【6月30日発売】一夜の恋でよかったのに憧れの騎士様に毎晩愛を注がれています【本体1300円+税】

amazonで購入

●著:犬咲
●イラスト:逆月酒乱
●発売元:三交社
●発行元:メディアソフト
●ISBN:978-4815543679
●発売日:2025/6/30


私……夢でしたので! 初めてを好きな人に捧げるのが!


王女の侍女を務めるソフィアは近衛騎士隊隊長のエイダンを密かに想っていた。だが横暴な兄に娼館に売られることになった前夜、せめて最初は好きな相手にと彼に一夜の情けを乞うてしまう。「好きなだけ、抱いてもいいのだろう?」エイダンは彼女を情熱的に抱いた後、身売り証文を買い取り求婚してくる。同情だと思ったソフィアは拒絶するがエイダンはそれなら期間限定の愛人になれと提案してきて!?





プロローグ やさしい嘘

豊穣の女神フルミナを讃える、フルクサクラ王国。
その第一王女であるアシュリンに侍女として仕えるソフィアは、昼の休憩時間をやり過ごすため、王宮の庭園に向かって回廊を歩いていた。
控えめに響く靴音はひとつ。他の侍女は連れ立って昼食に行く者も多いが、ソフィアは彼女たちが帰って来てから、最後に休憩に入ることにしているので、この時間は、いつも一人なのだ。
爽やかな初夏の風が、きっちりと結い上げた淡い金の髪のおくれ毛を揺らし、飾りけのない深緑のドレスの裾をなびかせる。
――いい天気ね。
回廊のアーチ越しに天を見上げると、ソフィアの瞳と似た鮮やかな青色の中心で、まばゆい太陽が輝いている。
この陽気なら、さぞ庭園は居心地がいいだろう。
春薔薇の香りを胸いっぱい吸いこんで、日差しで温まれば、きっと――空腹など感じずにすむ。
コルセットで締めあげたおなかをそっと押さえて、小さく溜め息をこぼしたそのとき。
回廊の奥、突きあたりを曲がった先から、ゆったりと近付いてくる足音が耳に届いた。
「……ぁ」
現れた騎士服の人物を目にして、ソフィアの鼓動がトクリと高鳴る。
――エイダン様。
心の中で、その名を呟く。ひそかな想い人の名前を。
さらりと整えられた黒髪に、涼やかな切れ長の目の中、理知の光に輝く深紅の瞳。
顔立ちは端正で凛々しく、スッと伸びた背すじや隙のない身のこなしは、精悍さと同時に優美さを感じさせる。
均整の取れた逞しい長身にまとうのは、金色の房付きの肩章に肋骨飾りをあしらった純白の騎士服と漆黒のブーツ。
――今日も凛としていらっしゃる。
正に模範的、理想の騎士像を体現したような人が近付いてくるのを、半ば睫毛を伏せて待ちながら、ソフィアは胸の内で彼を讃えた。
歴史あるルベラルマ侯爵家の若き当主であり、近衛騎士隊の長を務める彼は、ソフィアよりも四つ年嵩の二十五歳。
謹厳実直で高潔な人柄で知られ、王家からの信頼も厚く、人々の敬意と令嬢方の憧れまじりの好意を一身に集めている、非の打ち所がないほどに完璧な貴公子だ。
もっとも、あまりにも完璧すぎて、色めいた噂ひとつないものだから、やっかみまじりに「もしや不能なのでは」と噂する者もいるのだが……。
――本当に、素晴らしい方よ。
自分には厳しいが他人、特に弱き者にはやさしくて、ソフィアも何度となく助けられている。
一年ほど前にも、一度あった。
王女付きの侍女はとある事情――女神フルミナから授かった「慈悲の祝福」――のせいで、男たちから「都合のいい発散相手」「後腐れなく遊べる女」として不埒な誘いをかけられることがある。
ソフィアも一時期、近衛騎士の一人にしつこく迫られて悩んでいたのだが、その現場をエイダンに見られてからはピタリとなくなった。
きっと「ご婦人を困らすものではない」と窘めてくれたのだろう。
――何度断っても諦めてくれなかったから、本当にありがたかったわ。
亜麻色の髪をした騎士はそれなりに整った顔立ちをしていたが、それを鼻にかけ、おまけにこちらを軽んじているのが言葉や態度から滲み出ていて、なんとも厭な男だった。
他の侍女にも迫っていたらしく、「見かけなくなったわね!」と皆でエイダンに感謝したものだ。
