【5月30日発売】婚約破棄した没落令嬢ですが拾った氷の騎士が甘く囁いてきます【本体1300円+税】

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●著:八巻にのは
●イラスト: 天路ゆうつづ
●発売元:三交社
●発行元:メディアソフト
●ISBN:978-4815543655
●発売日:2025/5/30


俺は絶対に君と結婚する


婚約者である�猊垢竜鎧劉瓮札�ドアが王女と恋仲だという噂を聞いたミレーネは自ら婚約解消を申し出、彼は無表情でそれを受け入れた。だがその後、ミレーネは自宅の前で行き倒れのセオドアを拾う。
記憶喪失だとバレバレの嘘をつくセオドアに何か理由があると察したミレーネはその演技に付き合うことにするが、「ずっとここに口づけたかった」と情熱的に迫られて本当の想いを隠すことができず!?





プロローグ

ミレーネ=ルーズベールと、その婚約者セオドア=シュタントの間には遠い距離がある。
その距離を意識するのは、ミレーネの日常に彼がふと入り込んだ時だろう。
買い物の帰り、往来を歩いていたミレーネの髪を、鋭い冷気が揺らした。
そこに含まれた魔法の残滓に、思わず歩みを止める。
魔法使いを多く輩出し、その力で栄えるメディル王国。
美しい王都にはつねに、誰かが放った魔法の残滓で煌めいている。
己の身に宿った魔力を用い、この世の万物に干渉する力――魔法。
その力は様々だが、使った際に使用者の魔力の欠片がその場に留まるという共通の事象を持つ。
魔法の根幹となる魔力は一人一人形が違い、普段は目に見えない。だが強力な魔法を使ったときにだけ、輝く残滓として人の目に映るのだ。
例えば、セオドアの魔力は彼の髪と同じ銀色で、雪の結晶を思わせる美しいものだ。
それが目に見えると言うことは、彼がすぐ側にいるのだと察し、ミレーネは自然と残滓を追っていた。
王都で最も美しいと言われる橋のたもとまでいき、ミレーネは婚約者の姿を見つける。
「無駄な抵抗はよせ」
冷ややかな声が響くと同時に、セオドアの長い銀の髪が魔力の風になびいた。
セオドアの前には、異国から来たと思われる男たちが複数立っていた。
その手には珍しい形の剣が握られていて、ミレーネは小さく息を呑む。
彼らは、近頃問題になっている『外の大陸』からきたマフィアだろう。
海の向こう、外の大陸と呼ばれる場所では、年々魔法使いの数が減っている。それ故、メディル王国の特産品である魔石と呼ばれる鉱石の需要が上がっていた。
魔石とは、長い年月をかけて出来た魔力の結晶だ。それを特殊な道具に用いれば、一般の人々でも魔法を使うことができる。
メディル王国で採れる魔石は質が良く、その密輸を狙うマフィアを筆頭とした犯罪組織が度々問題になっている。
そしてセオドアは、彼らを取り締まる魔法騎士として活躍し、国王の覚えもめでたいほどであった。
そうした評価はメディル王国民だけでなくマフィアたちにも知れ渡っているようで、セオドアに剣を向ける者たちの顔には焦りが滲んでいた。
「やばいぞ、あいつは……氷の騎士だ」
セオドアの二つ名を口にし、彼らはひるんでいる。
その隙を見逃さず、セオドアは腰の剣を引き抜いた。彼が魔力を込めると、その刃が氷で覆われる。
白刃の氷剣を手に迫るセオドアに、マフィアたちも応戦しようとするが、戦いはあまりに一方的だった。
セオドアの剣はマフィアたちの剣をやすやすと砕いていく。さらに氷の刃に触れた途端、彼らの身体は凍りつき、瞬く間に氷像と化すのだ。
五人もの男を相手取りながら、勝負は一瞬で決着してしまった。
「案ずるな、命まで凍らせはしない」
氷像と化した男たちを見つめながら、セオドアが手にしていた剣を収める。
戦いが終わったのだとミレーネがほっとしていると、側にいた人々がセオドアに拍手を送る。
中には彼の側に行き、ねぎらいの言葉をかける者もいた。
本来なら、ミレーネにも彼の側に行く権利はあった。むしろ誰よりも先に駆けつけ、その無事を確かめるべきなのだろう。
