●著:東 万里央
●イラスト:逆月酒乱
●発売元:三交社
●発行元:メディアソフト
●ISBN:978-4815543846
●発売日:2026/3/27
強要されて偽りの告白をしたら国王陛下と0日婚をすることに!?
父亡き後、叔父に家を乗っ取られ虐げられていたジュリエットは従妹に強いられ国王レオンにウソの告白をしたところ、逆に彼から求婚される。だがレオンの目的は王族の特徴である赤い瞳を持つ彼女に子どもを産ませることだった。
結婚と引き換えに侯爵家を取り戻してやるというレオンの申し出に頷くジュリエット。
お互い納得した上での契約婚のはずだったが肌を重ねるうちに惹かれ合うようになり!?
第一章 国王陛下にウソ告したら……
ブレゼ侯爵家の庭園はこのフロリン王国でも名高い。
二代前の国王のお気に入りでもあり、当時のブレゼ家当主と親しかったこともあって、たびたび訪れ愛でていたのだとか。
王宮の庭園が格調高い様式美を極めているのなら、ブレゼ邸のそれは自然美を讃えている。一見野原のように無造作であり、それでいて色彩豊かで、気取らずに散策を楽しめる。
花々が咲き乱れる穏やかな春の夕暮れ時、そんな庭園に似つかわしくはない、悲鳴のような哀願が響き渡った。
「――申し訳ございません! どうぞロミオをお許しください!」
高く澄んだ少女の声だった。
少女は薔薇の咲き乱れる茂みの前で、謝罪の言葉を繰り返しながら、隣の犬の首を抱き締めている。なんとかその攻撃を止めようとしているようだ。
犬は一際目立つ大型の雄犬で、純白の毛並みに深紅の双眸という、珍しい風貌をしている。
その稀な色彩は一般的な犬とは一線を画しており、凜々しさ、猛々しさと同時に高貴さすら漂わせている。美しい獣だった。
犬はグルル……と唸り声を上げ、目の前の中年男を睨み付けた。まさしく敵を見る目である。
「なんだその目はっ!」
男は怒鳴りながらも犬の迫力に気圧されて後ずさる。代わって、犬がずいと一歩前に踏み出した。
なお、男の背後には贅を凝らしたドレスを身に纏った、長い栗色の巻き毛にエメラルドグリーンの瞳の娘もいた。男とどことなく似ているので、その娘だと思われる。
娘は興奮しているのか、甲高い、ヒステリックな声で叫んだ。せっかくの美しい顔は怒りで醜く歪んでいる。
「お父様、そんな犬、殺して! 早く殺しちゃってよ! 私を噛もうとしたのよ! 許せない!!」
すると犬は続けてその赤い瞳を栗色の髪の娘に向けた。
いくら距離を取っているとはいえ、剥き出しになった牙と怒りの込められた眼力は恐ろしい。
「な、何よ。なんなのよ……!」
娘は父親と同じくじりじりと後退した。
それでも犬の威嚇は止まらない。変わらず低い唸り声を上げている。
少女は犬を抱き締める腕に力を込めた。
「駄目よロミオ、怒らないで。私は大丈夫。大丈夫だから……!」
犬がようやく少女を見上げる。
一見年の頃十五歳前後の小柄な少女だった。
顔立ちは非常に愛らしいのだが、随分痩せており顔色が悪い。そのせいもあるのか随分と儚げに見える。
青ざめ、肌艶のない顔の中で、犬と同じ深紅の瞳が一際目立っている。
結い上げられていた少女の青みを帯びた銀髪が、騒動の中で解けてしまったのか、細い肩に零れ落ちる。その髪も栄養失調気味なのか、パサついており老人の白髪に近くなってしまっていた。
身に纏う衣服はメイドのお仕着せで、手は水仕事で荒れてしまったのかボロボロだ。
この美しい犬が牙を剥き出しにして怒っているのは、この儚げな少女を守ろうとしているからなのだとわかる。
犬は主人である少女を傷付けようとした親子を、許すまじと攻撃しようとしていたのだ。
男とその娘の怒声を聞き付けたのだろう。五、六人の警備の衛兵たちがマスケット銃を手に駆け付ける。
「旦那様、どうかなさいましたか!」
「よく来た。あの獣を殺せ!」
「えっ」
衛兵たちが一斉に犬に目を向け、少女が犬を抱き締めているのを確認し、目配せをし合った。
「……まずあのメイドを引き離さないと危険です」
「ならすぐに引き離せ!」
男の言葉を聞き銀髪の少女はますますきつく犬の首を抱き締めた。
「ごめんなさい。申し訳ございません。勝手にこの子を家に置いた私が悪いんです。どうか罰は私に……!」
しかし、少女の願いは叶わなかった。
衛兵の一人が爆竹を鳴らし、少女と犬が驚いている間に距離を詰め、犬の足に銃弾を撃ち込んだのだ。
「ロミオっ!」
犬がキャインと悲鳴を上げることはなかった。一瞬倒れそうになったものの、踏ん張って姿勢を崩さず、衛兵たちを睨み付ける。足からは血が流れていたが、怪我を確認しようともしない。
衛兵たちは主人をなんとしても守ろうとする、犬の意志の強さに気圧されたものの、それでも攻撃の手を緩めようとはしなかった。
「こ、この野郎っ!」