――お兄様は「遊びを知らない、つまらん堅物男」だなんて、エイダン様をバカにしてらっしゃるけれど……。
ソフィアは、エイダンの高潔な人柄を尊敬し、好ましく思っている。
人としても、一人の女としても。
「……ソフィア、今日も庭園か?」
響きの良い低音で穏やかに問われ、ソフィアは伏せていた目を上げた。
ルビーを思わせる深く鮮やかな瞳と向き合い、そこに自分が映っていることを嬉しく思ってしまいながら、控えめな笑みで答える。
「はい。良い陽気ですので、食休みにのんびりと過ごそうかと思いまして」
「そうか」
エイダンは小さく頷いて、それから、スッと上着のポケットに手を差し入れた。
「……また、うっかり手に取ってしまったのだが、今日も引き受けてくれるか?」
そんな言葉と共に取りだし、差しだされた手のひらほどの大きさの箱を目にして、ソフィアは羞恥にジワリと頬が熱くなるのを感じた。
それは愛らしいウサギの絵が描かれた、王都の目抜き通りに立つチョコレート店の箱だったのだ。
――ああ、今日は自然にごまかせたと思ったのに!
エイダンにはお見通しなのだろう。
今日もソフィアが昼食を食べていない、食べないつもりでいることが。
金色のリボンがかけられた小箱を見つめながら、ソフィアは眉を下げる。
――うっかり手に取ってしまった、だなんて……。
気まずくて、もうしわけなくてしかたない。
エイダンに、やさしい嘘をつかせてしまっていることが、そして、彼に同情されても節約をやめられないことが。
王女付きの侍女には三度の食事が王宮の食堂に用意されるが、外食を希望すると、その分が給金に上乗せされる。
一日の金額はさほどでもないが、一カ月、一年と重なれば、バカにできない金額になる。
両親の死後、兄の散財で傾きかけている家から幼い妹を嫁がせる日のため、少しでも多くの持参金を貯めたいソフィアは、昼食を食べないことがほとんどだった。
最後に一人で休憩を取って、人目のないところで時間を潰せば誰にも知られずにすむ。
そうして侍女となってから二年間、チマチマと節約を続けてきたのだ。
けれど、一年ほど前。
今日と同じく、庭園に向かう途中でエイダンと会い、「昼食はすんだのか?」と聞かれて、「今からですわ」と答えた。
「……だが、庭園に行くのだろう?」
重ねて尋ねる彼の視線に訝しげな色が混じり、それが何も持っていない自分の手に向けられていることに気付いて、ソフィアは「しまった」と焦りを覚えた。
食事をするならば食堂か、王宮の外に出る必要がある。
「……庭園を見た後で、食堂に伺うつもりです」
ごまかすように微笑んでから、逃げるようにその場を去った。
それから二日後にも同じようなやりとりがあり、そのときは「もう、いただきました」と答えて事なきを得た。
つもりだったのだが……その後も何度か同じ問答が続いて、敏い彼は気付いてしまったのだ。
ソフィアが節約のために昼食を抜いていることを。
もしかすると生真面目でやさしいエイダンのことだから、ソフィアの様子を怪しみ、いや、案じて、本当に食堂に行ったか確かめたりしたのかもしれない。
「……うっかり手に取ってしまったのだが、私は甘いものが不得手で、よければ引き受けてくれないか?」
ある日、そんな言葉と共に、小さな焼き菓子の箱を差しだされた。
そのときの彼の表情を、今でもよく覚えている。
大貴族の彼からすれば端金ともいえる金額のために、わざわざ苦しい思いをするソフィアをバカにするでも、呆れるでもなく、「健康を損ねるようなことをするな」と咎めるでもなく。
ただ、ほんの少し眉をひそめ、ルビーの瞳に案ずるような色を浮かべて、ジッとこちらを見つめていた。
それなのに、ソフィアは反射的に断ってしまった。
自分のさもしい行為に気付かれた恥ずかしさのあまり、彼の善意を素直に受け取れなかったのだ。
「そんな、私は結構ですわ。他の……近衛騎士のどなたかにさしあげてください」
けれど、彼は引いてくれなかった。
「全員に行きわたるほどの量がない以上、部下の誰か一人に与えるのは不公平だ。同じ理由で、屋敷にも持って帰るわけにはいかない」
