【2月27日発売】あなたとは結婚できません!! 英雄将軍と私の期限付きの恋【本体1300円+税】

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●著:戸瀬つぐみ
●イラスト:なおやみか
●発売元:三交社
●発行元:メディアソフト
●ISBN:978-4815543822
●発売日:2026/2/27


親殺しの将軍と呪われ姫。孤独な二人が見つけた最初で最後の恋


内乱で兄王を庇い呪いの傷を刻まれた王女エディス。婚約破棄され、政略の道具にすらなれないと嘆く彼女のもとに舞い込んだのは謀反人の子であるがゆえに爵位を持たない英雄騎士ジャレッドとの縁談だった。
「あなたはもう、私の大切な人です」
不器用ながらも真っ直ぐな彼の献身に触れ、次第に心を通わせていく二人。だが、幸せを掴みかけた彼女の元に、かつて呪いをかけた継母が再び忍び寄り……。






第一章 呪われ姫



呪われ姫――。
エルトランド王国の王女エディスが、そう呼ばれるようになったのは今から五年前のこと。
内乱の折、対立した継母により負わされた傷が、呪いとして身体に刻まれてしまった。
継母が逃亡したため、呪いの正体はいまだによくわからないが、左肩にある傷は確かにただの傷とは違う。
赤い薔薇の花が咲いたような模様を描いて、五年経っても薄れることはない。
エディスは呪われた傷物の王女として、民からの同情と、国王である兄からの深い愛情を受けながら、毎日平和に暮らしていた。
呪いにより寝込むようなこともなく、この五年間身体は健康で、王族としてなに不自由ない暮らしができている。
だから、自分のことを不幸だとは思っていない。この傷痕と呪いを背負う前より、今のほうがずっと幸せだ。
ただ少しだけ落ちこむときもある。
今日がまさに、そんな日だった。
「結婚おめでとう、どうかお幸せに。……たまにはここにも顔を出してくださいね」
結婚が決まった友人を招いて、お祝いを贈ったのはもう何度目のことだろう。
たまには……と、そんなふうに遠慮がちに伝えたのは、この国では未婚の令嬢と既婚の婦人の集まりは、別けて考えられているからだ。
他愛のないお喋りをするだけの王女のサロンを離れ、彼女はこれから貴族の婦人としての社交に奮闘することになる。
それを、自分のわがままで邪魔するわけにはいかなかった。
「困ったことがあったら、私が力になるわ。必ず相談にいらっしゃい」
「エディス様……ありがとうございます」
彼女も、これが実質的な別れになるとわかっているのだろう。
涙を流しながら、この関係が終わってしまうことを悲しんでくれた。
そうして友人を送り出し一人になったところで、エディスは小さなため息を一つ漏らす。
「皆、もう結婚してしまったわ。私はひとりぼっちよ……」
友人の結婚を祝う気持ちは、本心だ。ただ少し寂しくて、やるせない。
エディスのそんな気持ちに共感するように、そっと身を寄せてきたのは一匹の犬だった。
「あら、パーシィありがとう。そうね、あなたがいてくれる」
もちろん犬は人の言葉など喋ることはできない。しかし、主人の言葉はかなり理解してくれているようで、いつも相談相手となってくれる。
今もエディスの気持ちを慮り、すりすりと額を擦りつけ愛情を示してきた。
愛犬のパーシィは北の帝国から贈られた大型犬で、寒さを凌ぐための毛が密に生えている。気分が沈んだときは、この白とグレーの毛を撫でて、気持ちを落ち着かせることにしている。
エディスはこの春で二十二歳となったが、「呪われ姫」に縁談はない。
呪われる前に婚約を交わしていた男性はいたが、あっさり破談となっている。
王女の夫となったら、呪いが病のように移るのでは? とまことしやかに噂されているようだ。だから適齢期の男性は、誰もエディスには近づいてこなかった。
