかこの時点で仕様の変更だろうか。
嫌な予感を覚えながら、スノウはメイの後について受付へと向かう。
魔道具製作所は、銀嶺の敷地内でも辺鄙な場所にあり、真っ白な壁を持つ四角い建物だ。
中にはいくつかの作業室と休憩所、それと仮眠室がある大きめの建造物で、背後には木々の茂る森、正面には広々とした庭があり、職員が育てているハーブやキノコ、野菜や花が植わっている。
入り口を入ってすぐのエントランスには受付用のカウンターとソファが置かれ、待合室のようになっていた。壁一面と天井に窓がある開放的なそこに、苛立たし気に並ぶ三人の令嬢が、互いにけん制し合うようににらみ合っていた。
(ええっと……)
令嬢三名は別々にスノウに依頼をしていた。その彼女たちが一堂に会しているのは何故なのか。
首をひねりながら「お待たせしました」と声をかけるや否や。
「護符よりも先にわたくしの腕輪を直してくださらない」
明るい栗色の髪を美しく結い上げた一人がずいっと一歩前に出た。
「彼女の三倍、依頼料を出すからわたしのこの弓を直してほしい」
かと思ったらもう一人、ポニーテールに隊服を着た一人が詰め寄る。
「馬鹿言わないで。この二人のを直すくらいならわたくしのネックレスの方が先ですわ」
更には先に話し出した二名を遮るように、赤い口紅が特徴的な派手顔の令嬢がスノウの肩を掴んだ。
「はあ!? そんなネックレスがあったところであんたの魔力じゃイリアス様の足を引っ張るだけだ。私の弓の方がよっぽど頼りになる」
「どうだか。無駄な矢を放って従僕に回収させるのがおちでしょう? わたくしなら魔力も技術も文句なしにイリアス様のお力になれるわ」
「どこが。そんな安物の腕輪で守れるのはあんたの腕だけじゃないの? ああ、ごめんなさい。顔に一撃を受けて『修復』したほうが綺麗になるものね」
「なんですって!?」
その場で勃発した激しい口論を前に、スノウは開いた口が塞がらない。
話の内容を総合すると、どうやら「イリアス卿」と関係があるようだ。
(はて……誰だったか……)
聞いたことがある名前だ。だがスノウが関わる銀嶺所属の貴族は大勢いて、恐らく何かの依頼をされたことがある程度だろう。
だが息巻く彼女たちの言葉の端々から推測して。
(……人気の聖騎士様かな?)
ふと、脳裏に可愛らしいウサギのマスコットが蘇った。
だいぶ前に大事にしていたウサギのマスコットが攻撃を受けた際に「加護」を発動して壊れてしまい、直してほしいと依頼されたことがあった。
そのマスコットを持っていたのが聖騎士様だったのだ。確か凄いイケメンだったような……。
「とにかく、イリアス様との任務が入りましたの。四時間後には出発ですので、一時間前までには直してくださらないかしら」
「へ!?」
ぼーっと三人のやり取りを眺めていたスノウは、飛び出した内容に目が点になる。
つまり、三時間で腕輪と弓とネックレスを修復しろと?
「この腕輪が持つ防御魔法の範囲を人一人分から二人に広げてくださらない?」
「私の弓には氷属性を着けてほしい」
「このネックレス、この間の戦闘で宝石にひびが入ってしまったの。直して頂戴」
「……………………ええっと……」
どれもできないことではない。ないが……。
「そうなると本日依頼された護符の納期が遅くなりますが宜しいので?」
合同作戦には間に合わなくなる。それを言外に告げれば、三人はずいっと一歩、スノウに近づいた。
「構わないわ。なんならキャンセルで」
腕輪の令嬢があっさり言うのにスノウの口元が引き攣る。
「いえ、キャンセルは受け付けてません」
「いいからさっさとしろ。間に合わなくなる」
弓の令嬢が苛立たし気に靴を鳴らす。
「皆さま、同じ作戦に参加ですよね? となるとお一人に割ける時間は一時間で……かなり高額になりますが?」
「構いませんわ。……というか、他の二人は無視すればいいでしょう?」
ネックレスの令嬢が髪を払いながらぎろっと他の二人を睨みつける。
「……その件に関してはそちらで話を付けてください」
絶対に嫌だ、私のを優先しろ、イリアス様に認められてゆくゆくはお付き合いするのだから等々……。
再び始まった騒動に、スノウは頭痛がしてくる。