けれどミレーネの足は地面に縫い付けられたように動かない。
側に行きたい気持ちはあったが、それを彼は望んでいないだろう。
婚約者ではあるが、二人の関係はセオドアの魔法以上に冷え切っていた。
もう何年もろくに言葉を交わしておらず、社交の場以外では顔を合わせることもない。それも、必要最低限だ。
そんな二人の婚約が決まったのはお互いがまだ五つの頃。互いの両親たちの仲が良く、かつ小さなミレーネがやたらとセオドアに懐いていたため、親たちが婚約を決めたのだ。
当時も今も、セオドアに想いを寄せていたミレーネにとって、彼との婚約は人生のよりどころだった。
でも婚約をした頃と今では、二人を取り巻く環境は大きく変わってしまった。
セオドアは何をやらせても完璧だと言われる魔法騎士となり、ミレーネは貧しく、装いも貴族からはほど遠い。
町娘のようなエプロンドレスを身につけるミレーネを、誰が男爵令嬢だと思うだろう。
柔らかくうねる赤い髪は美しいが、決して手入れが行き届いているとはいえない。
顔立ちや立ち居振る舞いには品があっても、自分を飾る化粧や宝飾品もなく、その慎ましい雰囲気は逆に地味に見えてしまう。
自分の容姿や貧しい暮らしを恥じてはいなかったけれど、完璧な騎士様にはふさわしくないことは理解している。
それでもなお、セオドアを慕う気持ちが色あせない自分にミレーネはうんざりする。
今も彼から目を離せずにいると、すぐ側で自分と同じくらいの娘たちが彼をうっとりとみていることに気がついた。
「やっぱりセオドア様ってかっこいいわよねぇ」
「でも、彼は王女様とお付き合いしているんでしょう?」
彼女たちが口にしたのは、ここ最近流れ始めた彼の噂だった。
いつの頃からか聞こえ始めてきた噂を、ミレーネはもう何度も聞いている。
そしてそのたび、ミレーネの心は痛むのだ。
「あの方には、婚約者がいるんじゃなかったの?」
「形だけって噂よ。相手は貧乏な上に不細工な令嬢で、セオドア様が嫌がっているのに未だ婚約を解消しないのだとか」
笑い声と共に紡がれる言葉が耐えられず、ミレーネは慌ててその場を離れる。
去り際、一瞬セオドアと目が合った気がしたが彼が追いかけてくることはない。
婚約者の視線と魔力さえ届かぬ場所まで離れてから、ミレーネは乱れる心を落ち着かせるため、立ち止まる。
(そろそろ、ちゃんと覚悟を決めなきゃね)
ミレーネは今年でもう、二十歳になる。
だが婚約の約束は宙に浮いたまま。
噂とは違い破棄したいと言われたことはないが、彼はずっと忙しかったから機会を逃していただけだろう。
もしかしたら、ミレーネの方から言い出すのを待っているのかもしれない。
(うん、きっとそうよね……)
氷の騎士の二つ名の通り、セオドアは表情さえも冷たく鋭利で、考えが顔に出ない。
特に近年の彼は、幼馴染みのミレーネでさえ考えが全く読めなかったが、状況を考えれば自分との婚約を快く思っていないのは明らかだ。
「もう、終わらせなきゃ」
そんな決意は今まで何度もしてきたし、そのたび折れてしまっていた。
子供の頃から抱き続けてきたセオドアへの恋心を、未だに消せないせいだ。
けれど先ほど聞いた言葉が、ようやくミレーネの未練を断ち切った。
運良く今夜は、セオドアと会う予定もある。
そこで今日こそ破棄を切り出そうと、ミレーネは決める。
(きっとそれが�爐�祝い�瓩砲發覆襦�
今夜セオドアと会うのは、騎士団の祝賀会だ。
少し前にセオドアと彼の部隊が大きなマフィアの組織を壊滅させ、その祝いの宴が開かれることになっていた。
今日買い物に出たのも、祝賀会で彼に渡す祝いの品を買うためだったが、そんなものよりも婚約破棄の方が彼は喜んでくれるに違いない。
握りしめた袋の中には、騎士の制服に合いそうなラペルピンが入っていた。
メディル王国で幸運の印とされる月があしらわれているピンは彼に似合うと思って選んだが、ミレーネにとっては高価なそれも、彼にとっては安物だ。
(これも、捨ててしまおう)
そして最後くらい彼が喜ぶものを送ろうと、ミレーネは覚悟を決めた。


