【9月30日発売】訳あり家出王女、雑用係として魔法騎士団に潜り込む【本体1300円+税】

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●著:麻生ミカリ
●イラスト:逆月酒乱
●発売元:三交社
●発行元:メディアソフト
●ISBN:978-4815543723
●発売日:2025/9/30


ぽんこつ?王女が魔法騎士団のお手伝い係に!?


精神的に不安定な継母を避け、一時身を隠すことになった王女リリシア。
別荘でのんびりする予定だったが、初恋の人・ゼインが団長を務める魔法騎士団が雑用係を募集していることを知り、面接に行くとすんなり採用される。
「きみが本気なら、俺も本気で応えよう」掃除の仕方もわからないリリシアを陰ながら見守り助けてくれるゼイン。ますます彼に惹かれるリリシアは家出中の王女であるという真実を言えないままゼインと一夜を共にしてしまい!?







第一章 王女さまは兄公認で家出する



「リリシア、きみは今から家出することにしよう」
エストレイン王国の第一王子にして王太子、フェリドはやわらかな笑顔で唐突にそう告げた。提案であり、ほぼ決定事項。
「あの、お兄さま、家出って。わたし、これでも一応王女ですよ? 王女が家出なんてあまりに突拍子がないように思います」
「もちろんわかっているよ。僕はこれでも、きみの兄だからね」
「ではなぜ、家出を提案されるのでしょうか?」
「リリシア、それはな――」
口を挟んだのは、レオニス三世。フェリドとリリシアの父であり、この国の王である。
ここはエストレイン王家光輝殿。通称クリスティア王宮の中央中庭に面した、東南角翼に位置する温室付き応接間だ。
一般的な謁見の間や大広間からは離れていて、王族だけが使うプライベート空間のため、人払いの必要がない。王族間で秘密の話をするときに主に用いられるが、もとはリラックスのための部屋だった。
ガラスドームの天井と四方の高窓が光を乱反射させない設計になっていて、部屋そのものが月光に
沈んでいるような雰囲気を感じさせる。
腰を痛めている父は長椅子に、フェリドとリリシアの兄妹は椅子に座って話をしていた。
テーブルには、魔法保温式のティーポットが置かれている。好物のほんのり甘いミントティーとスコーンに手をつける余裕もないまま、リリシアは父と兄の思惑が読みきれずにいた。
「あいたたた」
王としての威厳も、痛みの前には無力である。父は腰の痛みに顔をしかめた。
この二カ月ほど、レオニス三世はぎっくり腰で苦しんでいる。今年五十二歳になったとは思えないほど健康で強く逞しい王ではあるが、寄る年波には敵わない。
「お父さま、大丈夫ですか?」
「あ、ああ、なかなか良くならぬものだな、ぎっくり腰というのは。こんな姿をおまえたちの母親に見られずに済んで良かった」
フェリドとリリシア、そして今は嫁いで王宮を出た姉ふたりの母親は、リリシアが五歳のときに流行り病で亡くなった。
それから三年後、父は当時まだ十九歳だった辺境伯の娘であるセレスタを後添いに迎えている。
父の後妻であり、リリシアにとっては義母にあたるセレスタは、フェリドと一歳しか違わないというのだから王族というのは罪深い。
ふと、リリシアは自分が家出をしなければいけない理由に思い至った。
エストレイン王家の第三王女であるリリシアのさらに下に、第四王女マリアージュと、第五王女フランがいる。七歳と五歳の妹たちは、セレスタの生んだ子だった。
亡き母は王子を生んだが、以降生まれたのは王女が三人。
そして現王妃のセレスタが生んだのも王女がふたり。
フェリド以外に直系王族の男性がいないことが、この国の悩みの種である。
それでもセレスタは、レオニス三世と歳の離れた仲睦まじい夫婦として知られていた。
以前は控えめで優しい義母だったが、父がぎっくり腰で倒れてから、様子がおかしい。精神的に不安定に見える。最近ではリリシアを邪魔者扱いして、強引に縁談を持ち込もうとしているのだ。
