姐さんにはなりませんっ!
冷徹な若頭はお嬢に執着する
【本体1200円+税】

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●著:御厨 翠
●イラスト:氷堂れん
●発売元:三交社
●発行元:メディアソフト
●ISBN:978-4-8155-4063-0
●発売日:2021/8/30

あなたを絶対に、逃がさない

組長の娘である彩芽は大学卒業の日に父親から若頭の碓水と結婚して姐になるよう命じられる。碓水は彩芽の初恋の相手だった。極道は嫌いだし過去全く相手にされなかった碓水と愛のない結婚をするのは嫌だと思う彩芽。だが碓水は以前と変わって強引に迫ってくる。「彩芽さんをその気にさせるところから始めましょうか」好いた男に触れられ反応してしまう身体。流されそうになり苦悩する彩芽は!?




 シートベルトを締めると、碓水はアクセルを踏んだ。門を出るまでの間、車を見た組員たちが頭を下げてくる。彩芽に対してではなく、若頭に対してだ。こういうところを目の当たりにすると、となりで運転をする男が築いてきた人間関係を理解できる。
(わたしと結婚しなくたって、碓水が組長なら誰も文句は言わない)
 屋敷の敷地を抜け、車内はしばし沈黙に包まれる。この場から今すぐ逃げ出したいような、それでいていつまでも碓水のとなりにいたいような、相反する気持ちで頭の中がぐるぐるしていた。
「それ、似合ってますね」
「え……」
「髪飾りですよ」
 沈黙を破ったのは碓水だった。意外な方向の会話に困惑した彩芽は、「ありがとう」と、小さく礼を告げることしかできない。なぜなら、この男からこんなふうに褒められたのは初めてだったから。
(っ……心臓、うるさい)
 碓水のたったひと言で、気分が浮き沈みする。目が合えば心臓が躍り、会話をすれば胸がときめく。しかし、少しでも素っ気なくされたら人生の終わりかと思うほど落ち込んでしまう。
 実家にいたとき、彩芽の世界はこの男を中心に回っていた。もしも四年前に結婚話が出ていたとすれば、喜んで受け入れたに違いない。
(でも、形だけじゃ意味がないもの)
「……さっきの話だけど、本気なの?」
 彩芽は、ストレートに問いかけた。駆け引きは性に合わない。それに、この男にはそんなものは無駄だ。どうせ考えていることなど、すべて筒抜けだ。昔からそうだった。
「組のために結婚なんてする必要ない。……碓水だって、本当はわたしと結婚なんてしたくないでしょ」
「嫌なのは彩芽さんのほうでしょう」
 無感情に答えた碓水は、小さく息をついた。
「極道を嫌って実家まで出たんですからね。それで、これからどうするんです? アパートを引き払うにしても先立つものが必要だ。でも、あなたにそんな金銭的な余裕はない。当面の生活費もままならないのに、感情だけで動くものじゃないですよ」
 どこまでも正論を吐く男を前に、ぐっと息を詰める。そんなことは、言われなくても理解している。しかし、だからと言って結婚なんて受け入れられるはずがない。碓水を好きだった――いや、今でも思いがあるからこそ、絶対に。
「それでもわたしは組のためになんて結婚しない。父にはわたしから、結婚しなくても碓水が組を継げるように説得してみせる。それでいいでしょ」
「いいわけないでしょう」
 碓水の声が、先ほどまでよりも若干低くなった。以前何度か聞いたことのある、本気で怒る前の声だ。
 まだ実家にいたころ、入ったばかりの組員同士が諍いを起こした。そのとき仲裁に入った碓水が、ふだんの冷静な態度を崩し、恫喝していたのをこっそり見ていた。見た目はビジネスマンと変わらないのに、やはりこの男も極道なのだと思い知った場面のひとつだ。
「俺は、表向きは堅気の会社を経営しています。あなたが住んでいるアパートも、俺が経営している会社の持ちものです」
「え……」
 驚く彩芽に、碓水はさらに続ける。
「隣人も、俺の会社の人間です。あなたに何かあったときすぐに駆けつけられるように、ね」
「それも……父の指示?」
 今まで知らなかった事実を明かされ、唇が震えた。この四年、この男にガードされていたばかりか、住まいまで管理されていたとは思わなかった。
 実家を離れて暮らし、少しは自立したと思っていた。それなのに、父や碓水の手の中にいただけだったなんて、あまりにも滑稽だ。
「組長の指示ではありません。俺の会社が管理している物件であなたの部屋を借りるよう進言したのも、社の人間をとなりに住ませたのも俺の判断です」