同性の令嬢たちは噂を気にせず親しくしてくれていたが、交流していた友人のうち、最後の一人もついに結婚が決まった。
「歯がゆいのは、このままじゃただの役立たずだということよ。王族に生まれたからには、国のためになる結婚をすべきでしょう? 私にはそれができないから……」
もちろん、王の妹であり現在唯一「王女」の称号を持つ者として、公務には真面目に取り組んでいる。しかし女性王族の立場でできることは限られていた。
兄王の負担を減らせるような役目は任せてもらえない。もっとたくさんの役割を果たしたいと願い出たことはある。でも、保守的な家臣たちに難色を示されてしまった。
王を支えることもできない、国のためになる政略結婚の駒としても使えない自分は、正真正銘ただの役立たずだ。
「本当はね、誰でもいいから結婚したいわけじゃないのよ。……ただ、特別と思える相手が欲しい。……私には贅沢な願いだけれど」
半年前に兄王も妃を迎え、これまで務めてきた王宮での女主人としての役目もなくなった。そのうち王子や王女が生まれるかもしれない。
なんとなく、自分がどんどん邪魔者になってしまう気がしている。
いつまでも甘えて、王宮で暮らすことは避けたほうがいいのだろう。
「いっそ、修道院に行くべきなのよね」
エディスはそんなふうに考えはじめていた。

        §

兄である国王セドリックから大切な話があると告げられたのは、それから一ヶ月たったころ。
ちょうど今後王宮を出ていく場合の候補として、縁ある修道院に手紙を出した直後のことだった。
「お兄様、ごきげんよう。お呼びでしょうか?」
セドリックが待っていたのは彼の私室だったため、兄妹として親しみを込めて挨拶をする。
自分たちは年齢こそ七つ離れているが、よく似た兄妹だ。
同じ金髪碧眼で、ツンと尖った鼻や小さめの耳の形も似ている。ただ、エディスはセドリックのように背は高くないし、剣を思うままに振る力もない。
性別が違うからしかたのないことだとわかっているが、即位から五年経ち、ますます王としての威厳が溢れてきた兄は、今のエディスには眩しすぎた。
そのセドリックは、目を細めて思わぬことを口にしてくる。
「エディス、君と結婚するに相応しい相手がいる」
「え……?」
その表情を見れば、これがよい話だということが自然と伝わってくる。
それでも、自身の結婚に関して慎重な考えを持っているエディスは、冷静に応じようとした。
「私が結婚ですか? どこかの国に、物好きな老王でもいらっしゃいました?」
自分のような者と結婚を望む人物とは? よほどの物好きで、跡継ぎの心配がない人ではないかと想像した。
しかし、セドリックはすぐに否定してくる。
「まさか! 相手は君も知っている男だ」
「……それは、どなたですか?」
王女として社交の場に出ていれば、顔と名前が一致する程度の知り合いならたくさんいる。しかし、エディスの「呪い」を警戒している人たちしか思い浮かばなかった。
少なくともエディスを厭うような人を、セドリックが結婚相手に選ぶわけがないのだが……。
「お兄様、もったいぶらず教えてください」
早く答えを知りたくて、そう催促する。
「君に相応しい相手とは、ジャレッド・グラフトン将軍のことだ」
セドリックはとっておきのプレゼントを披露するように、自信満々にその名を口にした。
そしてエディスは、とにかく驚いた。
(ジャレッド・グラフトン将軍……)
これは、なにかの夢かも知れない。
「お兄様……でも、そのかたは、このエルトランド王国の英雄でいらっしゃいます! しかもまだ若く、立派な殿方ではありませんか」
ジャレッド・グラフトン将軍のことは確かに知っている。
もともと兄の親しい友人であった彼と、エディスが直接言葉を交わしたのは一度きりだが、とても頼りになる人だった。
内乱から飛び火した隣国との戦争を終結させたこの国の英雄である前に、エディスは個人的に助けてもらったことがあるから、この認識に間違いはない。
