この恋、契約ですよね? 出戻り悪役令嬢と公爵閣下の密愛事情【本体1300円+税】

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●著:浅見
●イラスト: KRN
●発売元:三交社
●発行元:メディアソフト
●ISBN:978-4815543501
●発売日:2024/10/30


その表情も、声も、まるで初心な淑女のようだ


社交界で悪女と噂のヴィオラは国王から弟の公爵ルーファスの女嫌いを治すための契約恋人になるよう頼まれた。
 謝礼に釣られて引き受けたヴィオラだったが、実は彼女は妹の病の治療費のため金を出してくれる相手を探して悪評が立っただけで、本来は質素な倹約家でありベッドでのことも未経験。逢瀬のためにあてがわれた屋敷でも、蝋燭代や使用人を節約した庶民的なもてなしをし、悪印象を抱いていたルーファスはヴィオラが�牋�女�瓩任△襪海箸魑燭せ呂瓩襦�そしてついに初めての夜がはじまって……。




第一章
カツン――と、低い踵が大理石の床を叩いた音は、さほど大きくなかったはずだけれど。
ヴィオラが宮廷のホールに足を踏み入れた瞬間、舞踏会の楽しげなざわめきは、まるで水を打ったように静まり返った。
人々が息を呑んでこちらを見つめる。
ほどなく、ひそひそと話す声がホールに響き始めた。
「まあ……あちらはヴィオラ様ではありませんこと?」
「彼女はつい先日、夫のマルティ伯爵を亡くされたばかりのはず」
「マルティ伯爵はご高齢で、ヴィオラ様と結婚した翌日に亡くなったという話」
「まだ伯爵の喪も明けていないというのに舞踏会とは、なんと非常識な……」
フリルをあしらった扇で上品に口元を隠し、一人がくすりと笑う。
「ご存じ? ヴィオラ様とマルティ伯爵は再婚で、最初の結婚はあの悪評高い商人エルマンとだったの。でも、結婚式の翌日に離縁されたそうよ」
「悪人にすら捨てられるなんて、よほどの性悪なのでしょうね」
その声量こそ控えめだが、会話を隠すつもりはなさそうだ。なにしろ彼女たちが話している内容は全て事実なので、ヴィオラに聞かせても悪いとは少しも感じていないのだ。
ヴィオラはつんと小さな顎を上げると、赤いドレスの裾を靡かせ、ホールの奥へ進んでいった。
――どうぞ、好きに言ってちょうだい。
気にしたって仕方がないし、こちらはそれどころではないのである。
ヴィオラは夏空を映した硝子のような薄青色の瞳を左右に動かし、ゆっくりとホールを見渡した。
それから慎重にパートナーがいない男性を探していく。
――あちらの男性は高級そうな服を着ているけれど……靴が古びているわ。
恰幅の良い五十代ほどの男性を一瞥したあと、すぐにまた視線を移す。
――あちらの男性は装飾品も豪華だし、お金持ちそうだけれど……ダメね。まだ若いし、曰く付きの出戻り女に手を出すような好色には見えないもの。
ヴィオラは、小さな唇をきゅっと横に結んだ。
――なんとしても新しい結婚相手を探さなくちゃ、今夜が最後のチャンスなんだから。
その時、使用人が運んでいるワイングラスにヴィオラの姿が映った。
軽く結い上げた髪は、明るく華やかな金色。ぱちりと大きな双眸には、薄青色の瞳が輝いている。肌は雪のように白く、頬と唇は淡い桃色。首は細く長く、体つきは華奢だ。
誰がどう見たって美しい女性だろう。
加えて年も二十一才と、まだまだ花の盛り。
――これが、いま私の持っている全て。
若さと美しさ。この武器をもって、ヴィオラは今夜中に三度目の結婚相手を見つけるつもりでいた。
それもできるだけお金持ちの。
今夜は外交使節として隣国ルシブへ赴いていた公爵の帰国を祝う舞踏会で、国中から有力貴族が集まっている。
――まさか私に宮廷舞踏会の招待状が届くとは思ってもみなかったけれど。
誰かが囁いた通り、ヴィオラはまだ喪中だ。
しかも夫を亡くした自分には、宮廷舞踏会に来られるような高い爵位もない。
いったいどういう理由でここに招かれたのかはわからないが、この機会を無駄にはできない。
財力を持った未婚男性と出会える場所は限られており、自分が抱えているタイムリミットを考えると、これが最後のチャンスとなるからだ。
なんとしても『出戻りの性悪でも構わないから、若くて見目の良い女性を侍らせて良い気分になりたい』と思っている、好色で、かつ金払いの良い男性を見つけなくては。
ヴィオラはきょろきょろと会場を見渡した。
ひとりの男性と軽く肩がぶつかったのは、そんな時である。
「すまない」
こちらもよそ見をしていたが、それは向こうも同じだったようだ。
深みのある声で謝罪がなされる。
「いえ、こちらこそ……」
ヴィオラはそう言って顔をあげ――息を呑んだ。
目の前に立っている男性が、信じがたいほど美しい容姿をしていたからだ。
――この方は……?
