【8月28日発売】男爵令嬢のおもいがけない相続婚 法務官な侯爵令息と交わす甘い愛の手続き【本体1300円+税】

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●著:佐木ささめ
●イラスト:蜂 不二子
●発売元:三交社
●発行元:メディアソフト
●ISBN:978-4815543945
●発売日:2026/8/28


法務官侯爵令息様が言う通り!?
全てを解決するには愛がある結婚が近道です


男爵令嬢マグノリアは、姉の駆け落ちと父の急逝により、家を継ぐことになるが遺言状の兼ね合いで相続できない事態に。そんな彼女の相談に乗ったのが学園時代の先輩で法務官のガスパルだった。
「どうか私と結婚してください」
彼は解決策として自分との結婚を提示し、昔から彼女を想い続けていたことを明かす。身分差の恋に戸惑いつつも彼の一途な愛にマグノリアの心は動かされ、甘く結ばれて!?






第一章



墓地に併設された教会でマグノリアは放心していた。
目の前にあるのは父親の棺だ。もともと心臓を患っていたけれど、まさか突然の発作で亡くなるとは夢にも思っていなかった。
まだ四十六歳なのに、神の庭に召されるのは早すぎる。
マグノリアはいまだに醒めない夢を見ているようだった。
「――お嬢さま、領地の者が参りました」
ハッとして振り向くと、老年の執事が憔悴した表情で立っている。いつも冷静な顔を崩さない彼も、いきなり主人を失って動揺が隠しきれていない様子だ。
「ええ、そうね……、お別れをしなくては」
マグノリアの父親はコロンヌ男爵家当主なので、小さいながらも領地を国王から賜っている。領地の管理を任せている家臣たちは、当主の訃報に泡を食って駆けつけただろう。
コロンヌ家は爵位は低いけれど歴史は古く、建国から続く名家ともいえる。
そのため領地は王都にほど近い土地を下賜されており、家臣たちは当主が亡くなった当日に馳せ参じることが可能だったようだ。
代官や執政官らが、青ざめた顔で教会に集まり始める。彼らは棺で眠る領主を見て、マグノリア同様、呆然としていた。
代官のドバリーが、故人に花を手向けてからマグノリアに話しかける。
「お悔やみ申し上げます、マグノリアお嬢さま。あの、ヴァイオレットお嬢さまは寝込まれていらっしゃるのですか?」
コロンヌ家の長女、ヴァイオレットがこの場にいないのは不自然である。母親のコロンヌ男爵夫人は六年前に亡くなっているため、喪主はヴァイオレットが務めるべきだ。
とはいえ貴族女性は失神しやすいので、父親の急逝にショックを受けて寝込んでいると考えるのはおかしくない。
「お姉さまは……そう、そうね、寝込んでいらっしゃるわ」
その言い方にドバリーは首を傾げているが、忠実な家臣はすぐにうなずいた。
「突然のご不幸では当然ですね。マグノリアお嬢さまが対応してくださるだけでも、我々は助かります」
いや、マグノリアも可能なら寝込んでしまいたいし、本音では何もかも放り投げて泣きたかった。けれど父の子どもは自分とヴァイオレットしかいない以上、姉が不在なら己が葬儀を取り仕切るしかない。
「しかしこれから男爵家はどうなるのでしょう。ヴァイオレットお嬢さまはまだ未婚なのに」
「……それは葬儀を終えてから決めます。今は父を悼んでちょうだい」
「そうでございますね」
神妙な顔つきで頷いたドバリーは、執事に「何か手伝うことはないか」と聞いている。最も指摘されたくないこと……跡取り問題から逃げられたマグノリアは小さく息を吐き出した。
しかしいつまでも先送りにはできない。爵位継承は当主の死後、なるべく早く決めねばならない最優先事項だ。コロンヌ家は跡取り娘のヴァイオレットが婿を迎えて、夫に当主を務めてもらうことが決まっていた。
だというのに。
――どうしよう。お姉さまが婚約者以外の男性と駆け落ちしてしまったなんて、こんなときに言えないわ。
ヴァイオレットがショックで寝込んでいるなど大嘘だ。姉は屋敷のどこにもいない。
