【1月30日発売】美貌の騎士様の一途な執着愛からは逃れられないようです【本体1300円+税】

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●著:御厨 翠
●イラスト:天路ゆうつづ
●発売元:三交社
●発行元:メディアソフト
●ISBN:978-4815543815
●発売日:2026/1/30


悪役令嬢の護衛騎士は執着心強めのヤンデレでした


公爵令嬢フィロレンツィアは王太子の婚約者候補だったが、王妃から疎んじられ社交界では�牋�役令嬢�瓩箸留修鯲�されていた。
彼女の護衛に王から派遣された騎士ウォルフリックは王妃からフィロレンツィアの監視を命じられていたが、実はそれ自体彼の策略でフィロレンツィアのためなら王妃殺しも厭わないという。
「愛しています。あなたは私のすべてだ」美貌の彼に迫られ心揺れるフィロレンツィアは!?






プロローグ



(殿下はどちらにいらっしゃるのかしら?)
この日、フィロレンツィアは父であるオステンドルフ公爵に連れられて登城していた。
王太子・ディルクの婚約者候補に選定され、顔合わせが行われるためだ。
ディルクはフィロレンツィアの二歳年下で、今年九歳になる。シッテンヘルム王国唯一の後継者だ。二大公爵家の一翼を担うオステンドルフ家の娘が婚約者候補に挙がるのは当然だった。
『まずは年の近い者同士で交流を深めよ』
国王の命により、城には候補者の令嬢が集められていた。
――だが。ディルクがいるという庭園に足を向けたものの、そこには誰もいなかった。しばらく待ってみても、人影ひとつ見つけられない。
(……もしかして、ここではない場所にいらっしゃるのかしら)
状況を尋ねようにも、案内してくれた城のメイドはいつの間にかどこかへ行ってしまっていた。
その結果、フィロレンツィアはひとりで庭をうろつくことになってしまったのである。
(少し捜してみて、いらっしゃらなかったらお父様のもとへ戻ればいいわ)
公爵家としては、王太子の婚約者候補に挙がった以上、その座を手に入れるのは使命だった。王家とのつながりが強くなるという単純な理由ではなく、派閥間の均衡の問題だ。
父からは、『陛下と王太子の歓心を得よ』と厳命されている。『我が家門の王室入りを陛下は望んでいるゆえ、横やりさえ入らなければ正式な婚約者になるだろう』と。
高位の貴族に生まれたからには、政略結婚は当然の義務だと受け入れてはいる。そのために、幼少より淑女教育を施されてきたと言っても過言ではない。
慣れない庭園で周囲を見渡し、人の姿を捜す。けれど、いくら進めど使用人すら見当たらず、途方に暮れたときである。
「なんだ、その生意気な目は! 性根をたたき直してやる……っ!」
静寂を切り裂くように、怒声が響き渡った。
びくりと身体を震わせたフィロレンツィアだが、すぐに平静であろうと努める。いついかなるときも、他人に感情を気取られてはならぬと教え説かれているからだ。
(……衛兵を呼んだほうがいいかしら)
もしもなんらかのもめ事であれば、早めに対処すべきだ。
まずは状況を正確に伝えようと、音を立てないように近づいていく。すると、石壁を隔てた先から再度男の声が聞こえてきた。
「この俺がいる限り、騎士団で貴様が昇進することはない!」
(騎士団……?)