ハラハラした表情でこちらを見ていたメイに「ごめん、契約書出してもらえます?」と頼み、差し出された書類を手に彼女たちを振り返った。
「契約は一時間で内容は加護範囲拡大、効果付与、修復となってます。先に依頼された護符に対しては納期の変更許諾、依頼料は五割増し。これでよろしければサインを」
スノウの宣言が、魔法用紙で出来た誓約書に自動的に浮き上がる。それを手に強引に割って入ると、彼女たちは顔を見合わせ速攻でサインをした。
ほっと息を吐き、スノウは三人から道具を受け取ると不安そうな表情のメイに契約書を渡す。
不意にカウンターに置かれた時計が目に入り、あと三十分で正午だと知る。
(午後休憩も返上かぁ……)
もはや空腹も感じない。メイに紅茶だけでも頼もうかと思っていると。
「もうすぐお昼だし、昼食を頂いてから夕方に備えなくちゃ」
「イリアス様のためにも少しでも体力温存しなくては」
「やだ〜、髪のセット間に合うかなぁ」
口々に好き勝手なことを言って令嬢達が製作所を後にする。これからぶっ通しで仕事のスノウは遠い目をした。
確かにお金をもらう依頼だけど。全くすまなさそうでもなく、金を払ったんだからちゃんと仕事しろと言われているようで複雑な気分になった。それでも契約したのだからやるしかない。
それに……スノウは子爵令嬢だ。彼女たちは持ってきた道具から察するに伯爵とか侯爵令嬢だろう。戦闘に関する魔力を持たないスノウは、彼女たちより下に見られているのだろう。
「あの……レディ・スノウ。朝ごはんもまだですよね?」
カウンターに手を突いてしばらくぼうっとしていたスノウは、メイからか細い声で尋ねられて我に返る。
「えっと……」
「私、今から軽食を作ってお持ちします! 片手で食べられるものがいいですよね!?」
スノウが答える前に彼女は大急ぎで中に引き返していった。
その心遣いが骨に沁みそうになっていると、「あの」と入り口から声を掛けられた。
「はい?」
メイが奥に引っ込んでしまった以上、依頼の対応をするにも人がいなくてはいけない。
反射的に顔を上げたスノウは次の瞬間、軽く目を見張った。
引き籠って昼夜仕事をする不健康な人間が多い魔道具製作所では、少しでも職員の健康を維持するためにあちこちに天窓がある。
室内はさんさんと日が差し込み、風が通り抜け、季節と時間の感覚を取り戻させるように設計されていた。
このロビーもその一つで、キラキラした午前中の光が差し込む室内は、壁の白と相まってとても明るい。
なのに、その明るさが更に向上したようにスノウには見えた。
何故なら。
(うわ……眩しッ……!)
目の前に金髪に濃い海の蒼色をした瞳のイケメンが立っていたからだ。
ふわりと目元にかかる長めの前髪。整った鼻筋と軽く、爽やかな笑みをたたえた唇。すらりと背が高く、その身に纏っている白銀の隊服と青いマントは聖騎士のものだ。
光度が上がったように感じる麗しい姿に、スノウは昨日から寝ていない目をしょぼしょぼさせて無理やり笑みを浮かべた。
「あの……何か御用でしょうか……」
疲れ切り、くすんだ銀色の髪がざんばらに顔に落ちかかった、見るも悲惨な自分に話しかけられて、さぞや困っただろうなと、心の奥で考えながら、スノウは近くのファイルを取った。
受け取りか依頼か。どちらにしろ確認しなくては。
ファイルをめくり、イケメンの名前を確認しようとした、その瞬間。ぱしり、とスノウの手首をイケメン騎士が掴んだ。
はっと顔を上げると、ぐいっと顔を近寄せた男が、じっとスノウの空色の瞳を見つめ返す。
(うお……眩しい……やばい……)
目を眇め、思わず視線を逸らすスノウに、彼が呻くように告げた。
「……顔色が酷く悪いが……ちゃんと寝てるのか?」
やや叱責めいて聞こえた言葉に、スノウは一瞬ぽかんとする。それから思わず苦笑した。
「お気遣いありがとうございます。四時間後には寝ますので」
かすれた声でどうにか告げると、男の海色の瞳がゆっくりとカウンターに落ちた。そこには先程令嬢たちから受け取った依頼の品が。
「……これからそれを直すのか?」
「……ええ、まあ……はい……」
すると、男が小さく舌打ちをした──ような気がした。
(………………え?)