王妃であるセレスタに、彼女の振る舞いについて意見できる者は少ない。というか、ほぼいない。
もちろん、リリシアとて笑顔で話題が去るのを待つばかりだった。
「それで、わたしに家出を勧めるのはもしかしてお義母さまのお気持ちが安定していらっしゃらないことが理由ですか?」
リリシアには、魔力がない。
リリシアだけではなく、魔法大国エストレインに暮らす約八割は魔力を持たない普通の人間だ。
それでもこの国の文化、生活の大半は魔法によって支援されている。ティーポットが冷めないようにするのも、魔法保温である。
魔法が使える研究者や開発者たちが、長年をかけて作ってきた器具、装置、建築物によって、誰もが平和に暮らしているのだ。
そして、セレスタはその強い魔力も見込まれて王家に入った身だった。
だからこそ、このまま彼女がリリシアに対して悪感情を持ち続ければ何が起こるかわからない――と、父と兄は考えたのだろう。
「さすがは我が妹だね。すぐに事情を理解している」
妹を溺愛するフェリドは、十七歳になった今でもリリシアを幼い子どものように扱う。
兄があまりに妹姫を大切にするあまり、第一王子が縁談に応じないのはリリシアのせいなのではという噂が立ったことさえあった。もちろん違う。
「セレスタの不安は、私のぎっくり腰が原因だろう。あれはたいそう繊細な女性だからな。たかがぎっくり腰とは考えられないらしい。これは何か悪い病気の前触れではないか、自分にだけ明かしてもらえないのではないか、と疑念に駆られている。まったく、困ったものだ」
そう言いながら、父の頬は甘く緩んでいた。
――ほんとうにお父さまは、お母さまのこともお義母さまのことも大切にしていらっしゃるんだもの。こういうところが魅力なのでしょうね。
「わかりました。お義母さまのお気持ちが穏やかになられるまで、わたしに王宮をこっそり離れていてほしいということでしたら、もちろんお受けいたします。わたしだって、お義母さまを苦しめたくはありませんもの」
亡き母に瓜ふたつと言われるリリシアは、母譲りのストロベリーブロンドを軽く手で払う。角度によって、光の混ざったように見えるピンクがかった金髪は、背中の真ん中ほどの長さだ。
小柄で年齢よりも幼く見られることが多いものの、愛らしい顔立ちに茶色の澄んだ瞳が、母とよく似ているらしい。
――お義母さまにしたら、王子を生めていないことも、前王妃であるお母さまが男児を生んだことも、そしてわたしがお母さまによく似た面差しであることも、すべてつらい状況なのかもしれない。
この国の紋章はクリスタ・フィデリタスと呼ばれる。結晶の周囲を囲む二本の羽根。左は白鷹、右は金鷲が、誠実なる光を表しているとされていた。ひいては、王家の信義を象徴するもの。
ならば、その紋章をいただく王女である自分が、誠実な光にならなくてはいけない。
「わたし、家出します」
「まったく、うちの妹は人の気持ちを慮ることにかけては天才的だ」
「お兄さま、その言い方だとそれ以外はちょっとぽんこつみたいに聞こえます。実際、否定できませんけど、ふふ」
十歳上の兄は、腕を伸ばしてリリシアの頭を撫でる。
ぽんこつ王女と呼ばれているかは知らないが、リリシアは元来おっとりした性格だ。
「少し世間知らずなところはあるけれど、きみは努力家だ。かわいいリリシア。それに、あまり王宮を出たこともないだろう? たまにはイリデュオ湖の別荘でのんびり過ごすのはどうかな」
社交界にも顔を出さない妹を、兄は心配しているのかもしれない。
「別荘で優雅に過ごす家出って、ほんとうに家出かしら」
「いいんだよ。実際家出というよりしばらく療養で王宮を離れるという体裁だからね」
ほんとうに王女が家出などしては、王家としての面目が立たない。
それに、義母セレスタからリリシアを少しの間、引き離しておくことが目的なのだ。どこで過ごしてもいい。王宮でさえなければ――。