衛兵の何人かが網を持って駆け付けたかと思うと、ばっと広げてロミオの頭の上から被せたのだ。
ロミオは網に絡まりたちまちその場にくずおれた。
「おい、動けなくなったみたいだぞ。お前、後ろに回って押さえろ!」
「ガウガウ!」
ロミオは網の中で暴れ回ったものの、もがけばもがくほど体に絡まるばかり。ついに衛兵四人がかりで押さえ付けられてしまった。
「この狼はどういたしましょう」
少女は――ジュリエットはそこでようやく我に返り、かつて叔父と呼んでいた男に取り縋った。
「お、お願いです! ロミオは森に捨ててきます。だから、殺さないでください!」
「ええい! アナベルを噛もうとした獣を、この私が許すとでも思うのか!?」
男は――ジェレミーはジュリエットの頬を力任せに張った。
パンと乾いた音が庭園に響き渡る。
ジュリエットは思わず膝をついた。
「俺に逆らうつもりか!?」
逆上したジェレミーの怒鳴り声に、ジュリエットは頬を押さえたまま絶句した。
「俺はブレゼ侯爵家の当主だぞ! 孤児に過ぎないお前をこの家に置いてやっているだけありがたいと思え!」
「……っ」
「その犬は川にでも放り込んでおけ!」
「そんな……!」
ブレゼ家当主――それは二年前までは父フレデリクの持つ称号だった。
だが、その父が王位を巡る内戦で命を落としたことで、ジュリエットの運命は一転してしまったのだ。
――ジュリエットの父フレデリクは、古くから続くブレゼ伯爵家の当主だった。
優秀かつ公明正大と評判で、国王の覚えもめでたく、宮廷でも高い地位を与えられていた。
そんなフレデリクの一粒種がジュリエットだった。
フレデリクは貴族には珍しい、恋愛の末の貴賤結婚だった。
ジュリエットの母親であるクラリスは、ブレゼ家のお抱えの庭師の娘で、貴族ですらなかった。
クラリスは幼い頃から父親の仕事を手伝い、毎日のように庭園を訪れていた。そこでフレデリクと出会ったのだという。
同年代の二人は身分の垣根を越えて仲良くなり、やがて年頃になった頃にその思いは恋へと変化した。
フレデリクは当時すでに両親を亡くし、伯爵家を継いでいた。そこですでに信頼関係のあった国王に懇願し、クラリスを王家縁の貴族の養子にしてもらったのだ。
身分の問題を解決した二人は無事結婚し、三年後にはジュリエットが生まれた。
妻によく似た顔立ちの娘を、フレデリクは文字通り猫可愛がりした。
しかし、愛に包まれた幸福な一家を悲劇が襲う。クラリスが若くして病気に倒れたのだ。
治療方法の確立されていない不治の病で手の施しようもなく、診断されて一年後には儚くなってしまった。
フレデリクはひどく悲しんだ。後妻候補の貴族令嬢との縁談を薦められても、すべて突っぱね独り身を通した。
縁談を断るときにはいつも、『跡継ぎはすでにジュリエットがいる。フロリンの貴族も女当主が認められているからね。将来は婿を取らせるつもりでいる。私は二人の女性を愛せるほど器用ではないんだ』と笑っていたそうだ。
そのフレデリクまでもが亡くなったのは、ジュリエットが十五歳の頃。内戦に指揮官として出征しての戦死だった。
――フレデリクを重用した国王ラウールが病死したのち、王位を巡る戦争が勃発した。
国王の一人息子である王太子レオンと王弟の息子――つまりレオンの従兄に当たるアルフォンスが、我こそは正統な後継者だと名乗り合ったのだ。
フロリン王国内の有力貴族たちも真っ二つに割れた。
フレデリクは国王の一人息子であり、第一王位継承権を持つレオンを推した。というよりは、本来なら当然のこととしてレオンが即位するべきだったのだ。
しかし、アルフォンスを推す有力貴族も半数を占めたことで、最終的には二勢力による武力衝突が起こり、いくつかの都市が戦火で灰燼に帰した。
ようやく内戦が終わったのが二年前、ジュリエットが十六歳の冬。
勝者は王太子レオンだった。当時二十四歳。
アルフォンス率いる軍隊はレオンのそれに大敗。本人は大怪我をしながらも這々の体で逃げ出し、現在は行方知れずになっているのだという。
レオンは勝利宣言をしたのちすぐさま戴冠式を行い、アルフォンス派の有力貴族を容赦なく粛清した。この際、古くからの名門貴族のいくつかも断絶したと聞いている。
しかし、功労者の一人であるはずのフレデリクは、いつまで経っても帰ってこなかった。
ジュリエットは父は生きていると信じていたが、新国王が即位して三ヶ月後、フレデリクの遺骨が届けられた。
流れ弾を受けての戦死らしい。遺体から衣服や武器が剥ぎ取られ、盗まれていたため、身元を特定するのに時間がかかったのだと。その後ブレゼ家はフレデリクの功績により、恩賞として爵位を一階級上げられ、伯爵家から侯爵家となった。
フレデリクも言っていたように、フロリン貴族は女当主を認めている。だから、フレデリクが死んだと判明した以上、ジュリエットがブレゼ女侯爵となるはずだった。