これまで国境を守る役目を負う西方域の地方軍で活躍し、今では将軍としてその地方軍を束ねていた。
そんな彼を、中央軍の三将のうちの一人に任命するために、セドリックが動いていることも知っている。
「そう、彼は立派な男だ。年齢は私と同じ二十九歳で落ち着きもあるし、誠実でいてなにより強い。王女である君の伴侶として相応しい人物だろう? ――しかし、一つ問題を抱えていてな。エディスとの結婚は、彼のためにもなると考えている」
「……はい、彼はオブライエン侯爵家の生き残りですから……」
彼が英雄と呼ばれるに至るまでの経歴はとても複雑だ。
五年前……前国王の崩御からはじまった内乱で、ジャレッドの父親オブライエン侯爵は、王太子であったセドリックを裏切った。
前国王の後妻――エディスたちにとっては継母にあたる人物と共謀し、まだ幼い異母弟を王にしようと企んだのだ。
そのころのことを思い出すと、エディスは呪いを受けた左肩に鈍い痛みを感じてしまう。
「まさかグラフトン将軍は、父親のしたことに責任を感じて、……だから私を?」
償いのつもりなのかと、エディスはこの突然湧いた縁談の背景を推測する。
彼は反乱の主導者であった自分の父親を、自ら捕らえ手に掛けた。
そうしてセドリックに改めて忠誠を誓うことで、本来は一族もろとも処断される謀反の罪から逃れている。
オブライエン侯爵家は取り潰され、ジャレッドは母方の姓を名乗ることになった。
そこからこれまで、進んで最前線に立っていたのは、おそらく罪滅ぼしからくるものなのだろう。
だからエディスは、この結婚もその延長線上にあるものだと思ったのだ。
「いいやそうではないよ。縁談は私から持ちかけたんだ」
「お兄様は、ご友人に無理矢理私を押し付けるつもりですか?」
「エディス、自分の価値を見誤るな。彼は罪人ではなくとも、爵位を失っている。いまだに後ろ指を指す者も多い。王女が降嫁すれば、ほかの貴族は決して彼を蔑ろにはできない。新設されるグラフトン侯爵家の繁栄に繋がるだろう」
「お兄様は、グラフトン将軍が失った地位を、完全に回復させるおつもりなのですね?」
「そうだ。侯爵位ともなると、ただ戦争で功績を挙げたという理由では与えられないからな」
王女の降嫁となれば、侯爵かそれ以上の身分が妥当なところ。自国や諸外国でも、そうやって格上げされていった家門はいくつもある。
セドリックがこの縁談を思いついた理由は理解できた。
こんな自分でも役に立てるなら、それは喜ぶべきことだ。でも、まだ不安が一つ残っている。
「あの……、呪いのことは?」
「呪いなど、結局あの女の脅しにすぎなかったと私は考えている。この五年間、なんの変化もなかったのだから。根拠のない脅しに怯えるのは、もうやめよう」
セドリックは立ち上がり、そっとエディスの肩に触れてくる。昔、傷を負った左肩だ。
「ここに残る傷痕は、身を挺して私を守ってくれた名誉の証。なにも恥じる必要はない。グラフトン将軍もケガについてはもちろん知っているし、そもそも彼は軍人で小さな傷痕をいちいち気にする男ではない。だから大丈夫なんだ」
「ええ、お兄様……そうですね」
兄にそう言われると、本当に大丈夫な気がしてくる。
迷信の類いに振り回され、このまま年齢ばかり重ねてしまっては取り返しがつかない。
それにグラフトン将軍は、エディスと同じく内乱により苦労した人物だ。
そんな彼の名誉回復に役立つのなら、それはとても素敵なことだった。
「でしたら、この縁談……謹んでお受けいたします!」
エディスは、ついに声を弾ませて答えた。

王の部屋を出て、長い廊下を淑やかに歩き続ける。でも自室が見えてきたところで、我慢できずに走り出してしまった。
急いた気持ちで扉を開けると、白とグレーの毛玉が絨毯の上に転がっていた。