これからどうすればいいのか……
マグノリアは教会の女神像を見上げながら途方に暮れていた。

                §

コロンヌ男爵家の長女ヴァイオレットは、猛烈な面食いだ。顔さえよければ内面は重視しないという、貴族の跡取り娘としてはふさわしくない性格をしている。しかも夢見がちで能天気なうえ、妄想好きで精神年齢も低い。
彼女を知る者の多くは、「お花畑令嬢」と呼んでいた。これは、「脳の中に花が咲いているように、何も考えていない空っぽな令嬢」という意味らしい。
それでも求婚者が絶えなかったのは、創世の女神もかくやという、当代随一の美貌のおかげだった。
父親のコロンヌ男爵は、長女の性格や思考が貴族夫人にそぐわないと気づいたとき、次女のマグノリアを跡取り娘にしようと考えた。姉と違って妹はしっかり者で、成績も王立貴族学園で常に上位を収めている。
この国――オブラン王国は長男が爵位と財産を相続するが、女子しか生まれなかった場合は女性にも爵位継承権が認められる。そして跡取り娘は長女でなくても、次女でも三女でも構わない。それは当主が決めればいい。
しかしマグノリアは自身の爵位継承に反対した。重責を負いたくないということではなく、コロンヌ家の名誉のためだ。
なぜならマグノリアが跡取り娘になれば、ヴァイオレットは嫁に出ることになる。けれど彼女は女主人としての責務……家政を取り仕切り社交をして家を盛り立てるなど、絶対に不可能だった。
王立貴族学園での成績も、妹と違って入学してから卒業までずっと学年最下位だ。だというのに顔のいい男子生徒を取り巻きにして、女王のように振る舞っていた。
ヴァイオレットを貴族ではなく裕福な平民に嫁がせたとしても、妻として差配するどころか、美形俳優の尻を追いかけ回すだろう。嫁ぎ先の迷惑でしかない。
ならば婿を取り、爵位継承者として夫に尊重され、実家で自由気ままに暮らさせた方がいいのではないか。実家にいるなら何もしなくても家臣がフォローできる。
幸いにもヴァイオレットの美しさに魅入られた信奉者は多いので、「それでいい」と言ってくれる心の広い殿方は一人ぐらいいるはずだ。
そういった事情があって、コロンヌ家の跡取り娘はヴァイオレットだった。
しかし婚約者候補の中に、ヴァイオレットのお眼鏡にかなう美男子はいなかった。極度の面食いである彼女は、『わたくしの美しさにつり合う殿方じゃなければ、結婚しませんわ』と堂々と言い切ったぐらいだ。
ヴァイオレットの意思を無視して婚約者を決めても、彼女なら結婚式当日に逃げ出すか、結婚式の誓いで、『わたくしはこの方と結婚しません!』とでも叫ぶだろう。
どうしたものか……とコロンヌ男爵とマグノリアが悩んでいた一年程前、ジャメ男爵家の次男ラファエルがヴァイオレットに一目ぼれした。
彼はヴァイオレットより二歳年下だが、彼女もまたラファエルの容姿を好ましいと受け入れた。
父親がジャメ家に縁談を申し込んだところ、ジャメ男爵は大喜びで了承した。商会を営むジャメ家は先代が爵位を金で買った新興貴族で、歴史あるコロンヌ家とのつながりは喜ばしいことだった。
けれど、次男のラファエルは自由奔放に育ったのもあって、当主になる自覚がなかなか生まれなかった。そこでマグノリアが補佐につき、姉夫婦に代わって領地運営を担うことを提案した。
ラファエルは当主教育にうんざりしていたため、義妹になるマグノリアが面倒な仕事を引き受けてくれると喜んだ。
もちろん跡取り娘のヴァイオレットも反対などしない。彼女も領地運営にかけらも興味がないので。
コロンヌ家は長女が爵位を継承し、次女が家の実権を握ることで円満に解決した。……かのように見えた。
十日前、ヴァイオレットがラファエル以外の男性と駆け落ちするまでは。

                §

「――マグノリアお嬢さま」
呼びかけられたマグノリアは我に返り、声がした方へ視線を向ける。心配そうな顔をした執事がそこにいた。
