【8月29日発売】悪役令嬢はもう死にたくないので抱かれることにした【本体1300円+税】

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●著:小山内慧夢
●イラスト:KRN
●発売元:三交社
●発行元:メディアソフト
●ISBN:978-4815543716
●発売日:2025/8/29


わたしが美しいばっかりに……でももう殺されたくない


高慢な侯爵令嬢エルネスティーネは、彼女を恨んだ何者かによって殺されてしまうが、気がつくと自室のベッドの上に居て時間は殺される数年前まで巻き戻っていた。二度と殺されないために自らの行動を改め、第二王子を籠絡して庇護してもらおうと考えたエルネスティーネは王宮で出会った文官、ナサニエルが第二王子その人であることを知る……どころかその日のうちに寝室に連れ込まれてしまい!?







第一章 悪役令嬢は死にたくない



そうだ、王族とセックスしよう。
死の恐怖と突如訪れた混乱の嵐が過ぎ去ったあと、エルネスティーネ・モラーはそう考えた。
それというのも、自分の身にとんでもない珍事が起こっていることを自覚したからである。
柔らかく身体を受け止めてくれているベッドから身体を起こし、フワフワと足が沈む絨毯を踏み鏡の前まで歩く。
仄かな明かりしかないが、それでも美しいとわかる令嬢が映る。
珍しい薄紫の髪に、金にも見える薄い茶色の瞳が磨き抜かれた宝石のように輝く。
震える手で夜着の紐を緩めて胸元を露わにすると、まろく柔い乳房が零れた。
「……刺された傷がないわ。あんなに痛かったのに……」
傷跡も血の跡さえもない。
エルネスティーネは、刺されて死んだはずだった。
誰ともわからない人物からどす黒い怨嗟の言葉を吐き散らかされ、そして胸を刺された。
冷たく熱い痛みと恐怖と混乱、そして暗闇へと落ちていくように閉じていく意識を確かに覚えている。
「夢? いいえ、違うわ……っ」
ぎゅっと握った手の中には、肌身離さずつけているペンダントがある。
大振りで古風なデザインは祖母から貰ったものだ。
代々受け継いできたものだから、大事にするようにと言い聞かせられた。
エルネスティーネはヘムテルテア王国の高位貴族モラー侯爵家の第一子として生を受けた。
可愛らしい容姿と素直な性格で皆に愛されて育ったが、特に溺愛したのが祖母ロヴィーサである。
ロヴィーサは目に入れてもいたくないほどに孫娘を可愛がり、跡継ぎに与えるはずのペンダントをも息子である侯爵でもなく、のちに生まれた跡継ぎになるであろう弟にでもなく、エルネスティーネに与えるほどだった。
祖母からの特別扱いはエルネスティーネの自己肯定感を限界まで押し上げた。
なにしろ「可愛い」「お利口」「上品」「美しい」「偉い」等々、思いつく賛辞を毎日溺れるほど摂取してきたのから当然の事と言えるだろう。
ゆえに祖母ロヴィーサが亡くなった後も方向転換することができず、他の令嬢より少しばかり高慢になってしまったのは致し方ない。
普通であれば長じるまでのどこかのタイミングで何度か挫折を覚えるものだが、幸いにもというか残念ながらというか、要領がいいエルネスティーネにその機会は訪れなかった。
さらに年頃になると公爵家の継嗣との婚約も整い、周囲から羨望の眼差しを一身に受けたエルネスティーネは人生の春どころか終わらない真夏を過ごしていた――はずだった。