壁に隠れてそっと窺うと、拳を振り上げて怒鳴り立てている男の姿が見えた。金の髪を振り乱し、無抵抗の人間を嬲っている。
城には王室騎士団の騎士が常駐し、訓練場も設けられている。城を守る近衛兵とは別に、有事の際に最前線で戦うのが彼らの役目だ。
王家に剣を捧げて命に従う、王国随一の戦闘力を有する者。それが王室騎士団だと教わった。
(それなのに、影でいじめるような真似をするなんて)
抵抗もせずに黙って殴られ蹴られていた騎士は、とうとう地面にその身を沈ませた。美しい銀髪は土に塗れ、紫眼の瞳は感情が欠落したように虚ろだった。
彼はただ、時間が過ぎ去るのを待っている。生きる気力が失せた様子に胸が痛んだ。まるで、空を羽ばたく鳥が、翼をもがれたように見えたから。
「――そこの騎士さま」
フィロレンツィアは一歩足を踏み出し、凜と声を放った。
人がいると思わなかったのか、怒声を放っていた騎士が驚いて振り返る。
「……ご令嬢。このような場所におひとりでいかがされましたか」
「わたくしは、オステンドルフ公爵の娘、フィロレンツィアです。王太子殿下とお会いするため訪れたのですが、道に迷ってしまいました。まさか、陛下のおわす城内でこのような暴行事件を目にするとは思いませんでしたわ」
オステンドルフ公爵の名は武器になる。王国の二大公爵家の一翼を担う家名の前に、無体な真似をする輩はそういない。
案の定、暴行を働いていた騎士も、闖入者が公爵令嬢だと知るやいなやバッと膝をついた。
「王室騎士団所属、エックハルト・ランゲと申します。この者は、我が騎士団所属の新人で、指導をしていたに過ぎません。どうか誤解なされませぬよう」
「まあ……騎士団では、一方的な暴力を指導と呼ぶのですね。ちょうど父もお城にいることですし、この件を報告しておくことにいたします」
エックハルトは、わなわなと唇を震わせた。怒りを覚えているようだが、公爵家の令嬢を相手に怒鳴り散らすことはできない。
自分の部下でもなく、まして身分の高いフィロレンツィアにそのような真似をすれば、咎められるのは彼自身だ。
「……お父上にご報告されるようなことではございません。ご容赦願えませんか」
「では、即刻医師を呼んでくださいますか? そちらの騎士さまは、お怪我をされていらっしゃいます。このまま立ち去るのは、わたくしとしても心配です」
「っ、承知しました。すぐに医師を呼んでまいります」
エックハルトが足早にその場を離れると、フィロレンツィアは倒れている銀髪の男の傍らに膝をついた。
「起き上がれますか?」
「……放っておいてください。あなたのドレスが汚れる」
「汚れは落ちるけれど、怪我は放置すれば悪化するだけだわ」
そう言って手巾を差し出すも、よろよろと身体を起こした男に振り払われてしまう。
「何が目的ですか」
「え……?」
「俺を介抱して、あなたになんの得がある……っ!?」
声を張り上げた男は、痛みに耐えかねたのか咳き込んだ。ふたたび土に沈み、もんどりを打つ相手を前に、フィロレンツィアは「しっかりして!」と活を入れる。
「苦しむ人に手を差し伸べるとき、損得は考えません。わたくしは、見て見ぬふりをするのが嫌だったから、あなたたちに声をかけたの。自分のためにあなたを助けるのです」
淡々と語ると、落ちた手巾を拾い上げる。土を払って男の顔の血を拭えば、びくっと身体を震わせて動かなくなった。
野生の獣のようだとフィロレンツィアは思った。警戒心が強く、心を閉ざして自分を外敵から守ろうとしている。その姿は気高く美しいけれど、どこか痛々しさがあった。
「なぜ、無抵抗だったのですか?」
騎士団の序列は、身分に関係ないと教師から習っている。だから、平民でも役職に就ける機会があるのだ、と。
これは国王ではなく、王妃の命で決定したことだという。厳しい身分制度の敷かれる王国内において革新的だと言われていたが、エックハルトの振る舞いを見る限りでは大義は形骸化し、結局序列に囚われているように思えた。
これでは貴族社会の階級が序列に成り代わっただけ。しかも騎士団は暴力に訴える輩がいるのだからたちが悪い。
「……抵抗すれば、よけいに殴られるのですよ。それなら、いっとき我慢したほうがマシです」