「あ、えっと、ごめんなさい、ボーッとして……」
「無理もございません。領地の者たちは屋敷に移しました。お嬢さまもお戻りください。少しは休んでくださいませ」
「……いえ、今日はお父さまのそばにいるわ」
オブラン王国では人が亡くなると、教会で故人をしのぶお別れ会が行われ、翌日か翌々日に葬儀をする。マグノリアは明日も父のそばにいるつもりだったが、衛生局から「明日中にミサを行い、埋葬するように」との通達があった。
九月初頭の今はだいぶ暑さも和らいでいるが、それでも日中は汗ばむ程度には気温が高い。腐敗を避けるために仕方がないとはいえ、明日には父親と会えなくなるなんて。
……姉が置き手紙一つで男と姿を消してから、コロンヌ家は目が回るほど忙しかった。
父親は怒り心頭のジャメ男爵に頭を下げ続け、婚約破棄の賠償などの後始末に奔走していた。そしてマグノリアは、姉の代わりにラファエルと結婚するしかないと覚悟していた。
しかし彼は話し合いの席で、『ヴァイオレットより不細工な女など妻にしたくない!』と暴言を吐いたのだ。紳士の風上にも置けない侮辱で、彼の父親はさすがに顔色を失っていた。
まあそのおかげでジャメ男爵の怒りが収まったうえ、暴言を詫びる意味で賠償金が減額されたから、マグノリア的には助かった。
しかし父親にしてみれば、長女の駆け落ちという醜聞に加えて、次女までも淑女としての尊厳を傷つけられたのだ。父親はショックのあまり発作を起こして倒れ、そのまま帰らぬ人になった……
マグノリアはガランとした教会の内部を見回す。
父親は貴族の当主でありながら高慢なところはなく、温厚な性格で人付き合いもよく、親しい友人は多かった。しかし今はヴァイオレットの醜聞が社交界に広まってしまい、関係者以外の参列者はいない。
領地の人間は醜聞を知らないが、王都に来た以上は隠せないだろう。マグノリアはため息が止まらなかった。
すでに母を亡くし、姉は行方不明で、父は急死。
マグノリアは一人ぼっちになってしまった。
あふれそうになる涙を必死にこらえて執事に向き直る。
「あなたも屋敷に行きなさい。お客さまのお世話をお願い」
「私も旦那さまのそばにおります」
「いいえ、お父さまのことで使用人たちも不安に思っているでしょう。わたくしだけでなく執事までここにいたら、みんな困ってしまうわ。あなたが采配して」
お願い、と言えば、執事は迷いながらもうなずいた。
「ここで夜を明かすのは感心しません。必ず屋敷に戻ってお休みください」
屋敷を守る警備兵の一部を教会によこすので、帰りは兵士と共に戻ること、と念を押して執事は教会を出て行った。
その際、もう日が落ちかけているため、虫の侵入を防ぐために大扉が閉められる。
父親と二人きりになったマグノリアは椅子に崩れ落ちた。
……ひどく疲れた。考えることが山のようにあるけれど、放心して頭が動いてくれない。
マグノリアはぼんやりと座り込んだまま、何も考えられずに棺を見つめ続けていた。
それからどれほどの時間が経過したのか。
ふと、大扉がノックされる音でマグノリアは我に返った。目を開けたまま寝ていたのかしらと思ったとき、キィッ、とかすかな音を立てて扉が開く。
振り向けば背の高い、男性らしき影が入ってきた。
教会関係者がランプに火をつけてくれたようで、教会内は真っ暗闇というわけではないが、その光は弱々しく日中のような明るさはない。
心もとない光の中、革靴の音を立てて大きな影が近づいてくる。
それをマグノリアが怖いと思わないのは、彼の手に白バラの花束があると気づいたからだ。この国では故人へ白バラを手向けるのが伝統である。どうやら参列者らしい。
しかし近づいてきた人を見てマグノリアは目を見開いた。
まるで夜空に輝く星のような金色の髪に、明るくて鮮やかな青い瞳の美男子だ。一分の隙もない完璧な美貌の持ち主で、無表情なのもあって見ていると心がざわめいてくる。
神に愛された美しさとは、こういう人のことを言うのだろう。男性なのに美人と形容したくなる。
――いえ、それよりも、誰?