「……ご自分で召し上がるわけにはいかないのですか?」
「言っただろう。私は甘いものが不得手で……そう、食べると鼻から血がとまらなくなるのだ。君が食べてくれないのならば捨てるほかない。それでは作り手にすまないから、どうか受け取ってくれ!」
あからさま過ぎる嘘をつきつつ真剣な表情で訴えるものだから、思わず笑ってしまって。
「……わかりました。お鼻から血が出ては大変ですものね。謹んで、お引き受けいたします」
ありがたく受け取ると、エイダンは満足そうに頷いた。
「そうか、ありがとう」
凛々しい顔がほころび、向けられたやわらかで温かな笑みに、トクリと鼓動が跳ねた後。
「また、今日のようにうっかりしてしまったら、引き受けてくれるか?」
そう問われて、ついうっかり頷いてしまい、以後こうしてときどき、エイダンの「やさしい嘘」を享受しているというわけだった。
「……では、本日も謹んで引き受けさせていただきます」
そっと小箱を受け取って、ソフィアは深々と頭を垂れる。
心からの礼と詫びを伝えるように。
「いや、こちらこそ助かった。ありがとう、ソフィア」
彼の方は礼を言う必要などないのに、律儀に礼を口にすると、それ以上、余計なことは何も言わず、「では、また」と騎士服の上着の裾をひるがえして歩きだした。
傍らを通り過ぎ、遠ざかっていく凛とした背中を、ソフィアは眉を下げて見つめていたが、その姿が見えなくなったところで小箱をそっと抱きしめ、頬をゆるめる。
――気を使わせしまってもうしわけないけれど……おかげで午後も頑張れそうだわ。
庭園の木陰で人目を忍んで、そっと一粒、彼から貰った「やさしい嘘」を口にするとき。
いつも将来の不安も今の悩みも忘れて、じんわりと広がる味わいに、舌と心が甘くとろけるような心地になれるのだ。
つりあわない相手、叶わない想いなのはわかっている。
この淡く甘い気持ちを、ひっそりと抱えていられるだけでいい。
一生想いを胸に秘めたまま、ときおり彼のやさしさにふれ、ささやかな幸せを味わって生きていけたらそれで充分。
そう、心から思っていた矢先。
ソフィアの平穏な日々は終わりを迎えることになるのだった。
第一章 別れの思い出に、あなたをください
「――遅いわ、ソフィア!」
休憩を終えてアシュリン王女の部屋に戻ったところで、ソフィアが声をかけるより早く、ふわふわの金の髪をなびかせて駆け寄ってきた少女が腕に飛びこんでくる。
「午後に届く新しいドレスに合わせて、髪を結ってくれると約束したでしょう? 私、首を長くして待っていたのよ? あなたじゃないとダメなのだから!」
「遅くなってもうしわけありません、姫様」
華奢な身体を抱きとめ、内心慌てつつ壁掛けの時計に視線を走らせると、休憩終了五分前を指しているのが見えた。
「あ……いいえ、違うの。あなたは悪くないの。私が待ちきれなかっただけなのよ、ごめんなさい」
しゅんと眉を下げて大きな新緑の瞳を潤ませながら、甘えるように胸に頬をすり寄せてくる主人に、ソフィアは思わず目を細める。
先月十二歳になったアシュリンは、出会ったときから変わらず純粋無垢で天真爛漫で、子犬か天使を思わせる身も心も愛らしい少女だ。
隣国シルヴァーム王国の王太子デジレと婚約を結んでおり、十八歳になったら、彼の国に嫁ぐことになっている。
デジレの方が四つ年嵩で、二人が初めて顔を合わせたのはアシュリンが八歳、彼が十二歳のとき。
国同士の友好のために結ばれた政略的な縁だったが、彼は可憐な婚約者に一目で心を奪われ、アシュリンと結婚できることを神に感謝し、彼女が嫁いでくる日を心待ちにしている。
それは我が国にとっても、アシュリンにとっても喜ばしいことなのは間違いない。
ソフィアも民としても、アシュリンに仕える侍女としても、二人の結婚が幸せなものとなることを心から祈っている……のだが。
――姫様を想うあまり、少々こじらせてらっしゃるのが心配といえば心配ではあるわね。
初めての会合の後、アシュリンと離れがたかったデジレは「すぐにでも我が国に来てほしい!」と乞うたそうだが、「お父さまやお母さま、お兄さまと離れたくありません」とアシュリンに泣かれてしまい諦めるほかなかった。