その晩は、最後だからといつもよりも身支度に時間をかけ、セオドアが少し前に送ってくれたドレスを身につけた。
婚約者という関係上、彼が贈り物をくれることはある。
ただメッセージなどは添えられておらず、感想さえ聞いてこないのを見るに、きっと最低限の体裁を保つためのものだろう。
それでも贈り物は嬉しかったが、貰う価値が自分にあるとはずっと思えなかった。
社交の場に出ることも少ないため、身につけることもあまりなかったが、今日が最後だからとセオドアからの贈り物で自分を飾った。最後くらいは婚約者らしくいたかったのだ。
しかしいざ、気合いを入れて出かけたものの、祝賀会の主役であるセオドアは常に人に囲まれ、形だけの婚約者が近づく隙はなかった。
でもそれが逆に、ミレーネが覚悟を決める後押しとなった。
「待たせてすまない」
ようやくセオドアが声をかけてきたのは、会も終盤にさしかかった頃だ。
一人テラスで時間を潰していたミレーネに、セオドアがゆっくりと近づいてくる。
遠くから見ても目を引く凜々しい顔立ちは、近くで見るとより美しい。
長身で逞しく、顔立ちだって男らしい部類なのに不思議と「美しい」という言葉が似合う。
その姿をいつまでも見ていたいと思ったけれど、今日は彼に見惚れるためにきたわけではない。
緊張で震えそうになる指先をぐっと丸め、ついにミレーネは口を開いた。
「――婚約を解消しましょう」
ミレーネの一世一代の提案に、セオドアは眉一つ動かさなかった。
氷のように冷たい瞳でじっとミレーネを見つめ、その顔はいつも通り凪いでいる。
(やはり彼にとって、私とのことは心を動かすほどのことではなかったのね)
彼にとって自分は、取るに足りない存在なのだと、改めて突きつけられる。
欠片も動揺を見せず、セオドアはそこで二回ほど瞬きをした。
「解消……」
「はい、終わりにしましょう」
「うむ」
声は小さかったが、今の「うむ」は同意したという事だろう。
そもそも異を唱える理由も彼にはない。内心では、ミレーネの方からその提案が出たことにほっとしているに違いない。
だからきっとこれで良かったのだと思う気持ちを肯定するように、セオドアの後ろから美しい少女がこちらに近づいてくる。
輝く金糸の髪と愛らしい顔立ちの少女はこの国の第三王女だ。
そして彼女こそ、セオドアの恋人だと噂されている相手である。
(いつ見ても、とても綺麗な方ね)
それに比べて自分はと、無意識に自分の髪に触れる。
顔立ちだって地味で、体型も男性が好むふくよかさがあるとは言えない。むしろ貴族でありながら貧しい暮らしをしているせいで手足は細く、胸も人より小さいくらいだ。
そんな自分に対し、セオドアは見た目も肩書きも王女と引けを取らない。
(やっぱり、彼には彼女の方がふさわしいわ……)
そう自分に言い聞かせながら、ミレーネはそっと胸を押さえる。
「では、お元気で」
せめて最後は笑顔で別れたいと、泣きたい気持ちを堪えて顔を上げる。
そんな彼女を見つめるセオドアの瞳に、最後まで感情が宿ることはなかった。