とある夜会で楽しく時を過ごしていたエルネスティーネが風にあたりにベランダに出たとき、それは訪れる。
柱の陰に潜んでいた人物に突然胸を刺されてしまったのだ。
「お前など……私の理想ではない……! 公爵夫人になる価値などない女だっ」
そのようなことを言われた気がしたが、動揺していたので定かではない。
悲鳴を上げることもできずエルネスティーネはその場に倒れ込んだ。
命の源とも言える血が傷口から流れだしていくのを感じながら、エルネスティーネは絶え間なく降ってくる呪いにも似た言葉を聞き続ける。
(ああ、わたしはこんなにも他人に恨まれていたのね……美しいばっかりに)
もう犯人の言葉をはっきり思い出すことはできないが、腹の底から吐き出すような言葉には隠しようもない恨みがこびりついていた。
(美しさは変えられないけれど、せめてわたしがもっと謙虚だったら……人の気持ちに添うことがで
きていれば、殺されずに済んだのかしら)
しかしもう、すべてが遅い。
白んでいく視界と黒く沈む意識の中で、エルネスティーネは人生で初めて「反省」という言葉を理解した。
(もしも……やり直せるなら……美しいのは仕方ないとして……心を入れ替えて、慎ましく生きるのに……神様……)
エルネスティーネの意識はそこで途切れた。
そして目覚めると自分の屋敷の、自分のベッドに横たわっていた、というわけだ。
(生き返った、わけではないわね。鏡に映るわたしは少し若いもの。多分十八歳くらいかしら……まだ婚約をしていない)
まるで時が巻き戻ったように、エルネスティーネは数年の時間を飛び越えたらしい。神の思し召しか死神の悪戯かはわからない。
だが、こうして生きているからには生を全うしなければという気持ちになったエルネスティーネは、考えを整理した。
もしかしたら死の間際にやり直せたら、と考えていたことが関係しているかもしれない。
「だったら今度は死なないように生きるわ」
祖母のように寿命を全うするのだと心に決める。
そして考え付いたのが「王族とセックスしよう」なのだ。
(だって、多分わたしを殺した人物は嫉妬していたのだわ)
エルネスティーネ自身は特に好きでも嫌いでもなかったが、婚約した公爵家のケネト・ボストレームは誰もが羨む婿がねだった。
エルネスティーネには劣るが美しい顔、多少空気は読めないが物腰は柔らかく社交も上手で友人が多い。なにより筆頭公爵家の跡継ぎで将来を嘱望されている。
犯人はエルネスティーネがケネト・ボストレームと婚約したのが気にくわなかったから「公爵夫人に相応しくない」と叫び、あのような暴挙に出たに違いない。
(ならば、ケネトとは婚約しないわ)
公爵家の嫁になることで逆恨みされて殺されるならば、嫁になどならなくていい。
それで死を回避できるなら安いものだと考えたエルネスティーネは眉を顰める。
(待って……私は美しくて完璧だから、他の理由でも嫉妬されているかもしれないわね……?)
なにしろエルネスティーネは侯爵令嬢で取り巻きも多く、且つ状況判断が速く気の利いた対応ができ目上からは重宝がられた。
羨まれる要素が多すぎた。
警戒を怠ったために死んでしまうとは愚の骨頂。
ならば最大限の警護をしてもらえばいい。
そうして導き出した答えが「王族とセックスする」であった。王族と関係を持てばこの国で最高の護衛をつけてもらえるに違いないのだ。
(さすがわたし…… 冴えているわ!)