そう思った直後、その人をもう少し若くした頃の顔を思い出した。
「ダレイラクさま……」
貴族学園時代の先輩、ダレイラク侯爵令息のガスパルではないか。
意外過ぎる人物の登場に、マグノリアは口を半開きにして呆けるという、淑女にあるまじき醜態をさらしてしまう。
「久しぶりだ。コロンヌ男爵令嬢」
「あ、はい、お久しぶりです……」
本当に久しぶりだ。なにせ彼が学園を卒業してから一度も会ったことがなかったので。
――何年振りかしら? ダレイラクさまってわたくしより二歳年上だから、六年ぶりよね。
王立貴族学園は十二歳になる年に入学し、十八歳で卒業する学び舎だ。爵位を持つ家に生まれた子は全員、入学が義務付けられている。
マグノリアもそこで青春の時間を過ごし、歴史研究部で上級生のガスパルと出会った。
といっても、親しかったわけではない。
オブラン王国の貴族社会は、公爵、侯爵、伯爵が属する高位貴族と、子爵、男爵、準貴族が属する下位貴族に分かれており、学園でも両者の交流は多くなかった。
しかもガスパルは名門ダレイラク侯爵家の一人息子で嫡男だ。婚約者がいないのもあって高位貴族の令嬢たちから大人気で、彼と親しくすれば彼女らに攻撃を受ける恐れがあった。
そのため部活の先輩と後輩として、節度ある関わり方しかしなかった。部室以外でガスパルと話したことは一度もないし、特にかわいがられたわけでもない。
だからこそ、ここに彼が来たことは意外だった。
「ダレイラクさま。お忙しい中、わざわざお越しいただきありがとうございます。あの、父とはどういったご関係だったのでしょうか?」
「コロンヌ男爵と深い交流はない。ただ、私は法務官をしているから訃報を知りやすい立場にいる。学生時代の後輩の父君が亡くなったとあれば、弔うのは当然だ」
「なるほど、ありがたいことです」
なんて義理堅いのだろう。自分が逆の立場だったら、名門侯爵家の権威に気後れして弔問は控えると思うのに。
まあ、社交界への影響力もない男爵家が相手なら、遠慮することはないのかもしれない。
気持ちが軽くなったマグノリアは、ガスパルを棺へと導く。
彼は故人に花を手向け、目を閉じて祈りを捧げた。
その姿を見守るマグノリアは不思議な気分になる。
今日は寂しいお別れ会だった。父との最後の別れを惜しんでくれたのは、使用人と領地の者たちだけ。つまり一族の人間、身内だけになる。
ヴァイオレットの醜聞が人々の記憶から薄れていけば、再び他家と交流をすることはあるだろう。けれど親を亡くして失意のどん底にいるとき、こうして駆けつけてくれたのは彼だけ。
ガスパルは義理で弔ってくれたのだろうが、彼が悲しみを分かち合ってくれたことで、ようやくマグノリアも父の死を悼むことができた。
醒めない夢が、やっと醒めてくれた。
――お父さま……もっとそばにいてほしかった。領地運営だって教えていただきたいことがあるのに、どうしてこんな早く……
このときガスパルが祈りを終えて振り向いた。彼は珍しいことに目を見開いて驚いている様子だ。常に冷静で感情を揺らすことのない人だったのに、硬質な雰囲気まで薄くなっている。
どうしたのだろうと思ったら、ガスパルがハンカチを取り出してこちらの頬を軽く押さえた。
そのときになってようやく、自分が泣いていることに気がつく。
「あ……、申し訳ありません……」
「親の葬儀で泣くのはおかしなことではない。それよりも許しなく淑女に触れて申し訳ない」
ガスパルが頭を下げるから慌ててしまう。
「いえ、紳士のたしなみの範疇ですから……」
「そう言ってもらえると助かる。こういうとき優しく抱き締めて慰めるべきだと思うのに、私がその権利を有していないのがもどかしい」
「……は?」
一瞬、何を言われたか分からない混乱と驚きで涙が引っ込んだ。
「婚約者ではない男が触れたら、女性には恐怖だろう?」
「え、あ、はい、そうですね……」
ガスパルに触れられて恐怖や嫌悪感は覚えなかったが、それを言ったら「あなたなら触れてもいいです」との意味になりそうで押し黙る。