フレデリクも出征前万が一のことを考えていたのだろう。ジュリエットを後継者とする旨の遺言状を残し、執事に娘を手助けするよう頼んでいた。
しかし、父の弟である叔父のジェレミーが、自分こそが正統な跡継ぎだと割り込んできたのだ。
フロリンでは女当主が認められているとはいえ、直系の男性がいた場合には、やはりそちらが優先される傾向がある。
法律上はジュリエットが跡継ぎだが、慣習の上ではジェレミーが当主となってもおかしくはない。
その慣習を盾にジェレミーはブレゼ家に押し掛けた。フレデリクが信頼していた執事や使用人を暴力で追い出し、ジュリエットに家督を譲渡する旨を記した念書に無理矢理サインさせた。
その後は事が明るみに出ないよう、ジュリエットを家に閉じ込め、使用人としてこき使った。自身を叔父と呼ぶことを許さず、「旦那様と呼べ」と強制した。
ジェレミーの妻エディットと娘アナベルもそれに倣った。
ジュリエットは待遇のひどさに何度か家出し、父の友人、知人に助けを求めようとしたが、すぐに見つかり、その度に折檻を受ける羽目になった。鞭で打たれたこともある。
先の見えない暮らしの中で、ジュリエットはろくな食事も与えられず、次第に痩せて別人のようになってしまった。
ジェレミーはそんなジュリエットを目にするたび、『気味が悪い』と舌打ちした。老人のような髪が、肉付きの悪い体が気味が悪いと。
従妹のアナベルも父を真似てジュリエットを虐げた。
『どうしてあんたみたいな女が深紅の瞳なのかしら。卑しい女の腹から生まれたくせに生意気だわ』
フロリンではジュリエットのような深紅の瞳は、大変縁起がいいと言われている。赤い瞳の持ち主にキスされると幸福になれるのだとか。
『あんたが誰かにキスすることなんて二度とないのにね』
ジュリエットはアナベルが何を言っているのかわからなかった。
『あら、知らなかったの? お父様はあんたを飼い殺しにするつもりよ』
他家に嫁がせることもなく、年老いるまで一生使用人として働かせるつもりだと。
ジュリエットはなぜ叔父にそこまで憎まれ、ひどい扱いをされるのかがわからなかった。
ジェレミーはフレデリクがブレゼ家を継いだのち、独立すると言って家を出て行き、冠婚葬祭があってもほとんど帰ってこなかったそうだ。
だから、ジュリエットはフレデリクの生前、ジェレミーに会ったことはほとんどない。 父もジェレミーについて語ったことはあまりなかった。『兄弟ではあるが性格が違いすぎて、二人で遊ぶことはあまりなかった』くらいだ。
そもそも接点がなかったのだから、憎まれる理由の見当がつかない。
そんな絶望的な環境を耐え凌ぐ中で、ある日ジュリエットは庭園に迷い込んだ子犬を見つけた。掃き掃除をしている最中だった。
ブレゼ家の本家がある領地は森が多い。その辺りに棲み着いている野犬の子どもかと思われた。
『まあ、可愛い』
子犬はジュリエットがとりわけ大切に手入れをしていた、深紅の薔薇の茂みの中に蹲っていた。
非常に小さい。なのに見落とさなかったのは、子犬が純白の毛並みをしており、薄暗がりの中でも目立っていたからだ。
子犬はジュリエットに気付き、ウウウ……と威嚇した。
『大丈夫。なんにもしないわ。それより、旦那様に見つかったら大変よ』
ジェレミーは大の動物嫌いである。特に昔噛まれたことがあるそうで、犬は憎悪の対象ですらあったはずだ。
『あなたのお母様はどこへ行ったの? あ、もしかして……』
この数年で森で暮らす野犬の数が増えたので、ジェレミーは人を雇い、大規模な犬狩りを行ったと聞いている。子犬はその時の生き残りなのかもしれない。
ジュリエットは箒を置くと、茂みの前でしゃがみ込んだ。
『あなたも私と同じね……』
親を亡くして独りぼっちだ。
『だったら仲良くなれないかしら? 二人でいればきっと寂しくないわ』
ジュリエットは手を伸ばし、子犬の指先に人差し指を出した。
子犬は怖がってウウウ……と唸っている。
『大丈夫。私はあなたを傷付けないから』
しかし、子犬に人間の言葉は通じなかった。ジュリエットも敵にしか見えなかったのだろう。突然がぶりとその指に噛み付いたのだ。それも、敵意を持って歯を立てて――。
『……っ』
ジュリエットは痛みに顔を顰めた。穴が空いたのか指先がズキズキする。
しかし、幸か不幸か痛みには慣れていた。ジェレミーにたびたび折檻を受けていたからだ。
子犬に優しく微笑んでみせる。
『ほら、大丈夫でしょう? 私はあなたに何もしないわ』
まったく反撃しないジュリエットを見て、ようやく敵ではないと悟ったのだろうか。子犬が不意に耳をペタリと伏せた。
『クゥン……』
悲しそうな声でキュンキュン鳴き始め、申し訳なさそうにジュリエットの血を舐め取る。
『ありがとう。優しい子ね』
ジュリエットは子犬をそっと撫でた。