ぼそりと男が呟く。彼は今までそうしてやり過ごしてきたに違いない。
ある意味それは正解だ。あえて摩擦を起こさずにいれば、その場は丸く収まる。自分の気持ちを主張するには、相応の覚悟がいるのはフィロレンツィアも理解するところだ。
けれど、これだけは言える。
「�爐い辰箸��瓩蓮�気づけば永遠となっているかもしれません。相手が無抵抗だとわかると、人間は途端に増長する生き物だから」
昔、同年代の子どもが集められた茶会があった。淑女教育が始まってしばらくしたころのことだ。
『ねえ、あなたってオステンドルフ公爵家のご令嬢でしょう?』
『……ええ』
『公爵さまに似ていないのね。髪の色も全然違うわ』
無遠慮に話しかけてきたのは、伯爵家の令嬢だ。
確かに彼女の言うように、フィロレンツィアは髪や目の色が父とは違う。だが、柘榴の果実のような深い色を湛えた赤髪も、翠玉の煌めきを思わせる瞳も、母から受け継いだものだ。
けれど、あえて口に出す必要はない。自分だけがわかっていればそれでいい。
そう思っていたのに、令嬢の口は止まらない。フィロレンツィアが無言なのをいいことに、ぺらぺらと捲し立ててくる。
『おかあさまから言われたの。公爵家の子と仲良くしなさいって。だからわたくしが、お友だちになってあげるわ!』
令嬢が話している声を聞きつけたのか、それまで遠巻きだったほかの令息や令嬢が近づいてくる。
『オステンドルフ令嬢、僕ともお話してください』
『うちのお茶会にお誘いしなさいって、両親から言われてきたの。来てくださいますか?』
人が増えてきたことで、自分が話題の中心になったと思ったのだろう。最初に声をかけてきた伯爵令嬢は、得意げに言い放った。
『わたくし、フィロレンツィアさまとお友だちになって差し上げたのよ。お話がお上手でないようだから、みなさんたくさん話しかけてあげてね』
その瞬間、ぴくりとフィロレンツィアの片眉が引きつった。
皆、高位貴族であるとはいえ、幼い者ばかりだ。まだ本格的な教育を受ける年齢でもなかったことがわざわいしてか、親の思惑を隠しもせずにのびのびと発言している。
しかしフィロレンツィアは、公爵家の娘として早くから�爐海寮い了伝箸澂瓩魘気錣辰討�た。
ゆえに、同年代の子らよりも遙かに理解している。この世には様々な人間の思惑が蠢き、貴族の間で交わす会話は細心の注意を払わねば足を掬われることを。
『――誰が名前を呼ぶことを許しました?』
フィロレンツィアは表情なく、�犲�称お友達�瓩鮓�据えた。
『お友達は自分で選ぶから、あなた方の主張は必要ないわ。オステンドルフ公爵家にふさわしい家門と人格を備えた方でなければ友人と呼びたくないわ』
立場の違いをわからせるには、迂遠な言い回しでは通じない。まして相手は、親の思惑も汲み取れないような子どもだ。ここで彼らを受け入れれば、フィロレンツィアのみならず、公爵家が侮られることになる。
『も、申し訳ありません……っ』
自称お友達の伯爵令嬢は、ようやく失態を自覚したらしく、泣きそうな顔をしている。けれど、彼女はことごとくフィロレンツィアを軽んじる発言をしていた。ここで許したとしても、また同じことを繰り返すのは目に見えている。
謝罪は受け取らず、あえて高慢に振る舞った。そうすることが、自分や家名を守ることになると、幼いながらに実感したのである。
昔の出来事を思い返しながら、フィロレンツィアは目の前の騎士を見据えた。
「『牙を剥かない相手を恐れる者はいない』と、お父様は言っていたわ。だからわたくしは、自分の矜持のため、家名のために、毅然と対応しなければならないし、そうあるべきだと思っているの」
もちろん、貴族社会と騎士団とでは状況が異なる。それでも、人として耐えることとそうでないことに大きな齟齬はないはずだ。
「……あなたは、強いですね」
それまで黙って話を聞いていた男は、ふ、と、吐息をついた。
「自分自身の価値を正しく理解し、相手を牽制する。油断のならない人間が蔓延る世界では、正しい処世術というわけだ」
独白のような言葉と共に、視線が絡んだ。
エックハルトに暴行されていたときは光を失っていた瞳に、今は生気が宿っている。
