【2月27日発売】媚薬でクールな宰相様の理性が飛びました! 原因の私が責任をもってお助けします【本体1300円+税】

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●著:小山内慧夢
●イラスト:ちょめ仔
●発売元:三交社
●発行元:メディアソフト
●ISBN:978-4815543839
●発売日:2026/2/27


宰相閣下! 仕事中の猛アタックはご遠慮ください!


前世の記憶を持つ侯爵令嬢ユリアーナは、女性が結婚に運命を左右される世に反発し、身分を隠し王宮での勤労を謳歌していた。だがある日、ユリアーナを狙う媚薬から彼女を庇った宰相コルネリスが前後不覚の窮地に陥ってしまう。
「この状況をなんとかしないと」
薬が効きすぎるコルネリスを救うため、彼を押し倒し熱を鎮めるユリアーナ。一件落着と思いきや、堅物な彼が責任を取ると求婚してきて!?






第一章 決意表明



やっぱり夢じゃないわ。
どんな冗談なの……、これは。
ユリアーナ・クライフは齢六歳にして、自分を取り巻く世界を憂いて両手で顔を覆った。
フワフワの栗色の髪を優しく梳いてくれているのは、メイドのカティだ。
その手つきに慈しみが溢れているのを感じ、ふくふくとした指の隙間から顔をあげると、深い湖をそのままはめ込んだような青い瞳と鏡越しに目が合う。
(あぁ……子どもだわ……、無力な、まだ小さな子ども)
身体が前に傾いだことで足が頼りなく揺れた。
椅子に座っても足が床につかないくらい幼い子どもなのだと思い知り、絶望してまた小さな手で顔を覆う。
周囲には「眠いの? 可愛いなあ」としか思われなかったのが残念と言えば残念である。
シェワザール王国の侯爵令嬢として生を受けたユリアーナは、物心ついた時からずっと違和感を覚えていた。
まるで自分が夢物語の中にいるような、ひどく現実感がない六年間を送ってきたのだ。
違和感を無理やり噛み砕き、なにかに追われるようにいろんな知識を蓄えてきたユリアーナは、その焦燥感の正体が『前世の記憶を持っている』ことであると結論付けたのである。
(そもそもわたし、いつ死んだ? その辺は全く覚えていないわ)
頬に手を当てて考えるが、社会人として勤めていた二十六歳くらいまでの記憶しか思い出せない。
普通に考えれば、そのころに一生を終えたのだろう。
「あらユリアーナ、おねむなの? それともまだ具合が悪いのかしら? 寝ていなくて大丈夫?」
遊びに来ている従姉妹のアリサが中腰になってユリアーナの肩を抱き、寝かしつけるときのようにポンポンと優しく叩く。
「アリサおねえちゃま、ちがうの……えっと……」
しかしその胸の内をそのまま言葉にすることは躊躇われ、ユリアーナは上げた顔を再び伏せる。
前世のことを思い出したユリアーナが今一番理不尽に感じているのは、この従姉妹のアリサのことだったからだ。
アリサは先日婚約が調い、来年とある公爵家へ嫁ぐことが決まっている。
それ自体は喜ばしいことだが、従姉妹に想う人がいることを知っているユリアーナは複雑だった。
さらに言えば相手は再婚でずいぶん年が離れているらしい。
それでも公爵家に嫁げるとあってアリサの両親は非常に喜んでいる。当事者のアリサはそれを見て不相応なほど穏やかな笑みを浮かべていたのが印象的だった。
ユリアーナにはその笑顔が泣き顔に見え、悲しみに耐性のない柔らかな心を痛めた。
父母や家のことを思い悲しみを綺麗に覆い隠して、一人でこっそり泣いているであろうアリサの笑顔が美しくて悲しくて、どうしていいかわからなくてユリアーナは昨夜熱を出した。
そして目覚めて前世をはっきりと知覚するに至ったというわけだ。
「ちょっとおなかがすいたかもしれないとおもったの」
「それは大変ね。カティ、なにか持ってきてくれるかしら」
メイドのカティが厨房へ向かうと、アリサはユリアーナの額にかかった髪を払い、愛おしげに頭を撫でた。
歳は離れているが、アリサとユリアーナは本当の姉妹のように仲がいい。
「あまり心配をかけないでちょうだいね。私がお嫁に行ってしまったらこうしてついていてあげることもできないのよ。可愛いあなたの具合が悪いと、私まで気が塞いでしまうわ」
「はい、おねえ……ちゃま」
前世なら学生の年齢であるのに、アリサはすっかり保護者の顔でユリアーナを見つめた。