子犬は今度は抵抗しなかった。それどころか、おずおずと茂みから出てきたのだ。
『あら』
ジュリエットは子犬を抱き上げ、その目の色を確認した。
『あなた、私と同じ色の目なのね』
宝石のルビーのような、血の色のような、柘榴のような深い紅色だ。しかも純白の毛をしている。
『子犬にもこんな子がいるのね。そういえば突然変異で時々生まれるって聞いたような……』
なお、ジュリエットの深紅の瞳は特殊な色素由来だと聞いている。海沿いに暮らす少数民族に稀に現れる色彩だったのだそうだ。一、二世紀前の王族には、時折、この瞳の持ち主がいたとも。
しかし、劣性遺伝なのか、現在はもうほとんどいないと聞いている。以前の内戦で大敗し、行方知れずとなっているアルフォンス以外は――。
『私のご先祖様もその少数民族だったのかしらね』
亡き両親の瞳の色はブルーと榛色だったので、どちらにも似ていない。ちなみに髪の色もフレデリクが金髪、クラリスは亜麻色だった。二人はジュリエットの珍しい髪と瞳の色は、先祖の隔世遺伝だろうと言っていた。
まだクラリスが生きていた頃、フレデリクはこんなことを教えてくれた。
『赤い瞳はキスした者に幸運を与えると言われているんだ。人に分け与えるほどたくさんの幸せを持っているということだね』
大好きな父にそう言ってもらえて、嬉しかったのをよく覚えている。
だが――。
『……』
ジュリエットは苦い記憶を思い出し、黙り込んでいたが、子犬がまたキュンキュンと鳴いたことで我に返った。
『お腹空いたんでちゅか?』
ジュリエットは子犬を胸に抱きかかえた。
『ちょっと待ってね。確か、お粥が残っていたはず……』
子犬はジュリエットの言っている意味を理解しているのかいないのか、ぐぐっと首を突き出してジュリエットの鼻先をペロッと舐めた。更に尻尾を振りながらじゃれついてくる。
『あら、ありがとう。あなたのキスなら幸せになれそうね』
ジュリエットは久しぶりに触れた他者の温もりに、再び微笑みを浮かべて子犬を抱き締めた。
その後ジュリエットは子犬にロミオと名付け、割り当てられた使用人用の自室で密かに育てた。ジェレミーがジュリエットの部屋は不潔だからと、まったくやって来なかったのが幸いだった。
ジュリエットは自分の分の食事を、ほとんどロミオに与えた。ただでさえ少ない量だったので、みるみる痩せてしまい、一時期は栄養失調寸前になった
一方、ロミオはすくすくと成長し、一年も経つ頃には立派な成獣となっていた。ジュリエットが立派すぎやしないかと心配になったほどだった。
純白の堂々たる体躯に大地を踏み締める四本の獣の足。深紅の瞳に宿る眼光は鋭い。
『犬にしては随分と大きい気が……』
なんとなく違和感はあったが、そういう犬もいるのだろうと頷くしかなかった。
さて、ロミオはジュリエットに絶対の忠誠を誓っていた。何せ身を削って食事を与えてくれた育ての親だ。
ジュリエットの指示を聞かないことはなかった。
庭園に出られるのはジェレミーたちが寝静まり、人目につかない夜だけと制限され、日中は狭い使用人部屋でしか活動できない。それでも、大人しくジュリエットの言い付けに従っていた。
そう、ロミオが運悪くアナベルに見つかったあの日までは――。
――その日ジュリエットは薔薇の茂みの手入れをしていた。
本来なら庭師がする仕事である。しかし、嫌がらせの一環なのか、それとも興味のない庭園に金などかけたくないのか、ジェレミーにお前がやれと押し付けられていたのだ。
もっとも、ジュリエットは命じられなくとも、庭園の手入れだけは自分でやるつもりだったのだが。
中でもこの深紅の薔薇は特別だった。繊細な品種で虫や病気に弱い上に、植え替えが難しくすぐ枯れてしまう。この地方の固有種のせいか絶滅しかかっており、もうこの庭園にしかないのではないかと言われていた。
また、ジュリエットの個人的な理由もあり、なんとしてもこの薔薇だけは枯らすわけにはいかなかった。
ちなみに、薔薇には数多くの大小の棘がある。いくら専用の手袋を付けていても、細かいものは編み目を通過して手に刺さり、皮膚の下に潜り込んで取れなくなる。
そのせいでジュリエットの手はすっかり荒れ、ガサガサのザラザラになっていた。とても令嬢の肌には見えない。
『あら、あんたこんなところにいたの』
ふと声を掛けられ振り返る。
アナベルだった。散策にでも来たのだろうか。その割には随分と派手なドレスを着ている。
『このドレス、素敵でしょう。夏の王宮の舞踏会に招待されたのよ』
アナベルとジュリエットは同じ年の十八歳だ。といっても、ジュリエットはもうじき十九歳になるが。
いずれにせよ、双方ともに社交界デビューしていてもおかしくない。平常時であれば十六歳頃なので、少々遅めとも言える年である。
しかし、この数年は内戦の影響で、舞踏会や園遊会、晩餐会といった華やかな行事は行われていなかったので機会がなかった。