それなりに社交場に出入りしてきたヴィオラの記憶のなかに、彼の姿はない。
――そして、身長が高すぎるわ……。
至近距離で見上げていると、首が痛くなりそうだ。ヴィオラは一歩後ずさってから、再び男性を見つめた。高い身長に、長い手足。テールコートが非常によく似合っている。
かすかに波打つ髪は、まるで秘密を隠した夜のように深い黒色だ。
鋭く、切れ長の双眸に輝くのは、冷たいアンバーの瞳。すっと通った高い鼻筋に、薄い唇と、その顔立ちは整いすぎて冷たく感じるというより――もっと、そう、ぞっとするほど美しい。
気を抜くと魂を抜かれてしまいそうで、ヴィオラはすぐに男の前から立ち去ろうとした。
しかし彼は思いのほか強くヴィオラを見つめており、その視線に縫い止められてしまって、思うように動けない。
「あの……」
ヴィオラが戸惑いの声をもらした瞬間、近くにいた人物が、なにやら彼に耳打ちをした。
「ああ……彼女が、あの……」
その声には、あきらかな落胆と軽蔑が込められている。彼がヴィオラの名前を聞かされたことは疑いようがなかった。『あの悪名高い性悪女ヴィオラ・フィランティである』と。
彼の琥珀色の瞳に宿っていた、熱のようなものがすっと消えていく。
そしてヴィオラへの興味を完全に失った様子で前を向くと、そのまま何も言わずに立ち去った。
――なによ……。
人から悪意を向けられるのには慣れているはずなのに、どうしてか胸がずきりと痛んだ。
きっと怒りのせいだろう。
ヴィオラは振り返って男の背中を睨みつけた。
――勝手に見つめてきたくせに、こちらの名前を知った途端にあの態度!
いくらなんでも失礼すぎる。
唇を尖らせたところで、彼を熱心に見つめる女性たちの声が聞こえてきた。
「ルーファス様、本当に素敵だわ」
「外交使節として国を代表し、お仕事をされたことで自信がついたのでしょうね……さらに魅力的になられたみたい」
――ああ……彼がルーファス様なのね。
ヴィオラはひそかに納得して頷いた。
自分が知らないはずである。
彼は一年前から隣国に滞在しており、不在だったのだ。
そしてヴィオラが社交界に出入りし始めたのも、ちょうどそのぐらいの時期だった。
――公爵様なんて、こちらから願いさげだわ。
ルーファスの顔を思い出すとまた胸がずきずきして、ヴィオラはふんと前を向いた。
ヴィオラが求めているのは、財力があり、好色で、若くて綺麗な女性ならなんでもいいという、金払いの良いおじさんなのだ。公爵なんて、財力があるぐらいしか条件に一致しない。
――余計なことを考えていないで、さっさとそういう男性を見つけなくっちゃ。
ふっと短いため息を吐き出して、ヴィオラは再びホールに視線を巡らせた。
それから程なく、五十代ほどの恰幅が良い男性を見つけ、ヴィオラは薄い青色の瞳を輝かせた。
ぎらぎらとした装飾品を身に着けた、いかにもなお金持ちが、鼻の下を伸ばしながら近くを通り過ぎる若い女性たちの腰やお尻を眺めている。
――あの方こそ、私の運命の人に違いないわ!
ヴィオラはドレスの裾を翻し、意気揚々と彼の方に歩み寄ろうとし――。
「ヴィオラ・フィランティ様ですね?」
しかし彼に声をかけるより早く、見知らぬ紳士が話しかけてきた。
振り返ったヴィオラが「はい」と答えると、彼はうやうやしい態度で言葉を続けた。
「国王陛下が、あなたをお呼びです」



ヴィオラが連れてこられたのは国王の個人的な書斎だった。
「ああ、ヴィオラ嬢、突然呼び出してすまなかった」
ソファに腰掛けたまま鷹揚に手を上げる国王に、礼儀を尽くして一礼する。
「本日は舞踏会にお招きいただきありがとうございます」
しかしその声も動作も、緊張で少しぎこちないものになった。
――これまで、陛下のお姿は遠目に拝見したことがある程度だったけれど……。
不躾にならない程度に、ちらと視線をあげてその姿を見つめる。
国王の名はサミュエル・フェルナリア。
金色の髪と琥珀色の瞳が印象的な、三十代後半の男性である。
――こう見ると、やはりご兄弟ね……ルーファス様と顔つきが似ておられるわ。
瞳の色も同じだが、そのアンバーの輝きから受ける印象はまるで異なる。
サミュエルの瞳が色味の通り温かさを感じさせるのに対し、ルーファスのそれは、見つめるだけで人を射殺せそうなほど冷たかった。
――確か、お二人はお母様が違うのよね。
サミュエルは王妃の子だが、ルーファスは愛妾の子である。
ヴィオラの人生にはこれっぽっちも関係がない情報なので、それ以上のことは知らないが。
「まあ、まずは座ってくれ」
サミュエルはヴィオラに椅子を勧めると、鈴を鳴らして使用人を呼び、紅茶を淹れさせた。
使用人が仕事を終えると、あらためて人払いを命じる。
「他でもない、君をここへ呼んだのは、個人的な頼みがあったからだ」
二人きりになった所でそう話を切り出され、ヴィオラは思わず眉を顰めた。
――頼み……?