その代わりとして、アシュリンに悪い虫がつかないよう、彼女が自分のもとに来るまで、純粋無垢な天使のままでいてくれるように、いくつかの頼みごとをしてきたらしい。
たとえば、「アシュリンに男女のあれこれを教えるのは自分でやりたい」ので「私が完璧にリードできるように、座学と見学でみっちり学んでおくので、閨教育はしないでほしい」だとか。
「私以外の男の名前を呼んでほしくない! 全員ファミリーネームで呼んでくれ!」だとか。
色々と、まあ、こじらせたお願いを。
――でも、そのこじらせ……いえ、こだわりのおかげで、私のような貧乏貴族の娘が姫様の侍女になれたわけだけれど。
三年前に行われたアシュリンの侍女選考の際にも、デジレは色々と条件をつけてきた。
けれど、幸い、それはソフィアにとって有利になるものだったため、ソフィアはひそかに彼に感謝しているのだ。
――おかげでこうして、どうにか自立できているわけだもの。
三年前、両親が亡くなり、五つ上の兄であるカールがサニブルック伯爵家の当主となったとき。
葬儀を終えたその夜に、兄はソフィアと妹のケイトに向かって「家の女は家の財産だ。おまえたちを誰にどう売るかは当主である僕が決める」と悪びれることなく言ってのけた。
元々、兄は目下とみなす相手に対して傲慢なところがあったが、それでも両親がいたころは、まだ抑えが利いていた。けれど当主になり、もう自制する必要はないと思ったのだろう。
「お姉様……私たち、どうなるのかしら」
当時、ケイトは九歳。涙ぐみ、震える妹を抱きしめ慰めた翌朝、ソフィアは動いた。
思いつく限りの伝手を頼ってアシュリンの侍女に申しこみ、厳しい審査を勝ち抜いて、見事その座を射とめたのだ。
侍女の任期はアシュリンが嫁ぐまでなので、満期まで務めおえたときには二十七歳。
貴族の令嬢としては完全に行き遅れと呼ばれる年齢だ。
それでも、そのころケイトは十八歳。
花の盛りの時期に、恥ずかしくない額の持参金を用意してあげられる。
――あの子が……ケイトさえ幸せになれたら、それで充分。
自分の身の振り方は、その後にでもゆっくり考えればいい。
そう思い、この三年間、ソフィアはアシュリンのために働きつつ、ケイトを立派に送りだすために少しでも多くの持参金を貯めようと、それだけを考えてきた。
それなのに、運命とは残酷なもので……。
「……ただいま戻りました、姫様!」
アシュリンにねだられるまま髪を撫でていたところ、部屋の扉がひらき、聞こえた明るい声にパッとアシュリンが振り返る。
「まあ、お帰りなさい! シエンナ! お使いありがとう!」
若草色のドレスをまとった赤毛の侍女は、ソフィアと居室を共にする侍女のシエンナ。
のんびりとした朗らかな性格で、読書が好きなあまり、「本と結婚したい。結婚せずに小さな本屋をひらいて、一生本に囲まれて暮らしたい!」という夢を叶える伝手と資金を得るために侍女となった、丸眼鏡が愛らしい女性だ。
「いえ、姫様のお役に立てて幸いですわ」
外出から帰ってきたシエンナはアシュリンにニコリと微笑みかけた後、困ったように眉を下げて、ソフィアに視線を向けた。
「ソフィア、ちょっといいかしら?」
「はい、何でしょうか?」
「ジャネットという女性に心当たりはあって? 四十半ばか、それくらいの黒髪の女性だけれど」
「ジャネット? 妹のケイトの侍女ですわ」
意外な名前にソフィアが目をまたたかせると、シエンナはますます眉を下げて続ける。
「どうしても、至急あなたに会いたいと来ているのだけれど……」
「まあ、それなら会ってさしあげなさいな!」
困惑げに告げられたところで、ソフィアが答えるより先に、興味深そうに二人の会話を聞いていたアシュリンが声を上げた。
「至急なのでしょう? ケイトがお熱でも出したのかもしれなくってよ? 控えの間をお使いなさい」
ニコリと笑って促され、ソフィアは少しの間迷った後。
「……ありがとうございます、姫様。ご厚意に甘えさせていただきます」
深々と頭を垂れて、そう返したのだった。