近頃ようやく内政が安定してきたので、国王もそろそろ社交と行事を復活させようとしたのか。
『そうですか。お似合いですね』
『あんたは行けないものね。羨ましいでしょう』
『……』
ジュリエットは答えなかった。
アナベルはふふんと笑うと、ドレスの裾を摘まんでくるりとその場で一回転した。
『国王陛下ってまだ独身でしょう。だから、この舞踏会は生き残った貴族同士の出会いの場を提供するついでに、王妃を選ぶためなんじゃないかって言われているのよ』
なんでも宮廷で職位を持つ貴族に加え、十六歳以上の未婚の貴族令嬢は、全員出席するようにとのお触れがあったのだとか。
なるほど、アナベルの推理は合っているのかもしれない。
『女嫌いって噂があったけど、やっぱり嘘だったのよね。まあ、本当にしろ結婚はしなくちゃいけないだろうし。王妃と跡継ぎの王子は絶対に必要だもの』
噂によると先の内戦で勝利した国王レオンは、地位などなくともいくらでも女を落とせそうな、長身痩躯、金髪碧眼の美丈夫だという。
ところが、王太子時代から女を近付けようともしなかった。生前、前国王が婚約者を見繕おうとしても、まだ早いと突っぱねていたのだとか。
何度か王太子妃の座を狙った令嬢に寝室に忍び込まれたり、気を利かせた臣下が娼婦を送り込んだりしたこともあったが、時には剣を抜いてまで追い返してしまったというエピソードもある。
とはいえ、その国王もさすがに王妃と跡継ぎは必要らしい。
アナベルは気持ちよさそうに言葉を続けた。
『といっても、有力貴族の未婚の貴族令嬢って今そんなに数がいないのよね』
内戦勃発前、年頃の娘を持っていた有力貴族たちは、こぞって自分の娘を政略結婚させていた。
自陣営の味方を増やす目的と、自分や嫡男に万が一のことがあった場合、娘だけでも生き長らえさせ、女系でもいいので血を残すためだ。
ゆえに、内戦後数年しか経っていない現在、フロリン王国内では独り身の令嬢は意外と少ない。
なお、ジュリエットも未婚だが、十八歳になっても婚約すらしていないのは、運とタイミングに恵まれなかったからだった。
実は内戦前には婚約が決まりかけていたのだが、先方の父親が国王の敵方についてしまったため、破談となりその後は縁談がなかなかまとまらずにいた。
フレデリクが亡くなって以降はジェレミーに外に出してもらえず、家の者以外との接触を禁じられているため、結婚は遠い夢になってしまっている。
そうした状況の中、まだ婚約者のいないアナベルは、同じ境遇の令嬢たちの中から、国王に選ばれる自信があるらしかった。
確かにアナベルはジュリエットから見ても、少々派手ではあるものの美しい。更に、名門貴族ブレゼ侯爵の一人娘である。王妃になる条件が揃っているのだ。
『国王陛下のお目に留まるよう幸運をお祈りしております』
アナベルはジュリエットを羨ましがらせたかったのだろう。
だが、ジュリエットはレオンにさほど関心がない。父が政治的に支持していたというだけだ。嫉妬するどころか好きにやってくれという心境だった。
アナベルはジュリエットの反応が面白くなかったらしく、『何よ』と小さく呟き身を翻した。
ジュリエットにドレスを見せびらかしたかっただけだったようだ。
ジュリエットは『失礼します』と断り、再び作業を続けようとした。
ところが、次の瞬間、きゃあっと甲高い悲鳴が庭園中に響き渡る。
何事かと振り返って絶句した。
なんと、いつの間にか庭園にいたロミオが、転んだアナベルを睨み付けていたのだ。
『な、何よこの犬!』
恐らくアナベルは背を向けたジュリエットに、何かよからぬことをしようとしたのだろう。背中を突き飛ばそうとしたのか、蹴り上げようとしたのか。
ロミオは使用人部屋の窓からそれを見て、すわ主人の危機だと助けに駆け付けたらしかった。
『ロミオ!?』
出てきちゃ駄目、見つかってしまうと叫ぼうとしたが、もう遅かった。娘の悲鳴を聞き付けたジェレミーが飛んできたのだ。
『アナベル、何があっ……』
絶句してその場に立ち尽くす。
『な、なんだこの犬は! 誰が入れた!?』
その視線はすぐさまジュリエットに向けられた。顔が忌々しげに歪められる。
『お前の仕業か!』
ジュリエットはロミオを抱き締め、どうにかして宥めようとした。
『駄目よロミオ、怒らないで。私は大丈夫。大丈夫だから……!』
よりによって嫌悪する犬を屋敷内に入れられた、ジェレミーの怒りは激しかった。
『あの獣を殺せ!』
「――お願いです! どうか、どうか……!」
ジュリエットはその場に膝をつき、頭を地面に擦り付けた。
「どうかロミオの命だけは……!」
手塩に掛けて育ててきた大切な命を、奪われようとする恐怖は、父の死を知った時と同じ――いいや、それ以上に大きかった。
ジュリエットの顔は悲しみのあまり、涙でぐしゃぐしゃになっていた。