もちろんそれ以外にもエルネスティーネは策を講じた。
嫉妬を受けたとしても恨みまでは買わぬよう、努めて人に親切に接するようにしたのだ。
死に戻ってから精進することおよそ二年。
二十歳になったエルネスティーネは、取り巻きになりたいと立候補してくる者たちともそれとなく距離を置き、適度な関係の構築に努めた。
時々高飛車な内面が自己主張してくるのは仕方がないとして、それでもエルネスティーネは努力した。
父や母それに弟へも優しく接し、使用人にも極力親身になって味方を増やすと、なんとなく気分がよくなっていい人になれた気がする。
(ふふふ、さすがわたし! このままいけばきっと王国一のご長寿として語り継がれるまでになるわ
ね)
エルネスティーネはこれまでと同一人物とは思えないくらい地味なドレスに身を包み、王城の廊下を歩いていた。
通常名家の令嬢は一人で出歩くことはなく、侍女をつけるのが一般的である。
しかし今のエルネスティーネはただ王城の廊下を歩いているわけではない。国の要職についている父の仕事の手伝いをしているのだ。
仕事をしているのにぞろぞろ侍女を引き連れているわけにはいかないというのが建前だが、エルネスティーネが画策していることを実行するには人がいないほうが都合がいい。
現在任されているのは主に書簡や伝言のやりとりではあるが、馬鹿にできない仕事なのだ。
ただの小間使いに書簡を頼むのと違い、相手側に自分の娘を向かわせるということはそれだけ「あなたを重要に思っておりますよ」というサインになる。
それに王城を疑われずに歩き回るのは、エルネスティーネの野望の第一歩と言える重要なことでもあった。
(標的に会わないことには、セックスもできないものね)
時が巻き戻って以降、エルネスティーネは「ちょうどいい王族」を選定するべく情報を集めた。身分が高すぎても低すぎてもよろしくないためだ。
このヘムテルテア王国には二人の王子がいる。
兄のスヴェンは王太子で、別の侯爵令嬢と既に婚約を結んでいる。
エルネスティーネの美貌をもってすればスヴェンを略奪することは容易であるが、要らぬ恨みを買って殺されては努力が水の泡。
(ならば狙うのはナサニエル王子なんだけれど……)
エルネスティーネはため息をつく。
このナサニエル王子は、出不精なのか陰気なのか人前にほとんど出てこないのだ。
王族が揃って参加する新年の宴にも顔を出さないほど筋金入りの引きこもりで、エルネスティーネは風貌すら知らないのである。
(まあ、そんなお方だから婚約者も決まっていないのだけれど)
王子であるのにもかかわらず、貴族家から積極的に婚約を取りつけようとしないナサニエルは異質だと言えた。彼ならば特定の女性はいないため、身体の関係を持ったところで嫉妬されることはないだろうし、関係を持ったらこの国最高レベルの護衛をつけることも叶うだろう。
(王族の安全を守る近衛騎士団から護衛をしてもらうことだって可能なはず)
エルネスティーネを襲ったのは恐らく素人なので、近衛騎士であれば制圧するのは容易いに違いない。
犯人からいつどんな理由で目をつけられるかわからないし、場合によってはもう目をつけられているかもしれない。
そのためナサニエル王子との繋がりを早く作らねば、と気を逸らせるのだった。
しかし、仕事にかこつけて王城のあちこちに顔を出してみても、一向にナサニエルに会うどころか、話さえも聞かない。
(もしかしてナサニエル王子って存在しないのでは……?)
そんなことを考えつつ父に頼まれた資料を抱えて歩いていると、進行方向に若い男が二人、エルネスティーネのほうを見ていることに気付いた。
遠目からでもニヤニヤと脂下さがった顔でひそひそと言葉を交わしているのが見て取れ、あまりいい感じはしない。
さすがに登城を許されている貴族らしく仕立ての良い衣裳を身に纏っているが、若干服に着られている感が漂っている。
(まあ……美しいわたしに話しかけたいのだろうけれど、あなたたちでは力量不足よ)
以前から美しいあまりに好色な目で見られることが多々あるが、慣れていてもいい気分はしない。
エルネスティーネは凛とした態度を崩さず、軽く会釈だけをして彼らの前を通り過ぎようとした。
「おっと、黙って通り過ぎるつもりか?」
「あっ!」
だが男のうちの一人が、エルネスティーネが持った本の一部を取り上げた。
そのせいで一緒に持っていた紙の資料がばらばらになって廊下に落ちる。
「なにをするのですか」
児戯のような嫌がらせにエルネスティーネが睨むと、男は軽薄に口笛を吹く。
「怒った顔も可愛いじゃないか。こんなところでコマネズミのように働くより、もっと楽しいことをしないか」
笑顔と呼ぶのも烏滸がましい下卑た表情に、エルネスティーネは思わず苦いものでも噛んだように顔を歪ませた。
(いくらわたしが美しいからといって、下品が過ぎるわ……! 三年修行して出直してらっしゃい!)