控えの間に入り、ジャネットと顔を合わせた瞬間、ソフィアはキュッと胃の辺りが苦しくなった。
彼女の表情を見ればわかったからだ。
ケイトが熱を出したとか、そういった些細な理由で来たわけではないということが……。
ジャネットはひどく青褪め、強ばった顔で口をひらいた。
「……旦那様もケイト様も、ソフィア様には教えるなとおっしゃっていましたが、私の雇い主はソフィア様ですので」
そう前置きをした後。
彼女が語ったのは、兄が下した呆れるほど愚かで、残酷な決定についてだった。
聞きおえたソフィアの顔はおそらく、ジャネットの表情を映したように、青褪め強ばっていたことだろう。
「……知らせてくれて、ありがとう」
「いえ、お仕えする令嬢をお守りするのが、侍女の務めですから」
絞りだすように礼を言うソフィアに、痛ましげに睫毛を伏せてジャネットが答える。
「……ジャネット」
兄のカールは家の女、ソフィアたちを「できるだけ金をかけずに、できるだけ高く売り払いたい」と思っている。
だから、両親が亡くなったときに、ソフィアたちに付いていた侍女や教育係を解雇した。
教養がなければ、まともなところには嫁げない。
とはいえ、ソフィアの給金では、まともな教育係を雇う余裕はなく、せめてケイトが自分で学べるようにと、教本を探しに行った書店で、ジャネットと知りあったのだ。
昔、教育係をしていたと聞いて、ダメで元々とお願いすると「そのようなご事情でしたら、かまいませんわ。どうせ気ままな独り身ですし」と二つ返事で頷いてくれた。
きっとソフィアたちの境遇に同情してくれたのだろう。
教育係だけでなく侍女の役目まで、驚くほど安い給金で引き受けてくれて、それ以降、ずっと妹に真摯に寄り添ってくれている彼女のことを、ソフィアは、いつもありがたく思っていた。
今日も、こうして知らせに来てくれたことに感謝してもしきれない。
できるなら、いつかはその恩を返したかったが、こうなっては難しいだろう。
「本当に、今までどうもありがとう。ろくに御礼もできず、ごめんなさいね」
「……ソフィア様?」
「どうか、お元気で」
訝しむ、いや、案ずるように眉をひそめるジャネットに、ソフィアは深々と頭を垂れて踵を返す。
そして、控えの間を飛びだし、アシュリンのもとへと走った。
至急、家に帰る許可をいただくために。