――それよりもダレイラクさま、私がその権利を有していないのがもどかしいって、まるでわたくしのことを……まさかね。
彼の卒業以来、会うことはおろか手紙のやり取りさえなかったのだ。そんな相手が男爵令嬢風情に懸想するなど、うぬぼれだと笑われても反論できない。
それが分かっていながらドキドキしてしまう自分が情けなかった。
――だって殿方はいつもお姉さまをちやほやして、わたくしのことは見向きもしなかったから。
自分の顔が赤くなっているように感じられ、慌ててハンカチを取り出すと目元を押さえてうつむく。話を変えようと必死に話題を探した。
「えっと、父の死はあまりに急だったので、慌ただしくて、初めて涙が出ました……」
「つらかっただろう。確か君の母君は在学中に亡くなられていたから、一人で何もかも対応しなくてはいけなかったはずだ」
マグノリアに姉がいることをガスパルは知っているはずなのに、「一人で」と言い切ったことでヴァイオレットの醜聞を知っているのだと気がついた。
知っていながら来てくれたことに胸が熱くなる。
同時に頭の痛い問題を思い出して、マグノリアの顔から、すんっと表情が抜け落ちた。
「そうなのです、泣いている場合ではありません」
「だろうな」
そこでガスパルが椅子に座るよう勧めてきたため、侯爵令息を立たせたままだったと気づいて急いで腰を下ろす。
ガスパルはマグノリアの隣に、一人分の間隔を空けて座った。
「私は法務省に務めているから、コロンヌ男爵が遺言書を遺していることは知っているんだ。跡取り娘だった姉君が消えて父君が亡くなられて、爵位継承は困難を極めるだろう」
「はい……」
オブラン王国では相続時の骨肉の争いを避けるため、当主は遺言書を法務省に預けるのが慣例だ。当主に万一のことが起きた際、爵位と財産を嫡男、または跡取り娘に相続させる意思を法的に表すのだ。
これは後継者が未成年だった場合、親族が財産をかすめ取るのを防ぐためである。遺言書を残しておけば、後継者以外が遺産に手を付けた時点で横領だ。ハンカチ一枚、銀食器一つでさえ、後継者以外の所有を排除できる。
そしてコロンヌ男爵は、『相続人を長女ヴァイオレットに指名する』との遺言書を遺していた。つまり失踪したヴァイオレットを探し出し、爵位を継いでもらわねばならない。
ガスパルはこのことを指摘していた。
「姉君の消息は分かったのか?」
「探させていますが、手掛かりはつかめていません。それに見つかったとしても、姉の性格では帰ってこないでしょう」
マグノリアとヴァイオレットは一歳違いなので、ガスパルも王立学園でヴァイオレットの噂を……お花畑令嬢だと聞いたことがあるはずだ。
予想通りガスパルは腕組みをして難しい表情になっている。
「しかし貴族である以上、家を継ぐのは義務でもある」
「姉に一般常識が通じるなら、わたくしも苦労しませんわ……」
すんっと鼻をすすりながら呟けば、ガスパルは気まずそうに視線をそらした。
マグノリアは目尻ににじんだ雫をハンカチで吸い取る。
「お恥ずかしいことです。国王陛下の臣民でありながら貴族の責務を果たさないなど」
しかも六年ぶりに会ったガスパルに、家の恥をぐちぐちと漏らしている。貴族は足の引っ張り合いが常套手段であるから、親しくもない相手に弱みを見せることは危険なのに。
たぶん自分は、ヴァイオレットの醜聞がありながら弔問に来てくれたことがうれしくて、ほんの少し寄りかかりたかったのだろう。
「気にするな、お家騒動はどこの家でも一度は起きる。しかも今の君は頼れる家族がいないから不安だろう。……婚約者はいないのか?」
「おりません」
マグノリアは二十二歳で、結婚適齢期のギリギリだ。しかしヴァイオレットが結婚相手をえり好みしたため、なかなか婚約者が決まらず、マグノリアは後回しにするしかなかった。
婚約者がいればここまで心細いことはなかったかもしれない。
そう思っていたらガスパルが、「そうか」と声を漏らした。なんとなくホッとしているように感じられて不思議だ。
このとき教会の裏手から馬の嘶きが聞こえてくる。それがやたらと力強い印象で、我が家の馬とは違うような気がした。