その表情には慈しみの他に諦めのようなものが浮かんでいる。
(ああ、アリサ姉様はこれからの人生を思っているのかしら)
ただでさえ結婚は人生のビッグイベントである。それによって一生が決まるといってもいい。
しかもこの世界では、女性はほぼ結婚によってしか自分の運命を変える機会はないと言える。
それなのにアリサは自分が想う相手どころか、ただ格上の家から望まれたというだけで随分と年の離れた男のもとへ嫁ぐ。
相手が公爵で強い申し出があったとはいえ、アリサにしても思うところがあるのだろう。
最近自分がいないことを前提とする物言いが増えた。
事情を鑑みればなにかにつけ諦観の表情になってしまうのも無理からぬこと。
(敢えて言うなら――この世界の結婚観は最悪よ)
カティが持ってきてくれたフルーツをアリサと頬張りながら、ユリアーナはなにもできない自分に歯噛みした。

結局幼いユリアーナにはなにもできないまま、翌年アリサは盛大な結婚式を挙げた。
結婚相手のオリアン公爵は、その年から王都を離れ領地で度々氾濫する河川の工事に注力するとのことで、アリサもそれに同行することになる。
滅多に会えなくなったことで、クライフ侯爵家は予想していた人一人分よりももっと大きい空虚を抱えることになった。ユリアーナでさえそうなのだから、叔父夫婦の寂しさはいかばかりか。
「アリサがいなくてこんなに寂しいのだから、ユリアーナまでお嫁に行ってしまったらどうなってしまうのか」
子煩悩な父オラヴィがため息をつくと、長男のトピアスがすかさずフォローを入れる。
「心配しなくても、私が嫁を貰えば人も増えて騒がしくなりますよ」
「そうよ、それにわたしがお嫁に行くとも限らないじゃない」
兄に便乗する形でユリアーナが軽やかに告げると、一家団欒の空気が凍った。
敏感にそれを感じ取りながら、しかしユリアーナは空気を読まずに続ける。
「わたし、可愛げがないからきっとアリサ姉様のような結婚の話はこないと思うの。だから一人でも生きていけるように今から準備を始めるつもりよ」
この一年でぐっと大人っぽくなったユリアーナは、年齢にそぐわない上品な仕草でクッキーを食べると、紅茶を一口啜る。
「な、なにを言っているんだユリアーナ。こんなに可愛らしくて賢いユリアーナは引く手あまたに決まっているじゃないか!」
父オラヴィが焦ったようにまくし立てると、母と兄もその通りだとコクコクと頷く。
優しい家族をありがたいと思いながら、ユリアーナは社交辞令を軽くいなすように微笑んだ。
普通にしていようと思っていても、やはり前世で生きていた記憶が邪魔をするのか、ユリアーナは七歳にして風変わりな令嬢として成長しつつあった。
アリサの結婚と時期が重なったこともあり、多感なときに仲良しの従姉妹と離れたのがショックだったのだろうと思われた節がある。
それも間違いではないが、実際はこのシェワザール王国における貴族の婚姻システムでは、誰が夫になるかでその後の人生のほぼすべてが決まってしまうというところに引っかかりを覚えていることが原因だ。
一応離婚は認められているが、妻からの訴えを聞き届けてくれる身近な機関が存在しないのだ。
そもそも貴族的な事情もあり離婚の絶対数が少なく、そのことがユリアーナに結婚を好意的に捉えることを躊躇わせていた。
(貴族だもの、アリサ姉様のように家格だけで決められてしまうのだろうし、勝率の低い博打をする気にはならない)
両親のように結婚後によい絆を構築できるならいいが、現代日本で暮らしていた記憶があるユリアーナの理想は基本的に高い。
しかも精神年齢が二十代なため、同世代の洟垂れ小僧などはまったく範疇外で今から関係を作って青田買いする気も起こらない。
「あら、賢い女は嫌われる。少し馬鹿なほうがいいってこの前へリストのおじさまがおっしゃっていたわ。それでいくとわたしは嫌われる要素があるということよね」
「ぐぬぬ、へリストめ……っ」
歯に衣着せぬ友人に悪態をついたオラヴィを母エリセが宥める。
「ユリアーナ、女に限らず人間は賢くも愚かにもなるわ。それは勉強ができるできないではないことは――もう理解しているでしょう?」
エリセの含みのある言葉に、ユリアーナは無言のまま頷く。
さすがは母ということだろうか、エリセはユリアーナに対してなにかを感じているようで、すでに一人の女性として扱っている節がある。
娘が頷いたのを見てエリセはにっこりと微笑んだ。