「俺は、ウォルフリック。この名を覚えていてください。いつか必ず、またお会いするでしょう」
――綺麗だ、とフィロレンツィアは思った。たとえ土に塗れていようと、もとの美しい顔立ちは隠しようがない。
「オステンドルフ嬢! ご指示通りに医師を連れてまいりました」
彼が宣言したと同時に、エックハルトが医師を連れて戻ってくる。嫌々というのが明らかで、フィロレンツィアはため息をついた。
「お医者さまには、この方の治療をお願いいたしますわ。わたくしはお城へ戻りたいのだけれど、案内してくださるかしら? ランゲ卿」
「ご用命とあらば」
彼を治療する場に、エックハルトを同席させないほうがいい。
とっさにそう判断して立ち上がり、ドレスの裾についた土を払った。
「では、あとはよろしくお願いいたします」
公爵令嬢らしい気品をもって挨拶をすると、エックハルトを伴ってその場を後にする。
このときの出会いがのちの人生に大きく影響を及ぼすとは、フィロレンツィアはまだ知るよしもなかった。



第一章 美貌の護衛騎士は腹黒い



シッテンヘルム王国は、大陸のほぼ半分を領土に持つ大国だ。海に面した温暖な気候で、豊富な資源と豊穣な土地を有しており、民の暮らしも安定している。
他国との関係も良好であることから戦の心配もない。これは、今代国王のアダモ=ケルビー・シッテンヘルムの手腕によるところが大きかった。
「――皆の者、我が城によく集まってくれた。今宵は春を存分に満喫し、楽しんでもらいたい」
王国では、一年を通じて大きなパーティが数回開かれる。そのうちのひとつが、『春の祝祭』と呼ばれる催しで、冬の終わりと春の訪れを感謝し、豊穣を祈願する名目で貴族が集められるのだ。
主立った貴族が参加する大規模なパーティとあり、年頃の令息や令嬢らのパートナー探しの場にもなっている。
(……今年も退屈だわ)
壁際で会場を眺めながら、フィロレンツィアは心の中で呟いた。
今日のパートナーは父であるオステンドルフ公爵だが、父は自身が率いている『貴族派』の面々との交流で忙しい。
城へ向かう馬車の中で、『おまえは会場の様子に気を配っていなさい』と命じられ、会場に入った途端に別行動になった。
(積極的に交流をしたい人なんていないし、お友達と呼べる人も少ないもの)
自分に近づいてくるのは、父と接点を作りたい者がほとんどだ。フィロレンツィア自身と縁を結ぶのは、今は難しいと皆が知っていた。
なぜなら、現在、王太子であるディルク・シッテンヘルムの婚約者候補だからだ。
正式な婚約者ではなく�犖�補�瓩覆里詫�由がある。オステンドルフ公爵家を筆頭とする『貴族派』と、王妃・ヒルダ・シッテンヘルムを中心に形成された『王家派』の対立が原因だ。
(わたしは、王太子妃になんてなりたくないのに)
実際、ディルクと親しく会話を交わすことなどまったくない。王妃とも同様だ。特に王妃は、自身の家門から王太子妃を望んでおり、フィロレンツィアには目もくれない。
唯一気さくに声をかけてくれるのが国王のアダモだったが、これは貴族派と良好な関係を築くためで、フィロレンツィア自身を気に入っているわけではない。
ちらりと周囲に視線を向ければ、自分を見ていた令嬢や令息は慌てて目を逸らした。
本来であれば、フィロレンツィアは壁の花どころか、高位貴族の令息からダンスの申し込みが殺到する存在だ。
緩やかに波打つ柘榴の実を思わせる赤髪に、深く澄んだ翠玉の瞳はいやが上にも人目を引く。大輪の薔薇を思わせる艶やかさと、華々しさを併せ持つ類い希な容姿だ。『美しい』との形容は、まさしくフィロレンツィアのためにあるといえた。
しかし、王太子の婚約者候補に挙がっているため、他家の令息と気軽に言葉を交わせる立場にない。さらには、貴族派と王家派の派閥間争いもある。迂闊に交流など持てるはずもなく、公の場では誰も寄せ付けなくなってしまった。
(それでも、体裁は整えなくてはね)
今日のために仕立てられたドレスは髪色に合わせた布地で、胸元から裾にかけて銀糸で精緻な蔓薔薇の刺繍が施されている。襟ぐりには白銀のレースが軽やかに揺れており、裾は幾重にも重ねられた布が優雅な広がりを見せていた。