「ああ、私の馬だな。コロンヌ家の兵士に預けておいたのだが、気性が荒くて手こずっているのだろう」
「馬車で来られたのではないのですか?」
「馬に乗った方が早い」
よく花束なんて持ちながら乗馬ができたわね、と感心する。
この辺りで潮時だと思ったのか、ガスパルが立ち上がった。
「コロンヌ嬢、法律に関わることなら私も力になれる。何かあったら遠慮なく相談してほしい」
ガスパルが懐から、二つ折りの小さなカードを取り出して渡してくる。そこには王城における彼の身分が記されていた。
――法務省司法行政局審議官。確かかなり上の部署よね。さすが秀才。
学園時代、彼は入学から卒業まで首席の座を奪われたことはないと聞いている。
ガスパルを呼び出したい、または連絡を取りたいときは、この部署にメッセージを送ってほしいとのことだった。
マグノリアは素直に礼を述べてカードを受け取る。
コロンヌ家には顧問弁護士がいるし、侯爵令息に相談など恐れ多いので、これを活用することはないだろう。
それでもマグノリアを励ましたいとの配慮を感じて、救われたような気持ちになった。

                §

お別れ会の翌日に葬儀を終えると、マグノリアはすぐさま相続手続きに入った。
法務省に預けてある父の遺言書を改めて確認したところ、当然だが相続人にヴァイオレットが指名されている。
そのほか、資産の一部をマグノリアに遺すなども記されていたが、それは今、どうでもいい。
重要なのは爵位である。
オブラン王国の法律だと爵位には領地が付属しており、領地だけを売ったり割譲することは許されていない。つまり爵位を継承する者は領地をも運営する義務を背負う。
その運営者が、現在のコロンヌ家には存在しないことになる。
一刻も早く新たな領主を立てなければならない。
今はまだいい、年間領地政策は毎年代わり映えがないため、代官や執政官は領主の指示がなくても、つつがなく領地を治めてくれる。
それが可能なのはコロンヌ領が小さい土地であることと、港から王都へと続く主要街道が通っているおかげで、大した産業もないのに収入が途絶えないからだ。
領都ヴァラスは、商隊や兵士が王都に入る前の最後の休憩地として栄えており、領政は豊かだ。
大半の領民が領都で働いているのもあって、ここさえ守っていれば安泰という、領主にとって治めやすい土地である。
そのため街の治安や生活基盤の維持、公共公益施設の保守などに力を入れている。
コロンヌ家は最古参となる家門の一つなので、さすがにいい土地を賜っているのだ。初代男爵には感謝してもしきれない。
だとしても領主がいない状況のまま平穏が保てるのは、もって一年ぐらいだろう。
人は善人ばかりではない。統治者がいなければ汚職などの政治的腐敗が始まり、やがて治安が悪化して盗賊などが跋扈する。
そうなれば旅人は領都を避けるだろうから、コロンヌ領のような土地はあっという間に没落するだろう。
ヴァイオレットを探し出して爵位を継承させることができないなら、マグノリアが相続人になるしかない。
だがそれには遺言書が妨げになっている。
ここからどう動けばいいかさっぱり分からないため、マグノリアは顧問弁護士のアロシュを呼び出すことにした。
彼とは先々代からの付き合いがあり、全幅の信頼を寄せている老弁護士だ。気のいいおじいちゃん先生で、マグノリアのことは赤ん坊の頃から知ってくれている。
しかし訪れたのは二十代後半の青年で、見知った顔ではなかった。
「初めまして、お嬢さま。アロシュ弁護士事務所を継いだ、ガストン・ボルデと申します」
「アロシュ弁護士はどうなさったの?」
「彼は老齢ですからねぇ。私に事務所を譲って引退されました」
マグノリアはすぐさま令嬢の仮面を貼りつける。
貴族の顧問弁護士を長年務めている彼が、挨拶もなしに引退するなどあり得ない。というか引退するとも聞いていない。
アロシュは子どもがいないため、養子をとって事務所を継がせるといっていたが、目の前の男の家名はアロシュではない。
――まさか乗っ取られたの? 弁護士なのに?
