●著:月宮アリス
●イラスト: 池上紗京
●発売元:三交社
●発行元:メディアソフト
●ISBN:978-4815543235
●発売日:2023/08/30
私は絶対にあなたから離れない
原因不明の病で衰弱したルーリエは、王太子から婚約を破棄されると、都から離れた地に住むハルディエル公爵ベルナールに下げ渡される。
だが、彼に連れられ都から離れると、みるみる内に健康を取り戻す。
「このままあなたを攫ってしまってもいいのだろうか」突然の婚姻とはいえ、誠実で美しいベルナールの優しさに惹かれていくルーリエ。
しかし、彼女を陥れ瀕死にさせた叔父の策略が再び動き!?
その日の午後、ルーリエのもとをベルナールが訪れることになった。
面会を了承したのはいいが、元気になれば思考も色々と回るようになる。
ずっと寝付いていたため、身ぎれいな状態ではない。淡い薔薇色の髪や黄金色の瞳を褒められることは多かったけれど、寝間着姿の状態はあまりにも無礼だ。
ベルナールは現国王の弟の息子である。イグレンとは二歳差の従兄で、王家の血を引く貴公子なのだ。
主人の意を汲んだクララがベルナールの了承を取りつけ、衝立越しでの面会と相成り、ルーリエはほっと息を吐いた。
扉が開き、足音が聞こえた。衝立越しに人が座る気配が伝わってくる。
「女性の寝室に入る無礼を許してくれた心優しいミラジェス嬢に感謝する」
高くもなく低くもない思慮深い落ち着いた声だった。宮殿を去る時も聞いた。あの時は気にする余裕もなかったけれど、ずっと聞いていたくなるほど耳に心地良い。
そういえば、と思い出した。ベルナールとはルーリエがまだ小さな頃一度会ったことがあった。あの時はまだ声変わり前だったが。月日が経つのは早いものである。
妙な感慨にふけったのは一瞬で、慌てて返事をする。
「い、いえ。こちらの方こそたくさんご配慮くださってありがとうございます」
「体調に変化があったと聞いた。快調に向かっているのだとか。現在の具合はいかがだろうか?」
「はい。この数か月、寝返りさえ打つことができなかった身の上だったのですが、今はこうして会話ができるようになり、食欲も湧き、そして体を動かせるようになりました」
「声にも張りがあるように聞こえるが……無理をしているわけではないのだな?」
自身の現状を語ったルーリエに対して、ベルナールが慎重に尋ねてきた。直接相対していないため、不安があるのだろう。
「もちろんです。正直、どうして急に回復したのか分かりませんし、未だに自分でも信じられません。けれども、食欲が湧いてきて、食べるごとに体の奥から活力が湧き起こるのが分かるのです」
「そうか。確かにあなたの声は明るく活力に満ちている」
「はい。きっと、明日はもっと良くなる。胸の中にそう希望の光が灯るのです」
ルーリエは声を弾ませた。思考が明るくなったことこそが大きな変化だった。
「いくつか質問していいだろうか」
「もちろんです」
彼が尋ねたのは、ルーリエのこれまでの症状についてだ。彼にもある程度伝わっているのだろうが、自分の口で改めてこれまでの経緯を説明する。
それは数年前のことだった。最初はただの疲労かと思った。
ルーリエはシエンヌ王国の王太子イグレンの婚約者であると同時に、光のいとし子であった。そのため毎日忙しく過ごしていたからだ。
このシエンヌ王国でミラジェス公爵家は特別な家である。
それというのも、数百年前に光の精霊と交わったという伝説があり、一般の聖女とは違う浄化能力を持つ女性が定期的に生まれるからだ。
それは通常の聖女が十人で行う浄化を一人でこなせるほどの強い力だ。
光のいとし子というのは、ミラジェス公爵家に生まれた中で一番強い力を持った者を指す呼称だった。
そして、当代の光のいとし子がルーリエで、ラヴィレに発生する瘴気、通称黒い霧の浄化を行っていた。
王都ラヴィレではおよそ六〜八十年に一度、この黒い霧と呼ばれる強力な瘴気が発生する。
そのたびに王家はミラジェス家から娘を王妃に迎え、瘴気を抑える。
この慣例に従いルーリエはイグレンの婚約者となった。
その生活は多忙を極めた。精霊殿に仕える聖女たちの補佐を受けながらのラヴィレの浄化活動に、将来の王太子妃としての勉強も行わなければならない。
シエンヌ王国の歴史に外国語、楽器、ダンス、そして宮廷作法など学ぶことはいくらでもあった。
そのような生活の中で体調の異変を感じたのは、十四歳を過ぎたあたりのことだった。
「この時期は体にも変化が起こりやすいと聞きますし、わたしの場合もそうなのだろうと、やり過ごしておりました。けれど、徐々に体がいうことをきかなくなっていったのです。食事の量が減り、めまいや立ち眩みに襲われ、寝付く時間が多くなっていきました。そして一年半ほど前からは寝台から離れることができなくなりました」
それはまるで自分の中に何かが入り込んでくる感覚とでも言えばいいのだろうか。
命の輝きをじわりじわりと浸食されるような心地だった。気がついた時には、得体のしれない何かに体が蝕まれていた。
様々な治療を試したが何をしてもだめだった。回復する兆しすらなかった。
「正直、そろそろお迎えがくるのかな、とも思っていたのですが……。急に元気になりました。自分でもびっくりです」
素直な驚きを声に乗せつつ、ルーリエは話を締めくくった。
「詳しく聞かせてくれてありがとう。一度医者を呼ぼうかと思うのだがいかがだろうか」
「ありがとうございます」
次に彼はこれからのことを話してくれた。箱馬車調達のめどが立ったようで、新居となるコルツェン城へ向かうとのことだ。
「あなたもご存じだと思うが、私は現国王陛下の甥だ。公爵位を授けられていて、普段はリーゼンマース領を治めつつ、魔法研究を行っている。ラヴィレには滅多に顔を出さないため、引きこもりと呼ばれているような男だが……。今後あなたはコルツェン城で私と一緒に暮らすことになる。新居に何か希望があれば言ってほしい」
「こちらの方こそ、イグレン殿下に婚約破棄されたわたしを引き取ってくださりありがとうございます。突然のことに大変驚かれたと思います。こうして親切にしていただいているだけで過分と申しますか。これ以上何か、など……滅相も――」
そう話している途中でふと思った。
そういえば、元婚約者のイグレンはベルナールにルーリエを下げ渡すと一方的に宣言した。
下げ渡すとは、結局どういうことだったのだろう。自分の身に起きた変化が大きすぎて、そのあたりのことをすっかり忘れていた。
「あのぉ……結局わたしは、どういう肩書でハルディエル公爵閣下の領地へ向かっているのでしょうか?」
「……」
そろりと尋ねれば、衝立越しに沈黙が返ってきた。
ルーリエは辛抱強く待った。
そして。
「……私の妻だ」
「つ・ま?」
「……ああ。私の……妻だ」
思わず二音に分けて復唱すると、ものすごく言いにくそうな声でベルナールがもう一度同じ台詞を言ったのだった。
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