思わず隠しポケットに仕舞まってある扇で不埒者の額を打ち据えたい衝動にかられたが、グッと我慢する。
死に戻る前のエルネスティーネだったらためらうことなく扇を取り出し、無礼な男どもを激しく打ち据えていただろう。
それが彼女のアイデンティティでもあった。
しかし、今の状況ではそれができない。
どこで買った恨みがどう変化して殺意に繋がるかわからないのだ。
(犯人さえわかれば、こんな思いをしなくてもいいのに……っ)
万が一目の前の男を扇で打って、それが引き金で死亡したとなればせっかく人生をやり直している意味がない。
(でもこんな卑怯な男に屈したと思われるのは、耐え難い……っ)
「あなたたち……この資料が誰のためのもので、わたくしを誰だか知った上でこのようなことをしているの?」
エルネスティーネは低く告げた。
これは驕りでもなんでもない貴族のルールで、下位の者から上位の者に声を掛けることは失礼とされていることに由来する。
つまりエルネスティーネが彼らを知らないということは、彼らが侯爵家にとって気にするまでもない下位の貴族であるということに相違ない。
さらに彼らは侯爵令嬢であるエルネスティーネを知らないか、知っていて軽んじていることになる。
(以前のわたしを知っているのなら、侮っているのかもしれないけれど……でも公にこのような態度は捨ておけないわ)
これは貴族が守るべき矜持。
エルネスティーネは臆することなく顔を上げる。
その眼光に怯んだのか半歩下がった不届き者だったが、すぐに調子を取り戻したのか軽薄な笑みを浮かべた。
「ふん、小間使いのような仕事をしているくせに生意気な。どうせ下級貴族だろう、粋がりやがって……まあ、そんな女を従わせるのも面白い」
二人によって壁に追われたエルネスティーネは、この窮地をどのように切り抜けようかと考えを巡らせていると、男が手を振り上げた。
殴られると思って咄嗟さに持っていた本を翳すが、あっけなく叩き落とされた。
「きゃあっ」
「大人しくしていれば痛い思いはしないで済むぜ」
下卑た笑い顔が近付いてきて、エルネスティーネはとうとう壁際に追い詰められた。
(扇は間に合わないわ……金的、やはり金的かしら……!)
無礼にも腕を掴んでいる方の男を目標として足を蹴り出そうとした瞬間、もう一方の男が後方へ飛ばされた。
「うわっ」
受け身も取れずに背中から倒れた男は、どこか打ったらしく身体を縮こまらせて痛みに呻いている。
代わりに背の高い眼鏡の男がぬうっと立っていた。
少し長い赤髪を後ろで揺らしているのが印象的だ。
「なんだ貴様! 私たちに手を上げて、ただで済むと思っているのか!」
眼鏡の男は王城に仕える文官の制服を着ていることから、貴族ではないことがうかがえる。貴族であれば文官を束ねる大臣や補佐官等のポストが当然だからだ。
「ならばあなた方はこの方がモラー侯爵令嬢だと知っていてこのような狼藉を働いているのですか? そしてこの資料はモラー侯爵が陛下との引見に必要なものだと知ってのことだと?」
自身の身体をねじ込みエルネスティーネを庇った眼鏡の男は、頭一つ下の不届き者を見下ろして冷たい声でそう告げた。
「なっ、モ、モラー侯爵……っ?」
途端に顔を青褪めさせた男たちは一目散に逃げていった。
それを見送ったエルネスティーネは自身の胸がおかしな鼓動を刻んでいることを自覚する。
(なに……? 急に胸が苦しいような……)
「おやまあ、謝罪のひとつもできぬとは。貴族とは思えませんね」
眼鏡の男はため息をつくとエルネスティーネと適切な距離を取り、頭を下げた。
「緊急のこととはいえ、令嬢の前に立つなど失礼いたしました」
その声は低くエルネスティーネを包みこみ、気遣いに満ちている。
「い、いいえ……! 危ないところを助けてくれてありがとう」
簡単に頭を下げた眼鏡の男に見覚えはなく、エルネスティーネは残念に思った。
(あら、どうして残念に思っているのかしら?)