「ふふ、それも楽しそう。わかりました。では、リリシアはしばらく消息不明になります。でも、王宮の皆が心配しないようにうまく説明しておいてくださいね?」
「ああ、任せておくれ、かわいいリリシア」
かくして、第三王女リリシア・エストレインは半円アーチと尖塔が融合した美しい建築様式の王宮から家出することになった。
生まれてから十七年、ずっとクリスティア王宮で過ごしてきたリリシアにとって、これはまたとない絶好の機会でもある。
教育は受けてきたものの、実体験の乏しい人生だ。これを機に、人生経験を詰みたい。
そう思ったリリシアが取った行動は――。

        § § §

おっとりして、おとなしく素直な性格だからといって、年齢相応の好奇心がないとは限らない。
実際、リリシアは好奇心だけなら魔法騎士にすら負けないほどだと自負している。それを発揮することがなかっただけなのだ。
「まあ、なんて活気に満ちているのかしら」
美しい湖畔の別荘で過ごすことを提案されたリリシアは、今、ひとりで王都ルミナス・セントリアを歩いている。
準備された馬車を断り、ひとりで街へ出てきただなんて兄が知ったら天を仰ぐに違いない。
――でも、せっかくの自由時間なんですもの。いい機会だから、社会勉強をしたいわ。
半日ほど王都を散策したら、乗合馬車で別荘地まで行くつもりだった。最低限の金貨と銀貨も持ってきている。
王家の馬車以外に乗る経験なんて、滅多にない。
これを逃したら、一生乗合馬車に乗れないままかもしれない。
いかにも高級なドレスは脱ぎ、貴族の侍女が休日に着るような、上品だけど控えめな麻と薄い綿の混紡を用いたドレスを選んだ。
上半身はスクエアネックに、レースの小さな襟付き。袖は七分でリボンの絞りが最近の流行らしい。
スカートは控えめに広がるやわらかな膨らみで、いつもリリシアが着ているドレスより軽くて歩きやすかった。
髪色だけは隠しようがないので、ドレスと共布でできた顎の下でリボンを結ぶ帽子をかぶっている。
つば広の帽子は、髪色だけではなく顔の半分ほどを隠してくれた。
それにしても、とリリシアは周囲を見回す。
石畳の広がる大通りは、朝から商人の声とパン屋の焼きたての香りでにぎわっている。子どもたちがじゃれ合って、水路に小舟を流して遊んでいた。魔導士用の露店が並ぶ通りでは、浮遊ランタンや動く文具が並び、魔法学校の制服を着た生徒たちがうろうろと商品を眺めている。教会前の広場では、
劇団が即興の恋愛喜劇をやっていて、観客がやんやと盛り上がって歓声を上げていた。
――わたしの知る世界とは、ぜんぜん違う。みんな、とても元気があって活力にあふれているのね。
カバンを両手で提げたリリシアは、田舎から王都にやってきたばかりの娘にも見えるのだろうか。
時折、親切な露店の売り子が「道に迷ったの?」と声をかけてくれるほどだ。
王都東区のサンジェール並木通り沿いを歩いていると、画材店や香水店の並ぶ落ち着いた中に、小さな白い店があった。
木の扉に丸い窓。看板には、手描きの白いさくらんぼの実が描かれている。店の名前は『ブラン・スリーズ』。どうやら、菓子工房のようだ。
店の前で、リリシアは足を止める。
ふわりと鼻先をくすぐるバターの香りに誘われて、店に入ってみたくなった。
けれど、華奢な脚を躊躇させるのは彼女がひとりで買い物なんてした経験がないせいだ。
――大丈夫。金貨も銀貨も持っているもの。きっと、お菓子を売ってもらえるわ。
そう思って、店の横にある窓から中を覗こうとしたとき、店の脇の掲示板に張られた『職員募集』の文字が目に入った。
何の気なしに見てみると、それは魔法騎士団の臨時補助職員を募集する張り紙である。
職務内容は、清掃・備品整理・文書整頓・厨房補助等。魔法適性不問。識字能力・体力ある方優遇。
勤務地は騎士団本部と東詰め所。食事と衣服は支給され、採用後は寮で暮らすことも可能――。
――これだわ!