「パーシィ! 聞いて、私……私、結婚するのよ! この私が! しかもお相手が……ああ、どうしたらいいのかしら?」
「ガウッ!」
騒がしいエディスに驚いたパーシィが、飛び起きる。
エディスはそのままパーシィに近づいて抱きしめた。
「フフフ……そうね、もし結婚するなら私はここを出ることになるから、そのときはあなたと一緒だってちゃんと伝えるわ。これだけは絶対に譲らない。万が一グラフトン将軍が、犬を苦手としていても、うまく共存できる方法を探すから大丈夫よ」
はしゃぎだす心は、もう抑えることができない。
「私……嬉しい! どうしようもなく嬉しい」
誰も見ていないのをいいことに、エディスはパーシィと一緒に床に転がった。
「グラフトン将軍のことは、あなたも知っているでしょう? 昔、私たちを助けてくれたあの銀髪の男の人よ」
思い出しただけでドキドキしてしまう。
ジャレッド・グラフトンという人は、銀髪に琥珀色の瞳を持つとても素敵な男性で、エディスの恩人でもある。
「それにしても、お兄様はどこまでわかっているのかしら?」
グラフトン将軍とは五年前に一度会ったきり。当時はまだオブライエン姓を名乗っていた。その後彼を取り巻く環境は大きく変わり、遠目から見る機会すらなかったが、ずっと忘れられない存在となっていた。
たまにセドリックから、グラフトン姓になってからの活躍を聞けることを楽しみにしていたが、自分の憧れの人であると打ち明けたことはない。
エディスにとって、グラフトン将軍との縁談は、奇跡だった。

その晩エディスは、湯浴みをしてナイトドレスに着替えるときに、鏡に映る自分の姿を確認した。
大きく開いた襟ぐりをそっとずらし身体を捻ると、後ろ肩にある傷痕をどうにか見ることができる。
矢が命中し鏃が食い込んだことによってできた傷痕――。それが赤い花のような模様を描いている。
ただの傷痕であれば、月日が経過すれば薄くなっていくだろうに、その気配がないことは不自然だと医師も言っていた。……それだけが気がかりだ。
(でも、大丈夫よね?)
後ろ向きな考えばかりしていたら、きっとそこまで来ている幸せを逃してしまう。
エディスは何度も「大丈夫」と自分に言い聞かせた。

        §

顔合わせは、エディスの希望で形式張らないように行われた。
セドリックが王宮の庭に彼を招き、その場でエディスと引き合わせるという手筈だ。
ガゼボのテーブルには、たくさんの菓子が用意されていたが、今は手を伸ばす気になれない。
彼がやってくるだろう方向を、そわそわとしながらずっと見ていた。
庭園は石畳の歩道が続いている。その石畳をゆっくり歩いてきた背の高い軍服の男性が、ジャレッド・グラフトンだ。
五年前に会ったときは太陽の下ではなかったせいか、今日のジャレッドの銀髪は以前よりも輝いて見えた。
「国王陛下、……拝謁を賜ります」
古い騎士の作法にのっとり膝を折ったその所作に、エディスは懐かしさを覚える。
彼は貴族としての立場を失ったあと、最前線で戦い功績を挙げ続けていたから、もっと荒々しい印象に変わっているかもしれないと思っていた。
もちろん彼は軍人らしい逞しさを持っているが、その所作は文句のつけようがないほど洗練されたもので、完璧な貴公子だ。
「堅苦しい挨拶はやめてくれ。さっそく、妹のエディスを紹介しよう。一度会っているとはいえ、あれは急場のことだった。正式な挨拶ははじめてだろう?」
席に座っていたエディスは立ち上がり、彼に近づいていく。
「グラフトン将軍、お久しぶりです」
「再びお目にかかることが叶い、光栄です。エディス王女殿下」
彼の琥珀色の瞳をまっすぐに向けられて、エディスは落ち着かなくなった。
ジャレッドは真面目な人で、セドリックがいくら気楽にと言っても、決して態度を崩そうとしない。座っても常に背筋がピンと伸びている。
表情はあまり豊かなほうではないらしい。それともあくまでも王族の前だからなのか?