ろくでもない話だと、すぐにぴんときた。なにしろヴィオラは二度の結婚を経験し、性悪と噂が立つ未亡人である。国王がまともな頼みごとをする相手ではない。
「あの……それは、いったいどのような?」
「そういえば、今日は君のパートナーはどうしたんだ? ホールでは一人だったようだが」
質問を質問で返された。
「友人のアルバートン子爵家のアンリ様と一緒に参りましたが……その、彼はホールに入る前に恋人と会い、共に庭園へ向かわれました」
宮廷舞踏会にはパートナーの同伴が必須である。しかし相手が夫婦や恋人でなければ、会場では別行動を取ることが多い。
とはいえ、会場に入る前から別行動をするのはさすがに珍しいだろう。
――だけど私からしたら、入り口まで同伴してくれただけでもありがたいのよ……。
アンリは特別な事情から恋人とは宮廷舞踏会に同伴できず、今夜はヴィオラのパートナーを務めてくれた。ヴィオラもその事情を理解しており、アンリの行動には納得している。
「自由な恋愛をしているようで、なにより」
サミュエルが満足げに頷く。
――いったいなんなのかしら?
話の行方が読めない。
ずっと緊張しているせいで喉も渇いてきて、ヴィオラは淹れてもらった紅茶に口をつけた。
「さて、件の頼みだが……ヴィオラ嬢、弟の恋人になってやってほしいのだ」
思わず紅茶を噴き出しかけた。
さすがにそれは堪えたものの、激しく咳き込んでしまい、次の言葉を続けるのに時間がかかった。
「こ、恋人……陛下の弟ということは、ルーファス様のですか?」
「そうだ。もちろん永遠にというわけではない、ごく短い期間だ」
脳裏にルーファスの姿が浮かび上がる。
――恋人? 私が……あの方の。
胸がざわめき、想像すると顔が熱くなった。だが、それも一瞬のこと。サミュエルは『ごく短い期間』と言った。なにか事情のある話に違いない。
「……理由を聞いてもよろしいですか?」
「先頃、弟がオンズワルト公爵位を継承したのは知っているね?」
「それは、もちろん」
先代オンズワルト公爵は彼らの叔父で、数年前、後継ぎに恵まれぬまま亡くなった。
それからしばらくは空位となっていたが、ルーファスが外交使節を務めるにあたり叙任されたのだ。
「弟も公爵を継いだからには、賢明な結婚をし、子をもうけ、末永く王家を支えていくよう努めなければならない」
「……はい」
「実際に良い縁談も来ている。隣国ルシブの第三王女が、公爵家に輿入れしても良いと言っているのだ」
「王女様が……それは、おめでとうございます」
「うん、縁談がまとまれば我が国とルシブの関係はさらに強固となるだろう」
このフェルナリアは広大な領土と軍事力で知られる大国である。
対してルシブの領土は広くないが、貴重な資源を有している。
王弟ルーファスが一年にわたりルシブに滞在したことからも、両国関係の重要性は明らかだ。
「しかし弟は極度の女性嫌いでね、王女はもちろん、誰とも結婚はしないと頑なだ」
「女性嫌い……」
「弟は昔からよく女性に好かれる。それで何度か嫌な思いをし、女性はこりごりと思っているようだ。そうして女性を遠ざけているうちに、弟は女性の良さを理解する機会を失い、頑なになっているのではないかと私は考えている」
ヴィオラは曖昧に頷いた。
ルーファスの女嫌いは分かったが、それがどう転がって自分が恋人になんてことになるのか。
「だから、まあ遊びの一つでも覚えて、女性がそう悪いものではないと理解すれば、弟の気も変わるのではないかと思うのだ」
と、そこでようやく話が繋がった。
「……つまり、私に閣下の閨の相手をしろということですね?」
恋人というのは建前で、ようはヴィオラに弟の愛人になれと言っているのだ。
「言葉を選ばずにいえばそうなる」
頷くサミュエルに、眉を顰めた。
――そりゃ、王侯貴族が愛人を持つのは珍しくないことだけれど。
もっと言えば、愛人の斡旋も上流階級ではよくある話だ。
さすがに兄から弟にというのは聞かないが、彼らは王族であり、女性関係も政治に直結するのだろう。
――だからって、どうして私が。