リリシアは、食い入るように騎士団公認の魔印が捺された張り紙を見つめる。
面接日は、なんと本日午前十時。ちょうど、今からなら間に合う時間だ。
――魔法騎士団って、あの魔法騎士団よね。
正式名称は、王国直属聖光魔法騎士団。リリシアにとっては、小さな思い入れのある存在だ。
十年前、まだ七歳だったリリシアは姉たちに連れられて王宮での舞踏会にこっそり忍び込んだことがある。そのとき、迷子になって泣いていたところを見つけてくれたのが、新米騎士のゼイン=リュシアン・アルヴェリオだった。
ヴェルグレイア公爵家の次男であるゼインは、十六歳で入団し、二十歳で副隊長に昇格、二年前、二十五歳で異例の団長任命を受けた、この国きっての魔法騎士。そして、リリシアのほのかな初恋の相手でもあった。
もちろん、七歳だったリリシアがその後ゼインに会う機会があるはずもなく、成長してからは王女としてみだりに男性と会うわけにもいかず、いつもひそかに式典のときに彼を眺めるばかり。
ゼインにすれば、きっとあの日のことなど覚えているはずもない。
ならば、好都合だ。
――お兄さまは、ゼインと親しい間柄なのよね。羨ましいと前から思っていたの。だけど、わたしが騎士団で臨時職員になれば、お話する機会もあるかもしれないわ。
リリシアは、空腹を感じていたのも忘れて王都ルミナス・セントリアの北東区域へ早足に歩きはじめる。まだ、間に合う。面接会場には、もしかしたら彼もいるかもしれない。
こんなに心臓が高鳴るのは、人生で初めての経験だった。
石畳を急ぐリリシアは、頬を紅潮させてまっすぐに前へ進んでいく。
騎士団本部が見える通りに入ると、空気が少し引き締まったように感じる。騎士団周辺は治安がよく、ほかの大通りよりもしんと静まり返っていた。
王都の治安維持、近隣地域の魔物討伐、国境哨戒、王家護衛、魔法災害対応などを目的とする王立魔法騎士団の本部は、城壁の内側に隣接している。王家直属の団であるため、王宮との動線が短いのだ。
「……ここね」
三階建ての本部棟を見上げて、リリシアはわずかに圧倒されていた。
石造りの本部棟の前に立つと、その規模に息をのむ。王宮とはまるで別の規律と、静かな熱気が感じられる。
整備された訓練場では、剣と魔力の衝突音が遠く響き、正門を抜ける風が、鉄と薬草の香りを連れてくる。ここが、エストレイン王国を守る盾である魔法騎士たちの本部なのだ。
建物の窓という窓には魔導強化ガラスがはめ込まれ、外壁には魔力回路の刻印が走り、魔物の接近を察知する結界機能まであるという。
噂には聞いていたが、実際にこれほど近づいて確認するのは初めてだった。
面接会場は、本部棟の東館と書かれていた。
ポケットから魔法時計を取り出すと、時刻は午前九時四十五分。大丈夫、まだ間に合う、と自分に言い聞かせて敷地内を移動する。
ぐるりと一周歩いて、面接会場である本部棟の東館についたのは時間の六分前だった。一階の会議室が仮設の対応室になっているらしい。
外観は荘厳な石造りだが、中は意外と事務的で機能性を重視したシンプルな内装だ。もっと建物も剣と魔法のデザインが施されているイメージだったので、普通の内装に少しだけ安心する。これなら魔力のないリリシアでも、雑用係として働ける環境だろう。
廊下に置かれた椅子に座って待っていると、すぐに会議室に入るよう言われた。
「失礼いたします」
扉を開けると、目に入ったのはゼインだった。
――まあ! 団長自ら面接を?