思わず彼を見上げれば、男は真剣な眼差しでスノウを見つめている。
「それは今日の作戦に必要だからと依頼されたものかな?」
苦々しく尋ねられ、思わず目を瞬く。
「そ……そうですが……」
やはり、と彼は小さく零しがしがしと頭を掻いた。
「すまない。上の命令で急遽調査が入ってしまったんだ。そのため普段組むのとは違う人員が選出されてしまって……準備ができていない者ばかりだからこうなってしまった」
そう目の前のイケメンに謝られるが、何故なのか全くわからずスノウはぽかんとする。
それから回転の鈍っていた頭が徐々に状況を整理し始めた。
(えっと……つまり、彼女たちが急遽依頼をしてきたのは突発的な任務が勃発したためで、選ばれたのは準備がまだな不慣れな人達で……それをこの人は詫びている……)
と、いうことは。
ぱちん、と何かが脳裏でひらめき、「あ」とスノウは息を呑んだ。
「もしかして……イリアス・ブランド隊長ですか?」
思わず声に出して言っていた。
途端、スノウに再び視線を戻したイリアスが軽く目を見張った後、困ったように苦笑した。
「……もしかして、気付いてなかった?」
「え? あ、すみません……」
慌てて謝罪する。
それから改めてイケメンと視線を合わせ、はっと息を呑んだ。
(やっぱり! あのウサギのマスコットの人だ)
依頼人のことをすっかり忘れていたが、小さなウサギのマスコットは覚えている。
先程よりも鮮明にその形を思い出し、スノウはちょっと懐かしくなった。
そう……確か七色に光るボタンが目についていたのだ。
それが幸運を授ける石で、片一方が割れていた。
当時、依頼人のイリアスは、魔物からの一撃を受けたはずなのに無傷で、隊服の内ポケットに入れていたこのマスコットの目が壊れていたと説明してくれた。
恐らく、彼を護ってくれという深い願いの込められた品だったのだろう。手に取ると、その願いが加護の力となってマスコットに宿っているのがよくわかった。
 掌に感じた、温かさ。そこから流れ込んでくる優しい想い。
素敵な品だと直感し、その想いを大切にしたくて、時間をかけて丁寧に直した記憶がある。
その彼が魔道具製作所に来たということは。
「もしかして何かご依頼品ですか? それとも受け取り?」
またマスコットが壊れたのだろうか。
小首を傾げて尋ねれば、軽く目を見張ったイリアスが、こほん、と咳払いをした。
「いや……その。こちらに令嬢が三名、入っていくのを見てしまって……。何か無茶を言って帰ったんじゃないかと思ったから……」
ああ、そうか。急遽調査に参加することになった部下が、ちゃんとした装備ができるのか確認しにきたというわけか。
ちらりと時計を見て、スノウはゆっくりと立ち上がった。
「大丈夫です。きちんと出発時刻までには、彼女たちの防具と武器を直しますので」
無茶な依頼だが、言葉にして宣言すると気合が入った。何が何でも時間までに直してやる、という気概が溢れてきたのだ。
ぐっと両手を握り締めてやる気に満ちるスノウに、イリアスが慌てたように声を上げた。
「無理はするな。俺の方から断らせる」
眉間にしわを寄せ心配そうな表情をする彼に、しかし彼女は首を振る。
「キャンセルが基本できないのが我々との契約です。できると見込んだ以上、やりますので」
深々と頭を下げて告げ、それから少し驚きを込めてイリアスを見る。
「……それにしても……チームを組む部下のことをしっかり管理なさってるなんて、流石ですね」
任務にあたる際に編成されるチームは流動的で、多少の面子の固定はあれど、仕事の内容に対しての得手不得手でメンバーが変わる。
短期間の……さらに今回は急ごしらえのチームでいちいち個人と交流したりフォローしたりしていては大変だろうが、それを重要視できるのはすごいことだろう。
(イケメンでこんな細かな気遣いができるんなら……モテるんだろうなぁ)
彼女たちが張り切っていたのもわかる気がする。
だがそんなスノウの正直な感想に、彼はどこか間が悪そうに視線を逸らした。
「いや……誰にでもそうだというわけではないんだけど……」
それはどういうことだろうか。
あの三人の中の一人が特別だとかそういうこともなさそうだけど……?
(あ、急ごしらえだからこそ、気にしてるとかかな?)
だとしたらますます人格者だな、なんて思って感心していると。
「とにかく、無茶はしないように。あ、それとこれは……その……俺からの気持ちだ」
不意に手を取られてぎゅっと握られる。温かな掌から何かを渡されて、離れた際にそっと開いて見てみた。
「あ……」




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