ジェレミーはジュリエットを見下ろし、吐き捨てるようにこう言った。
「そうだ。お前のような卑しい女は絶望し、打ちひしがれていればいい」
「ど……して……」
アナベルは父の真似をしているだけだろうが、なぜジェレミーはこうも自分を憎むのか。
その間に衛兵二人がロミオの体を持ち上げる。
「いやっ、止めて。ロミオを連れて行かないで!」
ジュリエットは泣いて叫んで訴えたが、願いが聞き入れられるはずもない。
結局その場で衛兵に取り押さえられ、運ばれていくロミオを見送ることしかできなかった。
ロミオを失って以来、ジュリエットはすっかり力を落とし、抜け殻のようになっていた。
心の中ではいつも後悔が渦巻いていた。
(私がロミオを拾わなければ……)
すぐ外に逃がしていれば、ロミオはまだ生きていたかもしれない。
そう思うとたまらない気持ちになって涙が溢れ出てきた。
(私、最低だわ。自分が寂しかったからってロミオを縛り付けて、結局死なせてしまった)
ロミオに申し訳なさ過ぎて、どう償えばいいのかわからない。
(悔しい……)
ジュリエットは拳を握り締めた。赤い瞳から大粒の涙がポロポロ零れ落ちる。
なんの力もなく、ジェレミーに反抗できない自分が、不甲斐なく情けない。
(私の体がもっと大きくて強ければ……ロミオを助けられる力があれば)
また、自分がどう生きるべきなのかもわからなくなっていた。
心の支えとなっていたロミオの死は、予想以上の打撃をジュリエットに与えていた。無力感がひどい。
それでも仕事はなんとかこなしていたのだが、フロリンが初夏を迎えた頃、ジェレミーに思いがけない命令をされることになる。
アナベルとともに王宮の舞踏会に出席しろと命じられたのだ。
ジュリエットはロミオを殺されて以来、ジェレミーの顔を見るだけで吐き気がするようになっていた。本当なら視界の片隅にも入れたくない。
しかし、逆らえばまたどんな目に遭わされるのかもわからない。仕方なく呼び出されるまま執務室に向かった。その後一歩足を踏み入れるなり、舞踏会への出席を命じられたのだ。
「舞踏会とは八月に行われる舞踏会ですか?」
「……そうだ」
確か以前アナベルが国王はそこで未婚女性を品定めし、王妃候補を見繕うつもりではないかと言っていた。
「なぜ私が……」
叔父は今までジュリエットを外に出したがらなかった。自分が先代当主の遺言書に逆らって家を乗っ取り、正統な後継者である姪を虐げていると知られたくないからだろう。
ジュリエットを見れば一目でろくに食べていないのだとわかる。
ジェレミーは苦々しい口調でジュリエットに説明した。
「……国王より直々の連絡があった」
アナベルとともにジュリエットも必ず出席させろと命令されたのだと。
当初ジェレミーは姪は重い病に伏していると嘘の報告をし、ジュリエット宛の招待状は握り潰していた。
だが、国王レオンは車椅子に乗せてでもいいし、初めの三十分だけでもいいから出席させろと要求してきた。逆らえば家を取り潰すともほのめかされたのだとか。
ジュリエットはなぜそこまでと目を瞬かせた。
(国王陛下は何をお考えなのかしら)
一方、ジェレミーはぶつぶつと何やら呟いている。
「宮廷で地位をいただくまでは大人しく従うしかない。舞踏会でアナベルが国王に見初められさえすれば……」
ジュリエットの父フレデリクは宮廷で宰相代理に任命されていた。
しかし、ジェレミーには何もない。
宰相代理の地位はあくまで前国王の覚えがめでたかった、フレデリク個人に与えられていたものだからだ。
つまり、ジェレミーは現在ブレゼ侯爵ではあっても、宮廷ではなんの権力もない一貴族に過ぎない。
ゆえに、今回の舞踏会にも招待されていない。
今回の舞踏会で未婚の貴族令嬢以外招待されているのは、宮廷で地位を持つ有力貴族のみだからだ。
ジェレミーはこうも溢した。
「それに、あの国王は何をするのかわからん。今逆らうわけにはいかん」
確かに噂に聞くレオンは恐ろしい男だった。
内戦で敵方のアルフォンスについた家はことごとく取り潰し。当主、及び直系男子はギロチンで斬首している。それまでどれほどフロリンに貢献した有力貴族であってもだ。
特に反抗してきた貴族の首を、手ずから刎ねたという噂もある。
そこまでの粛清をした国王は、長いフロリンの歴史の中でも、レオンくらいしかいなかった。
こんな国王相手では下手に誤魔化したことがバレれば、今度は自分の首と胴が切り離されることになると、ジェレミーは怯えているに違いなかった。
「だが、いいか。舞踏会では決して誰とも口を利くな。踊るな。目立つな。……まあ、お前の見てくれでは誰にも誘われんと思うがな」
ジェレミーは蔑んだ目で、痩せ細ったジュリエットを見つめた。
「お前には監視を付ける。いいか。下手な動きをしてみろ。お前の大事なあの庭園を無茶苦茶にしてやる」