        * * *

ソフィアの顔色から、何か良くないことが起こったと察したのだろう。
アシュリンは理由を聞くことなく、ただ柳眉を下げて「気をつけていってきてね」と快く送りだしてくれた。
ソフィアは「もしかしたら、こうして姫様のお顔を見るのも最後かもしれない」と思いつつ、それでも笑顔を作って感謝を伝え、王宮を後にした。

それから、サニブルック伯爵家の小さなタウンハウスに着いて、応接室へと案内されて入るなり、ソフィアは眉をひそめることとなった。
この部屋に入るのは半年ぶりほどだが、いつの間にか、ひどく雰囲気が変わっていたのだ。
そう、ひどく――。
――悪趣味になったわね。
両親が生きていたころは花が活けられ、美しい風景画や愛らしい子犬の肖像が飾られ、温かでやわらかな色彩で整えられていた。
ソフィアはこの部屋が好きで、よくここで読書や刺繍にいそしんでは「おや、可愛いお客様が来ているね」と父や母にからかわれたものだ。
けれど、今や額縁の中身は肌も露わな女たち――宗教画だと言い逃れできそうにない痴態を晒している――に入れ変わり、そこかしこに艶めかしく身体をくねらせた裸婦像が置かれている。
閉めきった室内には瑞々しい花の香りに代わって、質の悪い香水の残り香めいた甘ったるい匂いが漂っていて、ひどく落ち着かない心地になる。
――お兄様は、ここにどんなお客様を招いているのかしら。
まともな貴族は、こんな部屋には招けない。
貴族ではない、こういった淫らな雰囲気を好む相手、職業といったら――そこまで考えたところで、ソフィアは膝で重ねた手をきつく握りこむ。
応接間に来る前、ケイトの部屋の前を通ったとき、扉越しにすすり泣きが聞こえた。
ケイトはやさしい子だ。
ソフィアに心配をかけぬよう、ジャネットに「姉様には教えないで」と頼んだのだろう。
――大丈夫よ、ケイト。姉様が助けるから。
あの子の未来を守るのだ。そのために、この三年間頑張ってきたのだから。
そう決意を新たにしたところで、勢いよく扉がひらいた。
「なんだ、ソフィア。ついに侍女を辞めてきたのか?」
足音高く入ってきた兄が、いかにも軽薄な声で嘲りの言葉を吐きながら向かいの席に腰を下ろす。
「まあ、おまえのような小賢しく可愛げも愛想もない女に、王宮勤めが続くとは思えなかったからな! 三年は持った方だろう」
「……そうですわね」
ソフィアがグッと拳を握りしめて言葉を返すと、兄は驚いたように目をまたたかせた。
「は? 本当に辞めてきたのか?」
意外そうに尋ね返してくる兄に、ソフィアは深く頷く。
それから、スッと息を吸いこんで本題を切りだした。
「……ですから、売るのはケイトではなく私にしてください」
そう、ジャネットが知らせてくれたこと。
それは「兄が賭け事で負債を作り、その返済のために妹のケイトを娼館に売り払おうとしている」という最低最悪の事実だったのだ。
常々、兄は言っていた。
ソフィアたちに「できるだけ金をかけずに、できるだけ高く売り払いたい」と。
そんな兄が持参金など用意してくれるはずがない。
持参金がなくても嫁げるような、年の離れた貴族の後妻になるか、悪評のある男に嫁がそうとするに違いない――そんな風に考えていた。
けれど、それすらも甘かったのだ。
――まさか娼館に売り払うなんて!
兄にとっては高く買ってくれる相手ならば、貴族でも娼館でも同じだったということだろう。
兄はソフィアの申し出に目をみはった後、品のない笑みを浮かべて口をひらいた。
「誰から聞いたか知らんが、おまえではなあ? 可愛げも愛想もない上に、二十一の年増じゃ、買い叩かれてしまいそうだ」
見下すように言いつつジロジロと身体をながめ回されて、ソフィアは鳥肌が立つのを感じながらも、兄の目をしっかりと見すえて言い返した。
「確かに少々歳は重ねておりますが、私には王女殿下の侍女という付加価値があります。きっと高く買っていただけるはずですわ!」
「ほう? 大した自信だな」
兄は顎に手を当てて、もう一度値踏みするようにソフィアをながめてから、ニヤリと笑う。
「まあ、確かに、何も知らない子供で遊ぶのもいいが、元王宮務めのお高くとまった女を泣かせたいって男もそれなりにいるだろう。それに、おまえなら娼婦にお誂え向きの『祝福』も付いていることだしな。よし、わかった。ケイトの代わりにおまえを売ってやる。聞く耳のある兄に感謝しろよ?」
「……ありがとうございます、お兄様」
長椅子にふんぞり返り、せせら笑う兄の頬に平手打ちをしたくなるのをグッとこらえて、ソフィアはしおらしく頭を垂れたのだった。








☆この続きは製品版でお楽しみください☆



amazonで購入

comicoコミカライズ
ガブリエラ文庫アルファ
ガブリエラブックス4周年
ガブリエラ文庫プラス4周年
【ガブリエラ文庫】読者アンケート
書店様へ
シャルルコミックスLink
スカイハイ文庫Link
ラブキッシュLink