エディスは彼に対して憧れの気持ちをずっと持ち続けていたが、実はその人となりはよく知らない。とにかく強い人で、頼りになる人だということは身をもって知っていて、好感を抱く理由はそれだけで十分だった。
でも結婚するとなれば話は違う。もっと欲が出てきてしまう。
彼はどんなふうに笑うのだろう? エディスはジャレッドの笑った顔が見たくなっていた。
それでもいきなりぐいぐいと話かけるわけにはいかず、逸る気持ちをなるべく抑え、淑やかに振る舞う。
最初の三十分ほどは、セドリックが王太子時代、どんなふうにジャレッドと友好を深めていたかをエディスに語ってくれた。
二人は共に軍属だったので、経験のないエディスには想像が難しい軍隊ならではのエピソードで笑わせてくれる。
「お兄様、もっとたくさん聞きたいです」
「それはまた今度にしよう。私はそろそろ公務に戻らなければならない。二人はこのままここで、もうしばらく過ごすといい」
セドリックはそう言って手を振りながら退席していき、エディスとジャレッドはガゼボに取り残された。
「……」
「……」
二人きりになった瞬間に、沈黙が訪れてしまう。
伏目がちなジャレッドの睫の長さを観察して、勝手に頬が熱くなった。
そもそもエディスは、兄以外の男性と近距離で過ごした経験がほとんどない。
以前の婚約者は、子どものころに数度顔を合わせ、挨拶をしたことがある程度だった。
その婚約が消えてから公の場に出る機会はあったが、呪われ姫と親しくしようという男性は現れなかった。
夢に見たジャレッドとの再会で、昨日は眠れないくらい興奮していた。彼に会ったらどんな話をしようか、ずっと考えていたのだ。
(そ、そうだわ……)
一番重要なこと。それは結婚後の生活についてだ。
エディスは意を決して、ジャレッドに話しかける。
「あの、グラフトン将軍。質問してもよろしいでしょうか?」
「はい、もちろんです」
彼はエディスに話しかけられても、不快そうな顔はしなかった。きっと大丈夫だ。
「将軍は、その……犬は、お好きですか?」
唐突な質問に、ジャレッドは少しだけ驚いた顔を見せてくる。
「犬……ですか?」
「はい、犬です!」
ジャレッドは間を置いて、真剣に考えはじめる。そうして質問の真意を探るように、エディスの目をじっと見つめながら答えをくれた。
「軍用犬としか接したことがありませんので、好きか嫌いかはこれまで考えてきませんでした。そういえば、殿下は犬がお好きでしたね? ……あのとき一緒だった犬の名前は、確かパーシィ?」
「はい! 覚えていてくださってありがとうございます。北の帝国から頂いた貴重な犬種で、私にとって特別な存在です。無駄吠えもしませんし、とっても賢くて優しい子で……しかもいざとなったら悪者を追い払ってくれる騎士犬です!」
彼に安心してもらうため、パーシィのよいところを懸命に伝える。
熱意のあまり前のめりになってしまったが、上品さに欠けると気づいて姿勢を正す。
ちょっと気まずくなり、エディスはコホンと咳払いをしてから本題に入っていった。
「結婚したらパーシィも一緒に連れていきたいのですが、お許しいただけますか?」
落ち着いて、優雅に、笑顔で……。
ジャレッドの性格はまだよくわかっていないが、五年前も今も、嫌な印象は少しもない。きっと寛大な人で、よい返事がもらえるものと思い込んでいた。しかし――。
「王女殿下……」
ジャレッドの顔色が、さっと変わっていく。
その顔を見れば、よくない話をしてしまったことだけはわかる。
(なにがいけなかったの? 犬の話はまだ早かったのかしら?)