第一章

どんなにつらい事があっても、寝て起きればまた朝が来る。
そんなことを痛感しながら、ミレーネは井戸から汲み上げた冷たい水で顔を洗っていた。
貴族の令嬢であれば、侍女が沸かしてくれる湯で身支度を調えるのが普通だが、そもそも我が家には侍女がいない。
さらにミレーネの部屋にあった魔法式の給湯器は二年前に壊れてしまっていた。
かつてメディル王国で最も美しく豪華な邸宅と呼ばれた家は、もはや見る影もないのだ。
「ミレーネは、今日も豪快に顔を洗うなぁ!」
豪快さでは負けてない足取りと共に、ミレーネの側に並んだのは彼女の父『ヘラルド』である。
熊のようなひげ面と筋肉に覆われた巨体は騎士や傭兵のようだが、こう見えても虫一匹殺せない。
度を超したお人好しで、困っている人がいたら助けずにはいられない、そんな男である。
また見た目に反して武力より知力が秀でている男で、若い頃は隣国の大学に留学し、経済学を学んだ。その後メディル王国の財務省に勤め、一時期は財務大臣の座についていたこともある。
だが五年前、ヘラルドはマフィアとの癒着を疑われ、大臣の職を辞任することになった。
その後、メディル王国の大学で講師をしているものの、給料は雀の涙。使用人たちを雇う余裕はもはやない。
元財務大臣が薄給で苦しむなんてと皮肉を言う者もいるが、当人は金儲けには全く興味がないため、余り気にしていないようだ。
むしろ、国民一人一人よりも、国全体の経済を優先せねばならない大臣時代の生活がつらかったらしく、「貧しくても、困っている人にすぐ手を差し伸べられる今の方がずっと良い」と笑っている。
一方でそのお人好しが原因で騙されることもあり、それをたしなめるのがミレーネの役目だ。
「そういえば、お父様がまた見ず知らずの人にお金を貸したってメイリンにきいたんだけど、本当?」
顔を拭きながら尋ねれば、父は「おうっ」と得意げに胸を張る。
「おとといまで泊まっていた客だよ。新しい商売を始めたいというから話を聞いたら、なかなかに見る目があってな」
「でも、会ってすぐの人でしょう」
「会ってすぐ、奴に商才があるのがわかったんだ。だが、元手が足りず困っていると言っていて」
「でもうちだって余裕はないのに」
「あいつは絶対利益を出すから、大丈夫だ!!」
言い切るヘラルドには、並々ならぬ自信がある。
そこまで言うなら、才能のある人物だったのだろう。
(でも、それとお金が戻ってくるかどうかは別なのよね……)
確かに父には、相手の商才を見抜く才能がある。事業計画などを聞いただけで収支まですぐにわかるため、本当に利益が出るかどうかの判断も正確だ。
ただ問題は、貸した金を返してくれる「人格者」であるかどうかを見極める能力がないのだ。
ヘラルドの出資によって巨額の富を得た者も沢山いるが、その殆どが金を返しにこない。
「利益を出せるならなおさら、私に会わせてって言ってるでしょう」
「でもお前に会わせると、相手といつも揉めるじゃないか」
「それは、相手にやましいところがあるからよ」
ミレーネは断言するが、ヘラルドは不満そうに口を曲げる。
「お前が相手を疑いすぎるからだよ。何度も言っているが、お前は人の言葉の裏を考えすぎる」
「表ばかり信じていては、騙されるからよ」
「騙されないときもある」
「騙される方が多いじゃない」
だからこそ、ミレーネは用心深くなったのだ。
「昔は、どんな言葉も素直に信じる子だったのに」
「私が素直なままの子供だったら、我が家はとっくに破産してるわ」
「それはないさ」
「でもお父様が回収の見込みのない投資をし続けるせいで、私はもう何ヶ月もこうして水で顔を洗ってるんだけど?」
「今度の彼は絶対に良い奴だから、すぐに金は返してくれる。そうしたら、湯沸かし器を直そう」
期待できるのか怪しいところだが、このままではまずいと父だって思ってはいるのだろう。
(さすがに、これ以上使えない浴室が増えると�爐�客さん�瓩盡困辰舛磴Δ掘帖帖�
などとぼんやり考えていると、屋敷の方から若い男たちがゾロゾロと出てくる。
ミレーネとヘラルドを見るなり挨拶をしてくれる彼らは、二人の屋敷に滞在している旅行客である。
大学の講義だけでは生活を維持できないため、ミレーネたちは広い屋敷を利用して下宿屋をやっている。
家族は二人きりだし持て余すくらいなら利用しよう! と言い出したのはヘラルドで、最初こそ父の提案に戸惑ったものの、屋敷を用いた下宿屋は思いのほか上手くいっている。
おかげで、豊かではないがミレーネたちは人並みの生活をおくれているのだ。
貴族たちの中には身分の低い者たちを屋敷に泊めるなんてと顔をしかめる者もいるが、むしろ旅行客で賑やかな屋敷での生活がミレーネは好きだった。
(それに、誰かがいる方が気持ちだって紛れるし)
セオドアの顔がよぎり、ミレーネは慌てて彼の事を頭から追い出す。
彼との婚約を破棄して今日で一週間が経った。
セオドアからはその後何の音沙汰もないが、連絡がないと言うことはきっと彼も納得しているのだろう。
そのことに寂しさを覚え、自分で破棄したくせに彼が撤回を申し出てくれないかという馬鹿げた妄想をしてしまい、嫌になる。
(私と彼はもう何の関係もない。そう、何の関係もないの……)
思っていても、気を抜くと彼の事がよぎってしまうのが近頃の悩みの種だ。
多分、この場所も良くないのだろう。
かつてセオドアとは、この庭でよく遊んだ。遊んだと言ってもミレーネが彼を強引に付き合わせていただけだが、お互い七歳になるまで、いつも一緒だったのだ。
彼との思い出が、この場所には多すぎる。
(でもそれも、忘れないと……)
自分に言い聞かせながら、ミレーネは旅行客たちの朝食を用意すべく台所へと向かう。
しかし幸せだった頃の記憶は、むしろより色濃く脳裏を彩るのだった。