会場の一角には、木製の長机、革張りの椅子、申し訳程度に置かれた観葉植物。その長机の向かって左端に二十七歳になったゼイン=リュシアン・アルヴェリオが座っていた。
長身のすらりとした体格で、日々の鍛錬を重ねた肉体に無駄のない線が通っている。黒曜石のごとき髪を、額からなめらかに後ろへ流した精悍なライン。騎士団の制服の第一ボタンはきちんと留められ、濃紺の詰襟からのぞく白いシャツが、その静謐な佇まいをより際立たせていた。
背筋は、軍人特有の揺るがぬ姿勢で伸びている。
組んだ指の奥で、鋼のような灰色の瞳がじっとこちらを見ていた。表情にはほとんど動きがない。
だがその視線だけが、ひどく静かで、どこかやさしさの残る熱を秘めていた。
――言葉を交わすのは、十年ぶりだわ。ゼインさま、お気づきになるかしら。
憧れの人に気づいてほしいと思うほのかな乙女心と、気づかれてしまったら王宮へ連れ戻されてしまうという悩ましい気持ちを感じながら、リリシアは会釈をする。
ゼインという人は、正面から目を合わせるのがほんの少しためらわれるほどの美丈夫だ。
騎士としての冷ややかさと、どこか憂いを帯びた静けさと、完璧に整えられた身なりの下に、ふいに覗く何かが呼吸さえ忘れさせてしまう。
「初めまして、わたしはリリです。魔法は使えませんが、がんばりますので働かせてください」
挨拶した瞬間、ゼインが一瞬眉根を寄せた。何かおかしなことを言っただろうか。
リリシアは王宮の中で完璧なマナーを学んできたつもりでいるが、それが外の世界で通用するかどうか自分でもあまりわかっていない。
変に気負いすぎず、いつもどおりの自分で話したつもりだが、それが市井での――いや、魔法騎士団での普通に当てはまっているか、自信がなかった。
「魔法適性なし、識字能力は十分。体力も問題なし。生活拠点は?」
だが、リリシアの不安はただの懸念だったらしい。
ゼインは順番に確認を行うと、必要最低限の言葉でリリシアに尋ねてきた。
「しばらくは、王都内の……ええと、宿を探しながら……その……」
「騎士団の補助職ならば、寮に住むことも可能だ」
「わあ、そうなったら助かります」
両手を小さくぱちんと合わせて、リリシアはにっこり微笑む。面接会場にいた、ゼイン以外の面接官や案内担当が、リリシアの返答と一緒にふわりと笑顔になった。
「それで、志望動機は?」
「社会勉強です。世の中のことを知って、自分にできることを学んでいきたいです。それで、誰かの役に立てたら嬉しいなって思います」
言っていないことはあるけれど、言ったことに嘘はない。
リリシアはじっとゼインを見つめる。
その視線に気づいているのか、いないのか。手にした書類を閉じたゼインが、無駄のない所作で椅子から立ち上がった。
「団長、どうされましたか?」
書類係の事務員らしき男性が、ゼインの行動に疑問を覚えたらしく話しかける。
ゼインは表情筋ひとつ動かさずに低い声で、
「採用する。正式な稼働は明日から。今日は必要な手続きを行っておくように」
即断即決を告げた。
さすがは、若くしてひとつの組織をまとめ上げる魔法騎士団の団長というべきなのかもしれない。
あるいは、彼にとって雑用係なんてよほどの問題人物でなければ誰でもいい可能性もある。
それでも。
リリシアにとっては、これは生まれて初めて王女としてではなくただのリリとして与えられた居場所だ。思わず胸が熱くなる。
「いいんですか? ありがとうございます」
――嬉しい。わたし、誰かの役に立てるわたしになるわ。お掃除だってお料理だって、きっとがんばれる。それに、ゼインさまのもとで働けるだなんて夢みたい。
乗合馬車で別荘地へ行くことは、すでに頭の中から消えていた。
けれど、家出そのものは遂行しているし、王立の魔法騎士団で働いて寮に暮らしていれば危ないこともないはずだ。
もちろん、ほんとうに行方をくらましたと知れば兄も父も心配するかもしれないが――。
――落ち着いたらお兄さまにお手紙を書きましょう。そうしたら、きっと安心してくださるわ。