エディスはぎゅっと、ドレスのスカートを握りしめた。
少なくともジャレッドから、望んでいたような返事はもらえない。そのことがひしひしと伝わってくる。
彼は静かに席を立つと、エディスに近づき跪いてきた。謝罪をはじめようとしているのだ。
「グラフトン将軍……どうして?」
真摯なその姿は浮かれていたエディスにとって、残酷なものだった。
一度身分を失ってしまったのに、実力で新たな地位を得た彼は、もう王以外に、こんなふうに頭を下げる必要はない。なのになんのためらいもなく、エディスに対して深い謝罪を姿勢で示してくる。
「王女殿下、私はあなたに相応しい人間ではありません。陛下は殿下の意志を尊重するとおっしゃってくださいました。ですからもし――」
「ごめんなさい!」
エディスは、ジャレッドの言葉を遮った。
二人きりになってエディスがうまく喋れなかったのは、ただ恥ずかしかったせいだ。しかし、彼は違った。
沈黙の理由は、この状況を……降って湧いた縁談を歓迎していなかったから。彼は、断る機会を窺っていたのだ。
(ああ、お兄様……!)
エディスはとても重要なことを失念していた。
セドリックは物事を冷静に見極めることができる、公明正大な王だ。しかしエディスのこととなると、様相が変わってしまう。
それは単純な妹への愛情だけでなく、幼くして実母を失った不憫さと、傷を負わせてしまったという負い目からくるものなのだろう。
今回もきっと、妹の将来をどうにかしてやりたいという私人としての感情が、普段の冷静さを上回ってしまったのだ。
結婚話を聞いたとき、もっと慎重に確認すべきだった。
セドリックは確かに、縁談は自分から持ちかけたのだと言っていた。そして相手も望んでくれているとは言っていない。
仕える王に妹をよろしくと言われたら、断ることなどできなかったはず。
彼が難しい立場であったことは、よくわかる。誰も責めることはできない。
「押し付けられて、さぞご迷惑だったでしょう。当たり前のことなのに……」
傷もの王女の降嫁と引き換えにしてまで、彼は侯爵位を欲してはいないのだ。
「殿下、誤解なさっているようですが……」
「なにも誤解などしておりません。私一人で浮かれてしまって、本当にお恥ずかしい限りです。でも、大丈夫。結婚なんてしたくないと……グラフトン将軍は私の好みではなかったと、そのように陛下にお伝えしますから、ご安心なさってください」
エディスの気まぐれとわがままで、この縁談をなかったことにする。それなら角が立たないはずだ。
このところずっとふわふわとしていて、毎日なにもせずとも楽しくて……。
久しぶりにそんな気持ちにさせてくれた相手に、エディスは最大限の敬意を払おうと努力した。
「それでは、私はそろそろ自分の部屋に戻ることにします。今日は、お時間をいただきありがとうございました。……どうかお元気で」
これ以上、ジャレッドと一緒にいる理由はない。
ここは立ち上がり、王女らしく優雅に去るべきだ。そうしようとしたのだ。
しかし実際のエディスは、膝を折ったまま困惑しているジャレッドを、睨んでしまっていた。
「殿下……本当に誤解です。どうか泣かないでください」
「泣いてなどおりません!」
目の奥がツンと痛く、瞳が水膜で覆われている気はする。でもまだ涙は零れていない。……たぶん。
ジャレッドが、黙って見て見ぬふりをしてくれたらよかったのに。
真面目な彼はハンカチを取り出して、エディスの手に握らせてくる。
「私はただ、高貴なあなたをお迎えするには、自分が不相応であるとお伝えしたかったのです。言葉に裏などございません」
「嘘です! 私が世間でなんと呼ばれているのかご存じでしょう? 呪われている女なんて嫌だと、素直におっしゃってください」