◇◇◇      ◇◇◇

ミレーネは、セオドアに初めて会ったときの事をよく覚えていない。
それほど前から、二人はいつも一緒にいたからだ。
両家の交流が始まったのは、二人の父親が共に隣国の大学に留学した時のこと。
それまでは、身分の違いからあまり関わり合いがなかったが、異国の地で勉学に励むうちに、二人は意気投合したらしい。
彼らは、とにかく気が合った。趣味趣向がそっくりで、恋人を見つける場所とタイミングまで一致し、隣国の男爵令嬢を揃って嫁に貰って帰国してきたほどである。
妻同士も親友で、どちらも気が強く自分を貫くタイプだから、多分女性の好みも一緒だったのだろう。
そして大学卒業と共に二組の夫婦は、メディル王国へと帰還。二人は隣国で学んだ経済学の知識を生かし、財務省の官僚となる。
その後奇しくも、男女の子供が仲良くなれば「これは運命だ、二人を結婚させよう!」となるのは必然である。
婚約者同士になった二人は物心つく前から一緒に育てられ、親たちの情報によればミレーネが最初に喋った言葉は、セオドアの名前だったらしい。
特にミレーネはセオドアにべったりで、何をするにも「セオといっしょがいい」と我が儘を言っていたそうだ。
一方セオドアは昔から無口で、我が儘を言う子ではなかった。
ただミレーネのことも拒絶せず、縋り付く彼女を振りほどくこともなかったと言う話である。
彼の無口さを補うように、ミレーネは普通の子供の二倍しゃべり、明るくてお転婆だった。
淑女らしく過ごすのが苦手で、毎日野山を駆け、木登りや虫取りに明け暮れるような子供である。
両親は娘の性格を矯正する気がなく、おかげでミレーネはのびのびと育った。
ただし、そんなミレーネは同年代の子供たちの間では浮いていた。
この国では、貴族の娘は結婚し子をなすことが誉れとされている。故に小さな頃から淑女として教育され、どんなときでも慎ましく、上品に、ただ微笑んでいることを求められるのだ。
つまり、ミレーネのような子供は異端だ。
特にミレーネの周りにいた女の子たちは「メディル王国の淑女たるものこうあるべき!」という同調圧力が強く、男の子たちも皆そこに加わったため、ミレーネを友人の輪に加えてくれる者はいなかった。
そうなると、ミレーネを受け入れてくれるのはセオドアだけとなる。
そしてそのセオドアも、極端に喋らないため周りから距離を置かれがちだった。
今は綺麗な顔立ちも、子供の目からは「人形みたいで怖い」と思われていたのである。
結果二人はいつも一緒にいるようになり、親たちもあえて他の子供たちと仲良くしろとは言わなかった。
この国で育った父親たちはともかく、隣国からやってきた母親たちは、共にこの国の社交界に馴染めなかったし、馴染もうとも思っていないタイプだった。
子供たちもまた母親に似て『馴染まない場所に無理していることもない』と自然と思い、ミレーネたちは早々に友達を作るのを諦め、二人きりで過ごしていた。
とはいえ快活すぎるミレーネをただ一人相手にするセオドアは大変だったろう。
なにせ朝の五時に寝ているところを叩き起こし、虫取りに行こうと誘うような女子である。
今思うと我ながら強引だったなとミレーネは思う。
だが少なくとも、セオドアは嫌がってはいなかった。
四六時中一緒にいればさすがにセオドアの機微をミレーネは掴んでいたし、当時の彼は毎日それなりに楽しそうだったのだ。