しかしこのまま物分かりのいい子どもでいたくなくて、ユリアーナは子どもの特権とばかりに口を尖らせて続ける。
「でも、結婚しなければ自分が保てないような女にはなりたくないの」
七歳とは思えぬ言い様にオラヴィとトピアスは目を見開くが、エリセは軽く頷いた。
「ならばどうすれば理想の自分になれるか、今から考えなければね」
女だけで通じ合っているような雰囲気に、オラヴィとトピアスは顔を見合わせるのだった。

「久しぶりのお出かけなのに、気が乗らないの?」
「う〜ん……」
馬車の揺れに身を任せたユリアーナは小首を傾げて唸る。
従姉妹のアリサが嫁入りしてからというもの、ユリアーナが冷めた目をするようになったのを見かねたエリセが気晴らしにと街歩きに連れ出したのだ。
しかし車窓から流れる景色を見ても幼いユリアーナの心は弾まない。
それどころか『前世の自転車のほうが早いわ……』と心の中で悪態をつく始末。
エリセは同行したカティと顔を見合わせて眉を下げた。
「そういえば奥様、先日新しい洋品店ができたと聞きました。お嬢様にお似合いの可愛らしいものもあるに違いありませんわ」
気を利かせたカティが弾んだ声でそう言うと、エリセは手を叩いて喜ぶ。
「まあ、それはいいわね! ユリアーナ、どう? 行ってみない?」
母の声に傷心の娘に対する気遣いが溢れんばかりに感じられたユリアーナは、意識して口角をあげた。
「――そうね、わたしも行ってみたいわ」
自分がよくない態度をとっているのは、ユリアーナもわかっていた。
自分の機嫌が取れないなんて、自立した女性には程遠い。
これ以上困らせてはいけないと顔をあげたユリアーナに、エリセとカティは表情を明るくした。
すぐさまカティが御者に行き先の変更を告げる。
「ギルベン通りに行ってください」
 噂の洋品店はとても繁盛していた。
所狭しと商品が並べられていて、それを求めて行列を作っているのが馬車の中からもわかる。
その混雑ぶりに、エリセはため息をつく。
「まあ、とても混んでいるわね。もう少し後から行きましょうか」
ゆっくり見られないのではユリアーナもつまらないだろうと提案するが、ユリアーナは首を横に振った。
前世ではこれくらいの行列はランチを食べるときにもよくあったからだ。
「これくらいの行列、大丈夫よ」
そう言って勝手にキャビンの扉を開けて馬車を降りる。
「ユリアーナ、一人で行っては危ないわ」
「お嬢様、お待ちくださ……あ、痛っ!」
慌てて頭をぶつけたカティの様子が面白くて、ユリアーナは久し振りに笑った。
「あはは! そんなに焦らなくても、走ったりしないから大丈夫よ」
過保護だなあと思いながらカティが降りてくるのを待っていると、遠くで悲鳴が聞こえた。
「きゃあ!」
どうしたのかと振り向くと、手に刃物らしきものを持った男がこちらに向かって走ってきた。
咄嗟に危険だと思ったユリアーナは、その場から離れようと走った。
「お嬢様っ」
「ユリアーナ! 危ないわ、戻って!」
言われてから馬車に戻ればよかったのだと気付いたが、すぐに対応できない。
それに戻るということは刃物を持った男に近づくということである。
(無理……っ)
どうかこっちに来ないでと思ったが、逃げるものを追う本能だろうか、男はターゲットをユリアーナに定め、あっという間に追いつくと細い腕を掴んで引いた。
「きゃー!」
周囲から悲鳴が上がって、ユリアーナは顔をあげた。
目の前の男は視線が定まっておらず、心神喪失状態かもしれないなどと思う。
男はなにやら世に対する不満や自分の不幸を叫び刃物を振り上げた。それはユリアーナの頭上で凶悪なまでに太陽に反射する。
(あ、これは駄目だ)
暴漢の歪んだ表情が目に焼き付いたのがわかり、ユリアーナは最期に見るのがこんな景色なのは嫌だなあと冷静に思った。
(まあ、もともと生まれ変わりだし、今生はボーナスタイムだったのかな)
充分いい生活をさせてもらったと覚悟を決めた瞬間、なにか大きいものに庇われた。
突然高く大きな壁のようなものが暴漢とユリアーナの間に割り込んできたように感じる。
「なにをしている!」
「うわあああっ、邪魔をするな、どけ!」
ユリアーナのすぐそばで激しくもみ合う音と大人の男が争う声が聞こえた。
あまりに恐ろしく衝撃的な出来事に、ユリアーナは身体を限界まで縮こまらせ両手で耳を塞いでいた。
(怖い、怖いよ……っ! お父様……っ、お母様!)
