●著:まつりか
●イラスト:御子柴リョウ
●発売元:三交社
●発行元:メディアソフト
●ISBN:978-4815543884
●発売日:2026/5/29
公爵令嬢の強火ファンの引きこもり令息を理想の婚約者にプロデュースします!
公爵令嬢アリシアは二度の婚約破棄を受け、自分を裏切らない相手が欲しいと願っていた。ある日、魔道具のせいでとある侯爵令嬢と入れ替わってしまい、そこで彼女の兄の引きこもり令息ロベルトと出会う。彼の部屋はアリシアのグッズで溢れていた。
「なんて美しいんだろう、僕の女神」
彼が自分の熱狂的なファンと知ったアリシアはその一途さを見込み、彼を理想の婚約者に育てることを決意して!?
プロローグ
人は驚きすぎると、本当に声が出なくなるらしい。
「ああ、アリシア様。僕は貴女の下僕です。その艶やかな御髪に意志の強い眼差し、完璧な顎のラインから指先の美しさ、なんて魅力的なんだろう……」
目の前には、私の名前を呼びながら石像に語りかける青年の姿。
肩にかかる黒い髪を払おうとしている格好の石像は、吊り上がった瞳と気位の高そうな表情から、すぐに自分を模しているものだとわかった。
「ドレスの上からでもわかるこの腰のくびれ、そして本来見えてはいけない足首……なんて背徳的なんだ……」
石像に縋りつきながら頬ずりをはじめる青年を前に、ひくりと頬が引き攣る。
――逃げよう。
そう心の内で決意するのに、足が動かない。
今動いたら『私』が『アリシア』であることを認めることになってしまうのではないかという恐怖から、ほんの一歩が踏み出せなかった。
今の私は『アリシア』の姿ではなく、彼の妹の『シャーロット』としてここに立っている。
自分を模した石像に並々ならぬ愛着をみせる青年の姿に、私がアリシア本人であることを知られたらどうなるだろうか。
そんな仮定を想像するだけで、ぞぞぞっと肌が粟立った。
そもそも、一体どうしてこんな状況に陥ってしまったのか。
その原因は、今から約二週間前に遡る。
*・*・*
「婚約撤回、ですか」
告げられた事実を復唱すれば、向かいに座る父は深い溜め息を吐いた。
普段から滅多に関わりのない父の書斎に呼ばれた時点で、ある程度の嫌な予感はしていた。
「ああ、先方から正式に申し入れがあった」
「まさか――」
父の発言に、さあっと血の気が引く。
婚約が成立したのは、つい一か月前の話だ。
二週間程前に対面した相手――ガルナスの国の公子とは、双方合意の上で正式な政略結婚に向けての打ち合わせを行った。
状況を理解し淡々と受け入れているようだった相手が、突然手のひらを返してくるだなんて俄かには信じがたい。
「……何かの間違いではないでしょうか。お会いしたのは一度きりですが、公子もこの婚約は両国の友好を深めるための政略的なものだと理解されていたはずです。何か誤解か行き違いが――」
「お前が会いに行った翌日、ガルナスの公子は兼ねてからの恋人と姿を消したらしい」
耳を疑うような発言に、言葉を失う。
そんな私を見て、父は呆れたようにその肩を竦めた。
「所謂、駆け落ちというやつだ。聞いた話によれば、一度は国のためにと別れたそうだが、お前が来たことで二人の仲が再び燃え上がったらしい」
「はい?」
引き攣りそうになる頬をなんとか押さえて、笑顔を保つ。
理解しがたい相手の行動に、膝の上に置いていた手をぎゅっと握りしめた。
「……国を背負うべき公子の行動とは思えません。他国への懸け橋となる政略結婚を蹴り、すべての責任を放棄して己の気持ちを優先するだなんて、あまりに利己的で自己中心的な――」
「お前のそういうところは誰に似たんだろうな」
私の言葉を遮った父の声に、ぴくりと身体が強張った。
そんな私の様子に気付いているのかいないのか、父は小さく息を吐く。
「一度ならず二度までも婚約破棄を受けたのだ。周囲は当然、お前に原因があると想像するだろう」
その言葉に、ぐっと唇を噛んだ。