内心で渋い表情になったマグノリアは、お茶を出す執事に目配せする。事務所を調査しろとの意思は伝わったようで、執事は小さくうなずくと静かに応接間を出て行った。
「さて、今回のご相談は相続についてでしたね。遺言書の写しを拝見しましたが、難しい状況ですねぇ」
「わたくしが聞きたいのは、姉が戻ってこなかった場合のことです。わたくしが相続人になるための方法を教えてください」
「そうですねぇ、こういう場合はお姉さまを勘当して相続人から外すか、お姉さまが相続放棄するか、などが妥当です」
「勘当は当主しかできないのでは?」
「はい、そして相続放棄は本人しかできないため、これも難しい。なのでマグノリアお嬢さまができるのは、失踪宣告制度を利用するか、相続欠格者の手続きをするしかありません」
失踪宣告とは、行方が分からない者を法的に死亡したものとみなす制度のことだ。
「そんな、お姉さまを死んだことにするなんて」
「普通はためらいますよねぇ。それに失踪宣告は、行方不明になってから七年が経過しないと認められません」
「七年も待てないし、生きているかもしれない人を死んだことにはできないわ」
「それでしたら、相続欠格者の手続きをお勧めします。マグノリアお嬢さまが、『姉は貴族の義務を放棄したため、相続人としてふさわしくない』と裁判所へ訴えるのです。認められれば、お姉さまは相続権を失うことになります」
ただ、相続人ではない者がこれの手続きすれば、爵位と財産を狙ったお家騒動と疑われやすい。特に裁判所は遺言書……当主の遺志を優先するため、マグノリアの主張を簡単には認めない。
本当にヴァイオレットは行方不明なのか、もしかしたらマグノリアによって監禁されているのではないか。そういった懸念を一つ一つ潰して、間違いなくマグノリアの主張が正しいと時間をかけて調査するという。
「……まあそうでしょうね」
「三、四年ほどお姉さまを探して、それでも見つけられなかったら、裁判所もお嬢さまの主張を認めるでしょう。相続欠格者の手続きも、すんなり通ると思いますよ。そうなれば貴族社会も非難しないでしょうし」
マグノリアは膝の上に置いた扇を握り締める。
それでは困るのだ、領地が荒れていくのを、ただ見ていることしかできない。
唇をかみしめるマグノリアを、ボルデは悠然と眺めつつ鞄から書類を取り出した。
「お嬢さまが心配されているのは領地のことでしょう。ご安心ください、私がお嬢さまの代理人となってなんとかしましょう」
「……は?」
テーブルに置かれたのは�牋冉ぞ��瓩筏�されただけの紙だ。誰にどのような権限を任せるか、いつまで有効とするか、そういった重要事項は何も書かれていない。
白紙委任状だ。
「……どういうことですか」
「今、コロンヌ男爵家は当主がおらず、今後数年は当主不在が続きます。しかしお嬢さまは正統なるコロンヌ家の継承者。当主でなくても領地の方々はお嬢さまの指示に従うでしょう」
それはマグノリアも分かっている。代々コロンヌ家に仕える家臣は忠実なので、マグノリアの事情を考慮し、領主代理として認めてくれるだろう。
しかしそれでは駄目なのだ。国王に承認された爵位保持者でないと、領主の公印を押すことができない。正式な領主でなければ、いつか必ず支障をきたす。
それに議会の出席が認められず、国に関わることが何一つできない。
「お嬢さま、よく考えてください。ここにサインをくださったら、私が代理人として領地を今よりもっと豊かにしてみせます。私は司法だけでなく会計も学んでいますので、素人のお嬢さまよりずっと適任ですよ」
領主は領地を適切に治めるだけでなく、国王陛下の忠臣である。
そのことを全く考えていないボルデのニヤついた顔を見て、マグノリアはこめかみに青筋が浮かぶのを感じた。
――この弁護士、わたくしが若い娘で家族がいないからって、舐めたまねを。
男性優位の社会において、若い娘はどうしても軽視される。
爵位継承でも跡取り娘は女当主にならず、婿養子を取って夫に爵位を預け、当主を名乗ってもらうのが大半だ。
まだまだ女性の地位は低い。それゆえに貴族令嬢でありながら、こうして平民の弁護士にまで見くびられている。
マグノリアを、何もできない泣くだけの小娘と侮っているから。
しかしマグノリアは泣き寝入りするような性格ではない。貴族の矜持は常に抱いており、お花畑な姉に振り回されてきたのもあって理不尽な仕打ちに耐性ができている。
これでも歴史あるコロンヌ男爵令嬢なのだ。
マグノリアは扇を半分開いてすぐに閉じると、壁際に控えている侍女に扇の先端を向ける。これは警備兵を呼んできてほしいという合図だった。