息を殺していることしかできなかったユリアーナを現実に引き戻したのは、あたたかな手だった。
そっと壊れ物に触れるように肩に触れられ「大丈夫か?」と声を掛けられた。
小さな子どもの扱い方がわからないのか、戸惑いを多分に含んだ声に身体の緊張が解けていく。
(怖いのは終わった……助かった?)
そう思った瞬間、ユリアーナは緊張の糸が切れて視界が暗転した。
次に気付いたのは屋敷の自分の部屋のベッドの上。
泣き腫らした母とカティに両側から抱きつかれて、ようやく自分が気を失っていたことを知る。
母に事の顛末を訊ねると、今まさに凶刃が振り下ろされるとなったときに、騒ぎを聞きつけた通りすがりの騎士が助けてくれたのだと説明してくれた。
「あの騎士様のお陰で助かったのよ……本当にあなたに怪我がなくてよかったわ」
「騎士様……わたしを助けてくれたのは騎士様だったのね……」
自分を守ってくれたあの大きな手の持ち主は騎士だったのだと知ったユリアーナは、騎士という職業に対しての好感度が一瞬にして上がったのを感じた。
「わたし、気を失っていたからお礼を言えなかったわ。お母様、わたし騎士様にお礼を言いに行きたい」
率直に希望を述べるが、エリセは口籠る。
「お母様……?」
エリセの態度を不思議に思ったユリアーナは小首を傾げた。
夜になって、その件について父オラヴィから説明があった。
「騎士殿はエリセとカティがユリアーナを介抱している間に、名乗らずに行ってしまったそうなんだ」
「えっ」
驚いて声をあげるユリアーナの脳裏には『名乗るほどのものではございません』と言ってサッと立ち去るイマジナリー騎士の姿が浮かぶ。
「まあ! じゃあお礼はできないのかしら」
ユリアーナが悲しげに眉を寄せると、オラヴィは緩く首を振る。
「驚かないで聞いてほしいのだが、彼の方はユリアーナを助けた時に怪我をされたようなんだ。だから、それを手掛かりに探せばきっと恩人は見つかると思う」
「怪我を……大事じゃなければいいんですけど」
ユリアーナは恩人の捜索を父に頼み、自分は騎士の怪我の平癒を日々願った。
それと同時に母とカティにお見舞いの品の相談をしたり、会ったときの口上を練習したりしていたが、ついぞ騎士の行方は知れなかった。
いつしかユリアーナは、父に頼らずに自分の力で騎士を探すべく計画を練り始めた。
その件をきっかけに、徐々に元気とやる気を取り戻したのだった。
いつか恩人の騎士に会えると信じて。

(……なんて、わたしったら子どもだったわー! 騎士様、全然見つからないし!)
背筋を伸ばして王城の廊下を歩きながら、リリー・ボステムことユリアーナは苦笑いをする。
名前が違っているのは、身分を隠して働いているからである。
ユリアーナは自分の目で世の中を見て落としどころを見つけなくては結婚できる気がしないと両親を説得し、外に働きに出ることに成功した。
さすがに市井に出ることは叶わないが、警備の面で安心な王城ならばと条件を出され、現在は政策企画室で働いている。
ユリアーナは社交界デビューを果たした後、望まぬ結婚を避けるために病弱だと自ら噂を流し社交を極力避けた。
そのお陰でユリアーナの顔を知る者はほとんどいない。
それは貴族令嬢でありながら働くための布石である。
働くと言っても今はまだ雑用に毛の生えたような扱いであるが、なにもできないよりはましだと考えたユリアーナはここからのし上がる気満々であった。
(いつか『君がいないとここの仕事は成り立たないよ!』と言わせてみせるんだから!)