支度を手伝った侍女たちは、『誰もがお嬢様に見蕩れると思います!』などと口々に褒め讃えてくれたが、招待客とろくに会話をしていないから申し訳なくなる。
とはいえ、いつまでも壁の花ではいられない。
気を取り直し、社交をするべく辺りを見回したときである。
「ちょっとあなた! わたくしとドレスのデザインが同じではないの……っ」
女性の金切り声が聞こえて振り返れば、ひとりの令嬢が複数の女性に取り囲まれている姿が目に留まった。
令嬢は貴族派の家門で、伯爵家の人間だ。対して取り囲んでいる女性らは、王家派で侯爵家の夫人を筆頭に年かさの者が多かった。
「たかだか伯爵家の娘が、侯爵家の方と同じドレスを身につけようなど……身の程を弁えなさいな」
「伯爵家に抗議したほうがよろしいのではなくて?」
夫人たちは、まだ年若い令嬢に難癖をつけることで自らの優位を誇示していた。一方令嬢はといえば、青い顔をして俯いたまま震えている。
社交の場ではよく目にする光景だが、見ていて気分がいいものではない。
フィロレンツィアはドレスの裾を翻すと、夫人たちへと歩み寄った。
「ゲラート伯爵令嬢、お久しぶりですね」
高々と声を発し、輪の中に割って入る。周囲の人間には構わずに、伯爵令嬢にのみ話しかけた。
「何やら春を祝うパーティにふさわしくない怒鳴り声が聞こえたけれど、どうかなさったの?」
「そ……それが……」
伯爵令嬢が、びくびくと侯爵夫人に目を向ける。その視線を追うようにゆるりと首を傾け、「あら」と、手に持っていた扇をさらりと開いた。
「レーム侯爵夫人ではありませんか。淑女らしからぬ声を耳にいたしましたので、いったいどちらの家門の方かと思っておりました。言祝ぎにしては、ずいぶんと物騒なお言葉でしたけれど」
表情も抑揚もなく告げると、夫人らの顔が蒼白になっていく。
「オステンドルフ嬢……わ、わたくしたちは別に……ねえ?」
「まだお若い伯爵令嬢に、礼儀を教えて差し上げただけですわ!」
この中で一番若いのはフィロレンツィアだが、二大公爵家のオステンドルフ家の娘とあれば、逆らえる者などほぼいない。
先ほどまでと打って変わって手のひらを返す取り巻きを見て、侯爵夫人の顔が怒りに染まった。
「ドレスのデザインが同じなら、侯爵夫人のわたくしを立てて自分が遠慮すべきではなくて? それとも、わたくしと張り合おうとでもいうのかしらね」
「わたくしは、けっしてそのような……!」
伯爵令嬢は今にも泣き出しそうな顔をしているが、侯爵夫人も引くに引けないようだ。
『会場の様子に気を配っていなさい』という父からの言葉は、王家派から貴族派を守り、この手のもめ事を取りなせという意味だ。
フィロレンツィアは仰々しくため息を吐いて見せると、侯爵夫人に視線を投げた。
「ドレスのデザインが伯爵令嬢と同じだなんて、侯爵夫人はずいぶんと感性がお若いのですね。わたくしはそこまで流行を追っておりませんので、夫人が羨ましいですわ」
つまりは、若い令嬢と同じデザインのドレスを着ている侯爵夫人のほうこそ、自分の年齢を考えていないと揶揄したのだ。
「あっ、あなたねぇっ!」
侯爵夫人は真っ赤な顔になり、唇をわなわなと震わせて睨み付けてきた。
(この辺りで引いたほうがよさそうね)
これ以上大きな騒ぎになると、後の処理が厄介だ。そう判断すると、扇をぱたりと閉じた。
「ゲラート伯爵令嬢には、わたくしの予備のドレスを差し上げますわ。侯爵夫人は、どうぞ安心してそちらのドレスでお過ごしくださいませ」
伯爵令嬢を促し、会場の外へと誘う。扉の前に立っていた衛兵に、令嬢を控え室に案内するよう伝えたところで、追ってきた侯爵夫人に肩を掴まれた。
「オステンドルフ嬢……っ! あなた、わたくしに恥をかかせてどういうつもり!?」
よほど頭に血が上っているのか、侯爵夫人が人目も憚らず怒鳴り散らす。
興奮している彼女を衛兵が宥めようとしていたが、それを振り払うようにさらに声を荒らげた。
「いくら公爵家の令嬢とはいえ傲慢すぎるのではないの? さすがは『悪女』と噂されるだけあるわね! こんな無礼な娘が婚約者候補だなんて、ヒルダ様もお可哀想に」