エストレイン王国の第三王女として、リリシアはいずれ自分で選んだ相手ではなく、国のためになる誰かとの政略結婚をすることになる。
最初から決まっている自分の人生に不満はないけれど、その前にほんの少しだけ、初恋の人のそばで過ごしてみたかった。それが、今なら叶うのだ。
「補助職は常に人手不足だ。今のところ、ほかに応募者もいない。それにきみは――」
口を開きかけ、ゼインは言葉をのみ込んだ。リリシアには、そう見えた。
しかし、すぐに立て直した彼は小さく咳払いをしてまっすぐにリリシアを見据えた。
「何ができるかは、働きながら見ていけばいい。がんばるというきみの言葉を信じよう」
「はい、わたし、がんばります。それだけはよく褒められるんです」
かくして、王女リリシアは魔法騎士団の雑用係に採用されたのである。

      § § §

魔法書簡にサインをし、正式に臨時採用されたリリシア――いや、リリは、先輩職員から仕事の説明を聞く一日だった。
夕刻にゼインに呼ばれて、簡素ではあるが頑強な造りの馬車に乗せられる。
寮へ案内してもらえるものと思っていたが、到着したのは王都北部の静かな住宅街だった。
上級貴族が社交シーズンに滞在するタウンハウスの多い区画だ。王宮にも騎士団本部にも、徒歩で三十分ほどの場所であり、国内でもいわゆる高級住宅地とされる。
――こんなところに寮があるだなんて、魔法騎士団は特別なのね。
「ここだ」
ゼインが指し示したのは、二階建ての屋敷だった。
屋敷の外壁は明るい灰色の石造りで、温かみのある質感がある。
屋根は落ち着いた藤色の瓦が敷き詰められ、建材は王都でも選び抜かれた石を使用しており、雨に濡れても品のある色合いを保つタイプだ。外壁の一部には装飾的な漆喰の細工が入り、石の重厚さと優雅さを両立している。
「まあ、なんて瀟洒な造りでしょう。騎士団の寮は、美しい建築物なのですね」
邸宅を見上げたリリに、ゼインが奇妙な視線を向けてくる。
「寮ではない」
「そうなのですか?」
では、ここはいったいどこなのか。
リリが尋ねる前に、彼は「俺の自宅だ」と言って玄関の扉を開けた。解錠の仕方から、建物の外側に魔法結界が張られているのがわかる。
ゼインのあとをついて室内に入ると、そこは生活感があるのにやけに静かな空間だった。もしかしたら防音魔法もかけているのかもしれない。
「あの、団長さんは寮にお住まいじゃないんですか?」
自宅と彼は言った。だが、普段は寮住まいという可能性もある。
リリの質問に、ゼインは廊下を歩きながら答えてくれた。
「俺は団長としての機密任務・警護責任を多く抱えている。本部敷地外で非常時に対応できる臨時指令拠点としての居宅を国から与えられている」
臨時指令拠点。リラックスするための家ではなく、この屋敷は彼にとって任務の一環ということなのだろう。二十四時間、三百六十五日、彼は魔法騎士団団長として生きているのだ。
「団長さんともなるといろいろ大変なんですね。機密任務……だから、ご家族と暮らすこともできないということ、でしょうか」
少しだけ、彼の重い役職が心配になった。
もしこの先結婚し、家庭を持ったときに、ゼインはどうするのだろう。あるいは、命を狙われる可能性を考慮して独身を貫くのだろうか。
そこまで、魔法騎士団に人生を捧げていると言われてもゼインならばありえそうだと思ってしまう。
――わたしがゼインさまと結婚する未来なんてきっとないけれど、それでもゼインさまには幸せでいてほしい。温かい家庭と気高き仕事の両立だってできるはずだもの。
「ああ、そうだ。だが、俺は今のところ独り身で、共に暮らす家族はいない。そしてきみは今日から団員だ。俺の屋敷で暮らし、機密を知ったとしても問題はないということになる」
――え? 今の、どういう意味? わたしがここでゼインさまと暮らすみたいな……。





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