心の中で首を捻っていると、眼鏡の男がサッと屈みこみ落ちた書類や本を拾い集める。
「……ありがとう」
受け取るために手を差し出すが、それを眼鏡の男は手のひらを見せて押し留める。
「どういたしまして。こちらは私が持ちましょう。さきほどの無礼者はスンド子爵家のエーギル殿とセルベル男爵家ドーグ殿です――こちらで抗議しておきますか?」
家名も名前も把握している男に、エルネスティーネは目を見張る。
確かに文官であれば貴族を把握していてもおかしくないが、当主以外の顔と名前を把握しているのは珍しい。
「いいえ結構です。落とし前は自分でつけますわ。それより……」
目の前の男の端々から有能さを感じ取ったエルネスティーネは口角を上げる。
「不届き者の名は知れたけれど、恩人の名はわからないままというのもおかしな話よね」
上目遣いにゆっくりと長い睫毛を瞬かせると、眼鏡の男は意表を突かれたように瞠目し、そしてじわじわと目元を緩めた。
「これは失礼いたしました。私はナサニエルと申します」
「ナ、ナサニエル!?」
エルネスティーネは驚きのあまり大きな声を出してしまった。行方を捜している引きこもりの第二王子と同じ名前だったからだ。
「ええ、私は畏れ多くも第二王子殿下と同じ名なのです。しかし一介の文官の名など取るに足らないものです。お忘れいただいて構いません」
ナサニエルはエルネスティーネの反応を慣れた様子で聞き流すと、慇懃に歩き出すよう促す。
「同じ名……ならば面倒もあったのかしら」
興味が湧いて尋ねると、ナサニエルは間延びした唸り声をあげた。
「う〜ん、そういうことはないですね。最初だけ珍しそうにされるだけで。ほら、私は赤毛ですから
王子と見分けが簡単につきますし、大抵は赤毛とか眼鏡と呼ばれます」
そう言ってやや伸びすぎた髪を摘まむ。
「まあ、あなたは第二王子殿下の容姿を知っているのね」
探るように続けるとナサニエルは困ったように口角を下げた。
「知っているというほどではありません。王家の方々が金の髪をされていることは有名な話ではないですか」
確かにヘムテルテア王国の王族は豪奢な金の髪を持つ者がほとんどだ。
だが実際にナサニエルを見たことがないエルネスティーネは、どんな情報でも欲しかった。
「それはそうだけれど。ねえ、ナサニエルは同じ名前の縁とかで、第二王子殿下から召されることはないの?」
「……令嬢は殿下のなにをお知りになりたいのですか?」
眼鏡の向こうの瞳がほんの僅かだけピリッと緊張したのがわかった。
それがなんであれ、エルネスティーネはこの第二王子と同じ名を持つ文官から疎まれるのが恐ろしくて肩を竦める。
「ちょっと仲良くなりたいだけよ」
ごく軽い調子で誤魔化すが、ナサニエルはじっとエルネスティーネを見つめて歩みを止めてしまった。
言葉に嘘の匂いを嗅ぎ取ったのかもしれない。
「……本当は深く仲良くなりたいと思っているの」
誰とも知れない文官にそれ以上秘密を打ち明けることはできず先を歩くと、腕を引かれひとけのない通路に連れ込まれてしまう。
ここは主に使用人が使う通路で、貴族が歩くことはない。
ナサニエルは馴れているのか、一番近い部屋の扉を開けるとそこにエルネスティーネを押し込めた。
「ちょっと、なにをするの?」
「第二王子に近付いてなにをするつもりだ?」
急に声が低く冴えたのを感じて、エルネスティーネは肩を揺らす。
自分を助けてくれたいい人だと思っていたのに、もしかしたらさきほどの不届き者と同じなのかもしれないと思うと悲しくて恐ろしくて胸が痛む。
「なにって、……なにも」
「存在すら忘れられた第二王子のことを尋ねるなんて、なにか疚しいことがあると言っているようなものですよ」
手に持った本や資料を適当に棚の上に置くと、ナサニエルは両手でエルネスティーネを壁に追い詰める。