「……っ」
自然美に溢れたブレゼ邸の庭園は、ジュリエットの母クラリスがどこよりも愛し、よくフレデリクやジュリエットとともに散策を楽しんだ憩いの場所だった。
何せ元庭師の娘である。伯爵夫人となっても時折趣味と言い訳をして、庭園の手入れを欠かさなかった。
中でも一角にある薔薇の茂みは、クラリス自身が植えたものだ。毎年美しい深紅の薔薇を咲かせてくれる。
クラリスがまだ元気だった頃には、「ジュリエット、あなたの瞳と同じ色ね。私が一番好きな色よ」と笑ってくれたものだ。
その思い出の場所をジェレミーは破壊すると宣言したのだ。
ジェレミーはどのようにして調べたのか、ジュリエットの弱点をよく知り、こうして的確に鋭く突いてくる。
そして、思い出を人質に取られていたジュリエットは、その悪意に満ちた攻撃を避けるすべを知らなかった。
***
フロリンの王宮の大広間を見るのはこれが初めてだった。
ジュリエットは息を呑んで辺りを見回した。
ブレゼ邸も地方の邸宅としては豪華だが、王宮の贅沢はもはや次元が違っていた。
たった一室なのに邸宅一軒分の敷地があり、金糸、銀糸で複雑な模様が刺繍された壁紙に彩られている。
神話のフレスコ画の施された天井には、いくつものシャンデリアが輝いている。芸術品のように美しいガラス細工でできており、灯された蠟燭の光を受けてキラキラ煌めいていた。
キラキラ輝いているのはシャンデリアだけではない。色鮮やかな流行のドレスに身を包んだ令嬢たちもだ。皆若く、美しく、品がある。
ジュリエットは一人だけ場違いな気がして、思わずこの場から逃げ出したくなった。
しかし、ジェレミーに舞踏会開始後三十分は大広間にいろと命じられている。やむを得ず壁に背をつけ、なるべく目立たないようにと息を殺した。
一方一緒に招待されたアナベルは、早速招待客の貴公子にダンスに誘われている。
アナベルは未婚の令嬢たちの中でも、一際美しく、ぱっと華やかに見えた。
ドレスは彼女の瞳の色に合わせた鮮やかなエメラルドグリーンだ。胸元には大粒のエメラルドのネックレスが輝いている。
一方、ジュリエットのドレスは一昔前のデザインで、色も暗めの紺だ。アナベルとあからさまな差がつけられている。
ジュリエットが侯爵令嬢だとは誰も思わない地味さだった。
アナベルは次々と違う貴公子の手を取っている。
ジュリエットはその様子を尻目に、さり気なく会場内を見渡した。
舞踏会開始からもうすぐ三十分が経とうとしているが、国王レオンと思しき人物はまだ姿を現さない。
ジュリエットはレオンに会ったことはなかったが、純金を思わせるブロンドにサファイアブルーの瞳、長身痩躯の大層な美青年だとは聞いている。
更に代々の国王しか身に着けられない、大粒のルビーが嵌め込まれた勲章をつけているので、すぐにレオンだとわかるとも。
このルビーははるか昔の国王ロラン一世の時代、植民地より献上されたものだ。その色がかの国王の瞳の色と同じということで、大変縁起がいいとされそのまま勲章に装飾されたという。
開会の挨拶は代わって側近の一人が済ませていた。その際、国王はしばらく遅れて参加するとの伝達もあった。なんでも緊急の公務が入ったのだとか。
ようやく政権が安定してきたとは聞いているが、やはりまだ内戦が終結して間もないので、何かとしなければならないことが多いのだろう。
いずれにせよ、ジュリエットには関係ない。今回の舞踏会ではどうせ一瞥されることすらないだろう。
痩せ細り、手が荒れた地味な小娘など、令嬢とすら見なされないのではないか。
女嫌いなら尚更だろう。
ところが、壁の花と化していたジュリエットに、何を思ったのかアナベルが近寄ってきたのだ。
会場入りする前は「中では私に話し掛けないでよ。あんたが親族だなんて思われたくないのよ」と顔を顰めていたのに。
一体何を企んでいるのかと警戒していると、アナベルは楽しそうに人差し指を口に当て、首を傾げてジュリエットの目を覗き込んだ。
アナベルはいかにも楽しそうな笑みを浮かべていた。経験上よくわかっているのだが、こんな時アナベルはろくなことを考えていない。
「ねえ、ゲームをしましょう」
「ゲーム……?」
「そう。国王陛下がいらっしゃるまでに、何人の男の人に誘われるか競争するの」
わけがわからなかった。それに、そんなのアナベルが有利に決まっている。
アナベルは「負けた方はね」と言葉を続けた。
「罰ゲームをするの。そうね。陛下に嘘の告白をするとか」
さすがにはいと頷くことはできなかった。
「何を言っているんですか。そんな不敬な真似、していいはずがありません」
「あら、だから面白いんじゃないの」
ジュリエットはアナベルの意図にようやく気付いた。
つまり、こちらに不敬な真似をわざとさせたいのだ。
女嫌い、しかも残虐だと聞く国王にそんなことをしようものなら、不敬罪で投獄されるどころか、その場で手打ちにされるかもしれない。