侍女が音もなく応接間を出て行くと、マグノリアは背筋を伸ばす。
「ボルデさん、平民でしかないあなたが、貴族相手に白紙委任状のサインを求めるなど、身の程知らずの愚行だと分かっているのかしら?」
あえて平民と強調してやれば、「これは手厳しい」とボルデは笑っているが、唇の端が引きつっている。
「それは持って帰りなさい。あと、コロンヌ男爵家はアロシュ弁護士事務所との顧問契約を打ち切ります」
「なっ、何を言うんです! お嬢さまは知らないでしょうけどっ、コロンヌ家と我が事務所は切っても切れない関係なんですよ! それを勝手に終わらせるなど亡きお父さまが嘆かれます!」
その言葉にマグノリアの忍耐が切れた。マグノリアは決して短気ではないし、それどころか姉の尻拭いを続けてきたため我慢強い方だ。が、許せないこともある。
扇を開いて顔の下半分を隠すと、喚き散らす男の目を射抜いた。
「――おまえ程度がわたくしの父を語るなど万死に値する。無礼者が」
あえて低い声で言い放てば、さすがにボルデもまずいと気がついたらしい。
この直後、入り口の扉が開いて三人の警備兵が入ってきた。
「この者を追い出して。二度と屋敷に入れないように」
「そんなっ、お嬢さま!」
騒ぎ立てるボルデが、警備兵たちに容赦なく引きずり出されていく。扉が閉められて男の声が聞こえなくなると、マグノリアは大きく息を吐いた。
「……やっぱり夫が欲しいわ」
父親も男兄弟もいない若い令嬢が矢面に立つのは、まだまだ社会が受け入れてくれないのだ。
――でもわたくしが爵位を継いだら、女当主になっちゃうのよね。
跡取り娘は夫を当主にするが、それは結婚した後に爵位を継承した場合に限る。
もしマグノリアが未婚のまま爵位を継ぐと、当主になってくれる夫がいないため、マグノリアが女男爵になってしまうのだ。
その後に結婚した場合は、夫へ爵位を預けることが不可能になる。
これは女王の夫が国王になれないのと同じで、一度当主になったらその地位は不動なのだ。
ではなぜ、夫がいる跡取り娘は、夫を当主にできるかといえば、これはオブラン王国が血縁以外へ爵位継承を認めていないことに由来する。
婿は血縁ではないが、次代の血縁を生み出す者だ。それゆえに跡取り娘と婚姻している間は血縁と見なされた。
――それって屁理屈じゃない。だったら女当主の夫も血縁と見なされるから、爵位を渡すことだってできるはずよ。まあそれを認めちゃったら王配殿下はどうなるんだって揉めるから、認められないのは分かるけど。
自分が爵位を継ぐ前に結婚できれば、夫を当主にできるのに……とため息を漏らしたとき執事が戻ってきた。アロシュ弁護士事務所の調査を手配したとのこと。
「それよりもお嬢さま、これは白紙委任状ではありませんか。何があったのですか?」
ボルデの愚行を簡潔に話すと、執事は怒りをあらわにした。
「不届き者が……」
「ついてないわね。そうだわ、書斎に法令集はあるかしら? 我が家のようなケースはどう対処すればいいか調べないと」
「ありますが、簡略版になります。やはりプロに相談した方が確実です」
「……家の恥をそうそう漏らせないわ」
信頼関係のない弁護士に家の事情を話す勇気はない。
今から弁護士を探そうとしても、ボルデのような者は他にもいるはずだから、それを見抜く自信がマグノリアにはなかった。
――こういうときのために顧問契約を結んでいるというのに、アロシュ先生がいないなんて。ここ最近は本当に運がないわ。
アロシュ以外にマグノリアを軽視せず、親身に相談に乗ってくれる弁護士など――
『法律に関わることなら私も力になれる。何かあったら遠慮なく相談してほしい』
不意に教会での会話を思い出した。薄暗闇に浮かび上がる端整な顔と、こちらを案じる美しい瞳も。
――いたわ、信頼できる司法関係者が。
いやでも、六年間も没交渉のうえ、はるか雲の上の方を頼るなど本当にいいのだろうか。社交辞令として告げただけかもしれない。
それでも今は他に頼れる人がいない状況だ。
そして一刻も早く相続問題を解決しないといけない。
マグノリアは恥を忍んでガスパルに手紙を送ることにした。すると間を置かずに返事が来て、休日にコロンヌ家へ来てくれるという。
マグノリアは猛烈に焦った。
こちらは頭を下げて相談する側で、しかも相手は名門侯爵家の嫡男だ。ガスパルを動かすなど、とんでもないことだと再び手紙を送ったが、断られてしまった。
もしかしたら男爵家の令嬢風情を、家に招きにくいのかもしれない。
申し訳ないがガスパルに屋敷まで来てもらうことにした。





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