感情を荒げるべきではない。
それなのに堪えきれず、涙が零れ落ちてしまった。一度堰を切ると、もう止められない。
渡されたハンカチを使うことはためらわれ、エディスは泣きながら無理矢理突き返す。
そうして、その場から逃げだそうとした。
ジャレッドを避け二歩ほど足を進めたところで、彼の声が響く。
「殿下、お待ちください」
言葉だけではない。彼はエディスの手を掴んで、引き留めてきたのだ。
それは衝動によるものだったようでエディスはすぐに開放されたが、彼がなにを伝えようとしているのか聞かなければならないと思えた。
「誓って、違います。私のほうこそ、世間でなんと言われているかご存じでしょう? 反逆一族の生き残り、そして親殺し……そんなふうに呼ばれているのです」
エディスは彼の言葉を否定したくて、首を横に振った。
ジャレッドは罪を犯していない。彼はためらわず自分の父親に刃を向けたが、罪は父親にあり、彼には大義があった。
なのにまるで自分の罪を告白するように、沈痛な面持ちになってしまう。
そこに彼の葛藤が、はっきりと見えている。
「私は生涯独身でいるべきなのです」
強い意志を見せてきたジャレッドを前に、エディスは不思議な感覚になった。
もしかしたら、自分たちはわかり合える存在になれるのではないかと。
さっきまでの惨めな気持ちは吹き飛んでいき、どうにかこの縁を繋ぎ止めたくなってしまう。
指先で軽く涙を拭いたエディスは、彼を正面から見つめた。
「私もです。……もっとも私の場合は『結婚しない』ではなく、『できない』が正しいのですが」
「そんなことは!」
「いいえ! もしグラフトン将軍のお気持ちが変わらないのなら、私はこの先誰とも結婚できないでしょう」
これは脅しだ。卑怯な言い方だとわかっている。あなたが承諾してくれないのなら……と言っているのだから。そして、この方法はきっと有効だ。現に、ジャレッドは迷いを見せていた。
彼が揺らぎはじめたところで、エディスは焦る気持ちを抑える。冷静に、どう伝えたらよいのか見極めなければならなかった。
「あの……グラフトン将軍は、爵位についてどう思っていらっしゃるのですか?」
失った「確かな身分」を取り戻したいのかどうか。
エディスが問いかけると、ジャレッドは言葉を選びながら慎重に考えを示してくれた。
「私は生涯をかけて、陛下を……いえ王族の方々をお守りすると誓っております。そば近くにお仕えするためには、爵位はあったほうがよいと思っております」
「それなら!」
「ただ、反逆者の一族である事実は、いくら名を変えても消えません」
「私は王女です。……私が持っている価値は、きっとそれだけ。でも……いつまでもあなたを悪く言う者を跳ね返すくらいのことはできるでしょう。そして私は、あなたとの結婚で救われるのです。少なくとも、呪いが人に移ることなどないと証明できます」
セドリックがどうしてこの縁談を勧めてきたのか、わかった気がした。
最初に話を聞いたときはエディスに前向きな考えを持たせようと、彼に利点があるように伝えてきたが、実際には違う。これはどちらか片方ではなく、お互いのためになる結婚なのだ。
二人とも自分のせいではないのに、枷を付けられ窮屈に生きてきた。だからこそ、互いにないものを補えるし、一方的な負い目を感じずに済む。
(私、やっぱりこのかたがいいわ。絶対に……)
これまでのエディスは弱くて、なにもできない存在だった。
でも、今だけはそんな弱い自分を捨てなければならない。
「ジャレッド・グラフトン――。私の手を取ってください」






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