それに、王城ならば恩人の騎士を探すのにちょうどよく、一石二鳥である。
何年経っても探し出して見せると意気込むユリアーナに声がかけられた。
「あ、ユリアー……リリー、こちらにいたしたのですか」
「ジャフィー、言い間違いには気を付けて。どこで誰に聞かれているかわからないんだから」
「す、すみません」
ジャフィーはユリアーナが無茶をしないように付けられた護衛兼お目付け役である。
クライフ侯爵家の遠縁のボステム家の者だが、身分を隠したいのでボステム家縁の者だということにしてくれと頼んだ際、承知する代わりにつけられた条件だ。
(さすがにボステムの名を冠して適当なことをされては困るだろうしね……)
気付かないふりをしているが、ボステム家は恩を売るついでにあわよくばジャフィーとユリアーナが『どうにかなればいい』と思っている節がある。
しかしジャフィーと結婚する気がないユリアーナは感謝しつつ、なるべくボステム家の意向を考えないようにして労働に勤しんでいる。
「リリー、本当は勝手に動かないでほしいです。前に大怪我をするところだったと聞いていますよ」
「何年前のことを言っているのよ? 十五年よ? もうあんなことはないわ」
ユリアーナは眉を顰めた。
ジャフィーはユリアーナが七歳のとき暴漢に襲われたときのことを言っている。
親戚筋にもその話は知れ渡っているのだ。
「もうあんな無様は晒さないし、ジャフィーを危ない目にあわせるようなことはないわ」
「左様ですか、そう願いたいものです」
なにを言っても無駄だと諦めているジャフィーはため息をついてまた護衛に徹する。
目の届くところにいる限り、余計な口出しをしてこないのがジャフィーのいいところだ。
それに彼はユリアーナに好意を持ったり、好意を持たれようとしたりする節は見当たらない。
話を聞くと三次元の女性に興味を感じないとのことだ。
ユリアーナはジャフィーからの信頼を得るため、クライフ家からボステム家に支払われる謝礼の他に、個人的にジャフィーが好きな書籍を好きなだけ買い与えることを書面で約束している。
ジャフィーを買収することによってクライフ家への報告をいい感じで改竄してもらって、ウィンウィンの関係を築いているのだ。
そんなこんなで王城で自由を謳歌しているユリアーナは、室長から頼まれた書類を抱え直すと早足で歩き始めた。
向かっているのは宰相の執務室だ。最短で行くには途中に王城の憩いの場となっている中庭を通ることになるのだが、ユリアーナはそこを鬼門としている。
なぜかここで苦手な人物と遭遇する機会が多いためだ。
(今日は誰もいないといいな……)
そう思っているときほど遭遇することはよくある。
例に漏れずユリアーナは会いたくない人物を見つけてしまい、眉間にしわを寄せた。
その人物は凛々しい容姿で背が高く、シェワザール王国宰相にしか着用を許されない重そうなマントを纏い書類を手にゆっくりと歩き回っている。
(ヤバ、いた……!)
彼は険しい表情で時折後ろに撫で付けた髪に指を滑らせている。
なにか一筋縄ではいかぬ問題に頭を悩ませているのだろうか。
その佇まいにユリアーナは自然と眉間にしわが寄るのを感じた。
彼はコルネリス・フィッセル――王家とかかわりが深いフィッセル公爵家の次男で、二年前に新しく宰相となった人物である。彼はいつも『宰相として正しい』装いをしている。
公式の場では必ず権威の象徴である重苦しいマントを身に着け、クラバットが歪んでいるのさえ見たことがない。
ユリアーナは以前、女性の地位向上や有事の際に相談できる窓口を作ることができないかと相談しに行ったことがある。
若いが有能で、話を聞いてくれる人物であるという噂を耳にしていたからだ。しかし宰相は感情の籠らない視線でユリアーナを一瞥すると「時期尚早だ」とだけ言ってマントを翻し行ってしまった。
(時期尚早って……女性が暮らしにくいって言っているのに、なにを悠長なこと言っているの? いつまで待てばいいの? 動き出さなきゃ始まらないじゃない!)