それはさきほどの不届き者がしたことと同じだったが、威圧感がまるで違った。
(こ、怖い……っ)
唾すら呑み込むことができない緊張感に苛まれながら、エルネスティーネは心のどこかで恐れとは違う感情が脈動している気がしていた。
「疚しいことなんて、なにも……」
「そんなはずはない。お父上からなにか入れ知恵でもされました? それとも夜会か何かで悪い友人といけない悪戯でも思いつきました?」
ぐっと顔を近付けてくるナサニエルから顔を背けるが、その分彼が近付くため二人の距離は一層縮まる。
「本当に……変なことなんて考えていないったら……っ」
なぜか猛烈に恥ずかしくて顔を伏せるとナサニエルからいい香りがして、エルネスティーネはそんな場合ではないのにスンと鼻を鳴らす。
(なにかしら……とてもいい香り)
自分が持っている香水瓶の中にはない香りだと記憶を探るうち、自らナサニエルに顔を近付けてしまっていたことに、肩を押さえられてようやく気付く。
「……なにをしているのですか」
「ひゃあ! ち、違うの! これは決しておかしなアレじゃなく!」
顔どころか全身が熱くなり、自分でも支離滅裂なことを言っていることはわかる。だが制御ができなくてエルネスティーネは手足をばたつかせた。
「そっ、そもそもわたしに対してこんなことをするあなたも失礼だわ! わたしが第二王子とセックスしようがしまいがあなたには全然関係な、い……」
「――いま、なんと?」
虚を突かれたようなナサニエルの声に、慌てて口を噤む。
(わ、わー! わたしのバカ! こんなことを言ったら不審に思われてしまうじゃない!)
すぐさまこの場所から逃げ出すべく、閉じ込められたナサニエルの腕を掻い潜ろうとしたが当然阻止される。
それどころか状況はもっと悪くなり、腕で抱えられてしまった。
「エルネスティーネ・モラー、あなたはいったい……」
困惑した声が降ってきて、エルネスティーネは自棄になって叫んだ。
「放してよ、もう! わたしが誰と寝ようがあなたに関係ないでしょう?」
滅茶苦茶に暴れるが、ひょろりとした雰囲気だったナサニエルは意外なことに押そうが叩こうがびくともしない。
逆に抑え込まれて身動きが取れなくなってしまった。
「放してったら!」
先ほど嗅いだ香りが暴れたせいでより鮮明に鼻腔を擽る。
「なにが狙いだ? 王子妃になることか? それとも王家の混乱を招こうと?」
ぎゅっと密着した身体が固く、自分とは違う男の身体であることをまざまざと突きつけられる。
「ちが、ちがう……っ! わたしは……っ」
「まさか、第二王子のことが好きだとでも言うつもりか?」
会ったこともないのに?
馬鹿にしたように鼻で嗤われたのがわかって、エルネスティーネは顔が燃えるように熱くなった。
どうしてこんなことになってしまったのか、と混乱ばかりが繰り返し頭を過る。
「ただ、一度でも閨に侍ることができれば……っ」
子どもができるか気に入られるかすれば護衛がついて死なずに済むかもしれない。
その一言をなんとか喉奥に押し留めたエルネスティーネは、次の瞬間唇を塞がれた。
驚いて目を見開くと、眼鏡越しにナサニエルと視線が絡まった。
「んっ、んむ!」
無理矢理唇をこじ開けようとするのに必死で抵抗するが、途中で鼻をつままれて息ができなくなる。
「ぷは! うぐ……っ」
耐え切れなくなって口を開けた瞬間に顎を捉えられ舌が侵入してきて口付けが深くなる。
「ん、んん……っ、ふぁ、あぁ……っ、あむ……っ」
初めて人の口内を味わったエルネスティーネは、気持ちをどう捉えていいかわからず混乱していた。
(なにこれ、口付けってこんなに食うか食われるかな感じなの?)





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