無表情で愛想もなく、公爵家の威光を盾にわがままの限りを尽くす娘。フィロレンツィアの悪評の一端だ。ほかにも、『その美貌で男を誑かしている』だとか、『王太子の婚約者候補に嫌がらせをしている』など、根も葉もない噂がまことしやかに流れている。
あえて否定しなかったことから、いつしか社交界では『公爵家の悪女』と陰口をたたかれるようになっていた。
「調子に乗っていられるのもせいぜい今のうちよ、覚悟なさい。あなたのような悪名高い令嬢を、ヒルダ様は絶対お認めにならないわ!」
自分は王妃の庇護下にあると言いたげな物言いだった。王家派に属し、かつ、自分の娘がフィロレンツィアと同様に王太子の婚約者候補だからこそ、強気の態度でいられるのだろう。
(くだらないわ)
心底呆れ果てるも、自分の役割と目的を思えばこの状況も仕方ない。
フィロレンツィアは冷ややかな眼差しを侯爵夫人へ向け、わざと高慢に振る舞った。
「王家主催のパーティで、ひとりの令嬢を大勢で取り囲んで糾弾するような真似こそ恥ずかしいと思いますけれど。今もずいぶんと人目についていますよ」
周囲には、衛兵をはじめとし、使用人たちがおろおろとこちらの様子を窺っている。ワインや料理を会場に運び込みたいのだろうが、この騒ぎで中に入れないのだ。
「周囲の状況を把握できる余裕を持ったほうがよろしいかと思いますが。それこそ、『王妃殿下がお可哀想』ですわ」
「この……っ、生意気な小娘ね……!」
激高した侯爵夫人が、使用人が持ってきた配膳台からワインの入ったグラスを奪った。
グラスを振り上げるのを見て何が起きるのかを察したフィロレンツィアが、衝撃に備えて身構えたときである。
(えっ……)
突然目の前に大きな影が割り入ってきた。
飛び散ったワインの香りが鼻を掠めたと同時に、グラスが派手に床に転がる。
「公爵令嬢への暴行とは看過できませんね」
侯爵夫人の手を掴み、涼やかな声でそう発したのは、黒の騎士服に身を包んだ男だった。
見上げるほどの長身に、月の光を吸い込んだような銀の髪は、絵物語の騎士のようだ。華やかなパーティにふさわしく式典用の盛装をしていたが、腰には長剣を提げている。
王城で唯一帯剣が許されているのは、王家直属の騎士――目の前の男は、王国を守る精鋭集団、王室騎士団の人間ということになる。
「はっ、離しなさい! わたくしは、由緒正しきレーム侯爵の妻なのよ……っ」
「私は王室騎士団に所属している。その意味はおわかりか」
王室騎士団とは、王家にのみ忠誠を誓い、王家の命で動く者。貴族や平民といった身分にかかわらず、王国の秩序を乱す輩を排除するために存在する。高位貴族であろうと、彼らをぞんざいに扱うことはできない。ある意味特異な集団といえる。
男は侯爵夫人の手を離すと、フィロレンツィアに向き直った。
切れ長の紫眼と癖のない銀髪が印象的で、一度会ったら忘れられないような美貌の持ち主だ。目を離せずにいると、男はすっと手を差し出した。
「私は、王室騎士団に所属しているウォルフリック・リーゼンフェルトと申します。オステンドルフ公爵令嬢をお迎えに上がりました」
「リーゼンフェルトですって……!?」
反応したのは侯爵夫人だ。
リーゼンフェルトといえば、オステンドルフと並ぶ名門の公爵家だ。侯爵夫人でなくとも驚くのは当然で、フィロレンツィアもひそかに動揺している。彼の家の令息はパーティで見知っていたが、目の前の騎士――ウォルフリックを公の場で見かけたことがないからだ。
(もしかして、この方は……)
「陛下がお待ちです。参りましょう」
国王の名を出されれば否とも言えず、差し出された手に自分の手を添えた。
満足そうに頷いた男は、ふと首だけを振り向かせ、侯爵夫人へと告げた。
「もしもまた同じことをすれば、次は目溢しいたしません。我々は抜刀も許可されています。陛下の名のもと、秩序を乱す輩を粛清するのが役目ですから」
ひどく酷薄な台詞と威圧感にぞっとする。
牽制された侯爵夫人は今にも倒れてしまいそうだったが、ウォルフリックはすでに眼中にないとでもいうような態度で、フィロレンツィアを広間へとエスコートした。






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