「どうして、そこまで……っ」
「言ったでしょう。あなたは、神代純一郎の娘です。万が一にも危険が及ばないようにするのは俺の役目ですから」
 心の中で憤る彩芽とは対照的に、碓水の態度はまるでブレない。この男の行動に感情は入っていない。ただ、ひたすら自分の職務に忠実なだけ。組長の命で好きでもない女と結婚しようというのだから、筋金入りである。どこまでも自分の考えと相容れない。それが、彩芽は少し哀しい。
「それで、どうしますか」
「……何が?」
「今後の生活についてです。今のままでは、十日後にあなたはアパートを出ることになる。いくら俺の管理している会社とはいえ、組長に認められていない以上置いておくわけにいきません」
「家が見つかるまで、漫画喫茶でも利用するわ。……どこか寮のある仕事を探してもいいし」
 自分でも無計画だとは思うが、現時点で良案が浮かばない。
 車はいつの間にか、アパートの近所を走っていた。このまま碓水と別れ、すぐにでも荷物をまとめないといけない。自分の置かれた状況に焦りを感じていると、なぜか車は地下駐車場に入っていく。
「碓水……? どこかに寄るところがあるの?」
 迎えにきたときはアパートの前に車を停めていたから、彩芽を送るだけなら駐車場に車を停めることはしないはずだ。
 不思議に思って尋ねると、それには答えず碓水は自分のシートベルトを外した。それと同時に、視界が反転する。シートが押し倒されたのだと気づいたときには、助手席に移動してきた男に見下ろされていた。
「なっ、何……?」
「どうしても俺と結婚するつもりはありませんか?」
「だから、そうだって言ってるじゃない」
「なら、彩芽さんをその気にさせるところから始めましょうか」
 口角を上げた碓水の艶やかな顔にゾクリとする。この男のこんな表情は今まで見たことがない。常に適切な距離で彩芽に接し、それでも近づこうとすればそれとなく窘められた。
 それなのに、なぜ今この男は自分を押し倒しているのか。混乱した彩芽は、目を大きく見開いて碓水を見上げるしかできない。
「あなたには、絶対に俺と結婚してもらいます」
「わたしは……っ、んんっ」
 碓水は強引に唇を重ねてきた。とっさに押し返そうとするも、両手を押さえつけられて動きを封じられてしまう。
(どうして、キスなんて……っ)
 ずっと碓水に想いを寄せてきた彩芽は、ほかの男と付き合った経験はない。だからこれが、初めてのキスだった。
 見た目よりもずっとやわらかい感触とぬくもりに、心臓が異様な速さで拍動する。
 抵抗したいのに、碓水はそれを赦してくれなかった。閉じていた唇を強引に舌でこじ開け、口中に侵入する。ぬるぬると舌の表面を擦られて、くぐもった声が漏れる。
「ん、っ……ぅっ」
 碓水の舌先に上顎をくすぐられ、左右の頬の裏側を舐られる。なぜ、どうして、と混乱する思考は、荒々しい口づけに薙ぎ払われてしまう。
 くちゅっ、と唾液が撹拌される音が聞こえてくる。ひどく淫猥な音に、知らずと頬が熱くなる。
 碓水はわざと音を立てて舌を動かしていた。いつも感情を見せない男が仕掛けてくるキスは淫らで、そのギャップにますます戸惑う。
 息継ぎもできずに苦しくなると、わずかに唇を離した碓水が至近距離で囁く。
「こういうときは鼻で息をするんですよ」
「はっ……離して……!」
「聞けませんね」
 碓水は酷薄な笑みを浮かべ、ふたたび口づけてきた。唇を吸われてびくりとすると、角度を変えて舌を差し込んでくる。まるで味わうような動きで舌の表裏を撫でられて、奇妙な心地よさに支配される。
(気持ちよくなんて、なりたくないのに)
 心のないキスなんて嬉しくない。けれど、気持ちとは裏腹に、碓水のキスをどこかで喜ぶ自分もいた。理性と本能がせめぎ合い、心が乱れる。その間にも欲望を煽るように舌を動かされ、意識が碓水に塗り替えられていく。
「う、すい……っ」
 せめてもの抵抗で首を振り、碓水から逃れる。このままキスを続けていれば、この男に心を持っていかれそうな怖さがあった。
「キスだけでずいぶん色気のある顔をしてくれますね」
 碓水は自身の唇を舌で舐めると、シートをもとに戻した。その手で呆然とする彩芽の頬に触れ、意味ありげに撫でてくる。
「俺と結婚しようと思えるように、今日から彩芽さんを口説きます。あなたもそのつもりでいてください」

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