すぐにでも断りたいが、相手が相手だ。
穏便に辞退する理由を探すため、もう少し話を聞くことに決めた。
「ですが……閣下に愛人など、ルシブの王女に対して失礼にあたるのでは?」
「まだ縁談を受けたわけじゃない。弟と王女は婚約者でもなければ、恋人ですらない。今なら不義理には当たらないだろう?」
女性側の気持ちを考えると、同意しがたいところだ。
「これは単なる男女の問題ではない。弟の気が変われば、両国にとって良い結果がもたらされる」
「ならば、陛下が結婚をお命じになればよいのでは?」
「本人が納得しないまま無理に結婚させても、弟も王女も幸せにはなれないだろう」
なるほど、とヴィオラは内心で唸った。
――陛下は閣下の女嫌いを治したうえで、王女と結婚をさせたいのね。
その手段の是非はともかく、兄なりに弟の幸福を願っているわけだ。
ヴィオラにも妹がいるから、気持ちだけは理解できる。
「……どうして私なのですか?」
「弟が、熱心に君を見つめていたからだ」
舞踏会のホールで、ルーファスと肩がぶつかった時のことだろう。
「弟が女性に興味を持つところを、私は初めてみた」
「まさか、さっきのいまで、私を閣下の愛人に選ばれたのですか?」
ぱちっと目を瞬かせるヴィオラに、サミュエルは首を横に振った。
「もちろん、それだけが理由ではない。以前から条件に合う女性を探していて、その候補のなかに君がいたんだ」
「条件?」
「弟の立場上、その相手は身元の確かな貴族の女性が相応しい」
確かに、ヴィオラは伯爵家の生まれだ。
――私はその選定のために今夜の舞踏会に呼ばれたのね。
おかしいと思っていたが、これで理由が分かった。
「さらに君は若く、とても美しい女性だが、すでに二度の結婚を経験しており、その年頃の他の令嬢に比べて、厳格な貞操の規範に縛られることがない。こちらとしても頼みやすい」
サミュエルは「ただ」と言葉を続けかけ、途中で呑み込んだ。
だが言いたかったことは分かる。
「私には性悪という噂があった、ということですね?」
「君が、世間で言われているような女性でないことは分かっているつもりだ」
自嘲するヴィオラに、サミュエルは穏やかに続けた。
「二度の結婚と、アルバートン子爵家のアンリとの関係を見るに、恋に奔放なのは確かなようだけれど、それ以外に素行が悪いという報告は無かった。財力のある男性を探しているようだが、君のご実家のことを思えば、安定した生活を求めるのも無理からぬことだ」
その話には二、三の間違いがあったが、ヴィオラは聞き流した。
彼が知りたいのは、ヴィオラが弟の愛人として適切かどうかということであり、その人生にまで興味はないだろう。ヴィオラとて、彼に知ってほしいとは思わない。
「まずは君と会って、話をしてから頼もうと考えていた」
ヴィオラは相づちを打ちながら、軽く首を捻った。
――さて、どう言って断ろうかしら。
話はわかったが、やはり引き受けようという気持ちにはならない。
――私にはなんの得もないし、そんな時間もないもの。
それとも見目麗しい公爵閣下の愛人なら、誰でも喜んで引き受けると思っているのだろうか。
まったく、弟も弟なら兄も兄である。
「陛下、申し訳ありませんが……」
「もちろん、報酬は支払う」
「報酬……?」
ヴィオラはぱちりと目を瞬かせた。
そしてサミュエルが提示した金額を聞くと、バンッと両手でテーブルを叩いて立ち上がった。
「五千万リベラ!?」
白いカップがカチャリと音を立て、なかの紅茶が波打ったが、ヴィオラはそれには目もくれず前のめりになった。
「貴婦人に愛人を頼むというのは失礼な話だが、君も財政的に安定した生活を求めているようだったから、お互いに悪い話ではないと……」
「やります! やらせていただきます!」
言葉を遮る勢いで頷くヴィオラに、サミュエルが軽くのけぞる。
ヴィオラはまっすぐに彼を見つめると、力強く言い放った。
「公爵閣下の愛人、謹んでお受けいたします!」






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