けれど幸せな日々は、ミレーネの母とセオドアの両親が相次いで亡くなったことで終わりを迎えた。
当時、激しい熱を伴う流行病がメディル王国で流行し、三人も病に倒れてしまったのだ。
母を亡くしたミレーネはもちろん、両親をいっぺんに失ったセオドアの悲しみは大きかった。
当時セオドアはまだ七つ。それが突然侯爵家を背負うことにもなり、彼は悲しみと重圧に押しつぶされそうになっていた。
そんな彼にミレーネは寄り添い続けた。
自分も母を失った悲しみが癒えてはいなかったけれど、セオドアの方がもっとつらい状況だと、幼いながらにわかっていたのだろう。
そしてこのときばかりは、セオドアもミレーネに甘えていたように思う。
『屋敷に一人でいたくない』
そう言って泣き出すセオドアを見ていられず、ミレーネはしばらくセオドアの屋敷に寝泊まりをした。
悲しみを上手く言葉にできない彼を抱きしめ、無言でぽろぽろと涙こぼす彼の頬を優しくふいてやった。
不安と孤独で不眠になっていたセオドアの夜を少しでも明るくしようと、彼が好きだった魔法騎士の物語を読み聞かせたこともある。
読むだけでは飽き足らず、時にはおもちゃの剣を振り回しながら物語の騎士を演じるミレーネを見て、セオドアがようやく笑ってくれた時は自分のことのように嬉しかった。
つらい日々だったが、二人でいれば乗り越えられるとミレーネは思った。セオドアも、同じように感じてくれているとそのときは思えた。
しかしそんな時間も、程なく終わりを迎えてしまうのだ。

◇◇◇      ◇◇◇

(なんだか、今日はやけにセオとのことを思い出してしまう……)
懐かしい思い出にうっかり浸ってしまう自分にため息をつきながら、ミレーネは洗い立てのシーツを干すために、裏庭へと出る。
朝から何度となくセオドアの事がよぎるため、ここでも彼の顔が浮かんで大変だったが、それでもなんとか十枚のシーツを干し終えた。
(ひとまず、これでいいわね……)
風に靡くシーツを見つめ、ミレーネは大きく伸びをする。
だがその直後、目の前のシーツに大きな人影が浮かび上がった。
向こう側に誰かいるらしいと気づき戦いていると、人影がゆらりと傾く。
直後、影が消え、何かが倒れる音が響いた。
「なっ、何!?」
思わず素っ頓狂な声を上げ、ミレーネはシーツを捲りあげた。
(う、嘘でしょ……)
息を呑んだのは、そこにいたのがセオドアだったからである。
だが彼は何かがおかしい。倒れた彼の頬は痩け、髪は乱れ、ひげも伸び放題だった。
彼の美貌は完全に消え失せており、付き合いが長いミレーネでなければ彼だとわからなかっただろう。
「大丈夫ですか!? 立てますか!?」
慌てて側に跪くと、彼がわずかに目を開ける。
こんなズタボロの状態でも、ミレーネを見つめる紫の瞳は美しくて、目がくらみそうになる。
(いや、見惚れてる場合じゃない! ひとまず病院に連れて行くべきよね!)
そのためにも彼を助け起こせる人手を連れてこようとしたとき、セオドアの手がミレーネの手首をぎゅっと掴んだ。
その力は思いのほか強く、さらに彼の親指が肌を撫でる。
その動きはあまりに優しくて、ミレーネは思わず息を呑む。
――ぐぅぅぅと、なんとも情けない音が零れたのはそのときだ。
「今のってお腹の音……?」
ミレーネの言葉を肯定するように、セオドアのお腹から情けない音が返事をする。
(本当に、いったい何があったの……!?)








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