憤慨して何度も話を聞いてもらおうとしたが「調整をしている」「君が気にすることではない」「精査している」と一言で片づけられてしまう。あまりに相手にされないので一方的にまくし立て周囲を蒼褪めさせたこともあった。室長が間に入ったため騒動は終息したがもっと言いたいことがあるのにと歯噛みをしたほどだ。
だがその後すぐ王城内に女性のための相談窓口準備室が立ち上がった。
ユリアーナは知らなかったが、宰相が以前から提案しようやく形になったものだという。
(なにそれ、言葉が足りなすぎじゃない? もう動いているならそう言ってくれれば、わたしだってあんな喧嘩腰にはならなかったのに……でも、志を同じくする人がいるのは心強いわ)
宰相のことを見直したユリアーナは、散々悪態をついてしまったことを謝罪しに行った。
言葉足らずなところはあるが、宰相が女性のために尽力したことは確かだし、自分の早合点も問題だったと思ったからだ。
しかし頭を下げるユリアーナに宰相から「もう少し落ち着いて行動したまえ。向こう見ずは身を滅ぼす」と言われたことは納得いっていない。
(この人、顔はいいのに本当に苦手……待てよ、この人がここにいるということは宰相執務室が現在空ということ……この機会に書類だけ置いてくれば顔を合わせずにすむということね!)
見つからないうちにきびすを返そうとすると、その背中に声がかけられた。
「待ちなさい、リリー・ボステム。なにか私に用があるのではないか?」
「……、……あら、宰相閣下。こちらにおいででしたか」
表情を作るのにたっぷり時間を取って、ゆっくりと振り向く。
その甲斐あって、そこには令嬢の嗜みたる隙のない笑顔が張り付いている。
以前いろいろあった間柄である――が、個人的な感情と仕事は切り離して考えるべき。
ユリアーナはその点で宰相関係の仕事を断ったりしない。
「こちら、政策企画室室長からの書類です。執務室に届けておきますので、お戻りになりましたらお目通し願いします」
「いや、もらおう。こちらへ」
宰相が今ここで受け取ると手を差し伸べる。
深い緑色の瞳がまっすぐユリアーナを見た。
さすがのユリアーナもそれを無視して立ち去ることはできず、うっすら笑みを浮かべた表情で近寄り書類を手渡す。
「ふむ、確かに」
「では失礼します」
軽くお辞儀をしたユリアーナは、用は済んだとばかりに素早くきびすを返す。
しかしさきほどと同じように宰相から声がかけられる。
「リリー・ボステム」
「……なんでしょう」
内心どうして引き止めるのだと思ったが、ユリアーナとてなにも知らないお馬鹿さんではない。自分が不利になるような言動を慎むことはできる。
(あのときは――あのときはそう。あまりに閣下に腹が立ったから)
初めて軽い言い争いになったときのことを思い出し、ユリアーナは唇を引き結ぶ。
一所懸命なあまり視野が狭かった自分が思い出されて胸の中がざわつく。心の中で反省していると、なにかが心に引っかかった。その原因を探っていて(そう言えば)と目を瞬かせる。
言い争いの後、宰相からリリー・ボステム宛の書簡が届いていたことを思い出したのだ。
ボステム家からの心配する声にはいい感じで返答して、書簡は机の引き出しの奥底に封印した。
きっと嫌味たっぷりな達筆で『今後目上の者に対する態度を改めるように』などと書いてあるのだろうとそのときは思ったのだ。
(いまさらながら気になるわ。あとで探してみよう――捨ててはいないはず)
「リリー・ボステム、君は記憶力がいいほうか」
記憶の縁をうろうろしていたユリアーナは話しかけられて視線を上げる。
「人並みだと自負しておりますが」
いったいなにを言われるのかと警戒しながら答えると、宰相は僅かにため息をつく。
その呼気に無念のようなものが滲んでいるのを敏感に感じ取ったユリアーナは、訝しげに眉をよせた。今日はなにも失礼なことはしていない――はず。
しかし過去に無礼を働いたことが思い出され、自分の身体の中に不安が満ちていくのを感じる。
「……どうやら、私は君を不快にしてしまうようだな」
「え?」
宰相の言葉に驚いたユリアーナが訊き返すが、当の宰相は「気にするな」とでもいうように手をあげて中庭から立ち去った。
彼が歩くのに合わせてマントの裾が重そうに翻る。
「なにが言いたかったのかしら……宰相ほどの方が、わたしの快不快を気にするの?」
遠ざかっていく背中を見送ることになったユリアーナの胸から不安はいつしか消え去り、言いようのない複雑な輪郭だけが残った。






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