ジュリエットが絶句していると、アナベルは唇を釣り上げて身を翻した。
「決まりね。じゃあ、ゲームスタート!」
「お嬢様、待っ……」
アナベルは早速貴公子に声を掛けられている。先ほど中央で踊っていたので、人々の目に留まりやすくなっているのだろう。
初めから地味な装いで、かつジェレミーに脅迫され、誰とも喋れないジュリエットに勝算などあるはずがなかった。
アナベルは朗らかに笑いつつ、貴公子の誘いを断っている。すると、また別の貴公子が彼女をダンスに誘った。
(どうしよう。一体どうすれば……)
ジュリエットが自分から貴公子に声を掛け、ダンスに誘おうものなら、アナベルは帰宅後すぐジェレミーに報告するだろう。命令を守らなかった罰だと庭園を破壊されてしまう。
アナベルは初めからジュリエットが何もできないのをわかっていた。だからこそ、こんなゲームを仕掛けてきたのだ。
それでもジュリエットは諦めず、何か打開策はないかと必死になって考えた。これ以上大切なものを失いたくなかったのだ。
だが、その間にも無情かつ瞬く間に時は過ぎ、気が付くともう十五分が経っていた。
アナベルは四人目の貴公子に誘われたところだった。断りを入れた後ニヤニヤしながらジュリエットに歩み寄る。
「何人に誘われた?」
知っているだろうに聞いてくる。
ジュリエットは「……一人も」と答えるしかなかった。
「じゃあ、あんたが罰ゲームね! ほら、早く陛下に告白してきなさいよ。庭園を台無しにされたくないでしょ」
「……っ」
こんな茶番、すぐに嘘だと見抜かれるに決まっている。国王を愚弄した罰はどんなものなのか。
「それにしても、国王陛下遅いわねえ……あっ」
アナベルが途端に黄色い声を上げた。いつもより数段高くなってもいる。
「あの方が国王陛下ね! なんて素敵な方なのかしら……」
ジュリエットは思わずアナベルの視線を追い、これが新たなフロリン国王かと息を呑んだ。
太陽光を煮詰めたような濃いブロンドは、肩を超える長さまで伸ばされ、後ろで一つにまとめられている。キラキラ輝く黄金の光が逞しい背を彩っていた。
キリリと形がいい眉も髪と同じ金だ。対照的にシャープな輪郭の中に収まった、切れ長の凜々しい双眸は濃く深い青で、いかにも冷酷そうな色味である。
筋の通った鼻と薄い唇は引き締められ、愛想笑いなどまったくなかった。そんなことをする必要を感じていないのかもしれない。確かに誰に媚びなくとも完璧な美貌だ。
レオンは顔立ちだけではなく理想的な体躯をしていた。
金糸で刺繍の施された漆黒の詰め襟の上着の心臓の位置には、ルビーの嵌め込まれた勲章が輝いている。しっかりした肩と胸板の厚さ、腕の長さが服の上からでもわかった。
上等な生地だと一目でわかる純白のズボンは、一際長い足を引き立てており、どうと言うこともないデザインなのに美しく見える。
フロリンの王族の男性には美形が多いと聞いていたが、その迫力にジュリエットは息を呑むしかなかった。
「国王陛下のおなーりー!」
大広間の中にいる招待客全員が一斉にレオンを見る。
レオンは注目を一身に集めても、まったく動揺しなかった。当然だとでも言うように、海を割り開いたと伝えられる聖者さながらに、招待客が身を引いてできた道を進んでいく。
よく通ってまだ若々しい、それでいて王者に相応しい風格のある声が大広間に響き渡る。
「皆の者、待たせたな。今宵は久々の宴だ。楽しんでいくがいい」
それが舞踏会再開の合図だった。
レオンの周囲にいる招待客らは皆ソワソワしている。フロリンの公の社交の場では、より身分の低い者が高い者に声を掛けるのは、不敬かつマナー違反だとされている。
だから皆国王の言葉を待っているのだ。
レオンはサファイアブルーの目で周囲を見回した。何かを探しているような目付きだ。
すでに目当ての令嬢がいるのだろうか――そんなことを考えていたジュリエットに、その視線が向けられたのでぎょっとした。
サファイアブルーの双眸がわずかに見開かれる。
ジュリエットは思わずキョロキョロしてしまった。近くに国王の知り合いがいて、そちらに用があるのだろうと思ったから。
だが、それらしき人物はアナベルと年配の招待客夫婦数組くらいだ。
アナベルも国王の目に気付いたらしい。見初められたと喜び勇んだのだろう。
「やっぱり私が一番綺麗なのね!」
パッと顔を輝かせてドレスの裾のしわを直している。
レオンはその間にも真っ直ぐにこちらに向かって歩いてきた。
やはりアナベル目当てなのかと、ジュリエットが身を引こうとしたその時、「そこの娘」と声を掛けられたので驚いた。
レオンはアナベルではなくジュリエットの前に立っていた。
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