父の言う通り、私が婚約破棄を受けるのは、これで二回目だった。
我が国アレンスタ王国の王家には、ここ二十年近く王女がいない。
そんな中、約十年前に長年国交を望んでいた東の大国からの政略結婚の申し出が舞い込んできた。
政略結婚は、外交を進める上で最も簡単で強い効力を生む手段だ。
アレンスタとしては是が非でも受けたいものであり、そこで白羽の矢が立ったのが、現国王の弟にあたる父――グレイブス公爵の娘である私だった。
国内では最高位貴族にあたる筆頭公爵家であり、王家の血を引く娘ならばと先方も同意し、私の知らないところで婚約は締結された。
私は八歳、相手の第五王子は十歳のときのできごとだった。
他国に嫁ぐことが決まった瞬間から、私は政略結婚の駒となった。
アレンスタ王国を代表する貴族令嬢として恥ずかしくないようにと徹底的に礼節マナーを叩きこまれ、すべての時間を淑女教育に費やし、他国に嫁ぐ日のために邁進する日々を続けて九年、十七歳の誕生日を迎える直前に事態は急変する。
東の大国からの使者が、政略結婚の辞退を申し入れてきたのだ。
一方的な婚約破棄にもかかわらず、国交の維持と莫大な違約金の支払いの提案を前に、我が国は二つ返事で承諾したという。
後から聞いた話では、婚約破棄の理由は、運命の人と出会い真実の愛を見つけたという第五王子が「政治の道具にはならない」と強く反発したかららしかった。
――まったく馬鹿らしい。
忌々しい記憶に心の中で舌打ちをする。
そもそも王族に生まれた時点で、己の惚れた腫れたで結婚相手を選ぼうという考えが傲慢なのだ。
第五王子という序列がそうさせたのかもしれないが、会ったこともない相手から一方的に婚約破棄をされた側としてはたまったものではない。
私は婚約破棄というレッテルを貼られることとなったが、九年の婚約期間は東の大国との国交と賠償金を生んだ。
大きな国益を齎した政略結婚の駒を、遊ばせておくつもりはなかったのだろう。
東の大国から婚約破棄をされた一年後、父たちは新たな嫁ぎ先を見つけてきた。
それが先ほど、婚約撤回を申し入れてきたガルナス公国だった。
――まさか二度も婚約破棄されることになるなんて。
胸中で溜め息を吐いても、事実は覆らない。
アレンスタ王国において、婚約破棄は双方の肩書に傷を付ける行為だ。
一度目の婚約破棄によって『会ったこともない相手から婚約破棄をされるほどの悪女』という噂が社交界に広がっている私にとって、二度目の婚約破棄がどう影響するかは火を見るより明らかだった。
――どう考えても『悪女』のレッテルからは逃れられそうにないわね。
火のない所に煙は立たないとはいうものの、無理やり噂を仕立てあげて相手を貶めるのが貴族のやり方だ。
近々、新たな噂が広がることは想像に難くない。
「まあ今回も先方からの一方的な婚約破棄のため、相応の賠償は請求できるだろう。外交としては有益だった」
「恐縮です」
目礼を返した私に、父は口元を押さえる。
「ただ二度婚約破棄となったお前は、今後、政略結婚どころか通常の縁談も難しくなるだろうな」
その発言に、ぴくりと頬が引き攣りそうになった。
「グレイブス公爵家の人間として相手にもそれなりの家格を求めたいところではあるが、贅沢は言っていられないな。下位貴族から見繕うよりも、どこかの後妻として入ったほうが生活の保障はされるかもしれん」
まるで厄介ごとを前にしたような父の口調に、笑顔を張り付けながらも腹の底からはふつふつと怒りが湧いてくる。
そもそも二度の政略結婚について、私に一切の選択肢はなかった。
一度目の婚約については先方からの打診だったかもしれないが、少なくとも二度目の婚約については父たちが選んだ相手だ。
貴族の娘として生まれた以上、婚姻に私情を挟むつもりはない。
しかし、二度の婚約破棄を招いた父の判断を信頼しろというほうが難しかった。
――これ以上、お父様に任せておけないわ。
ぐっと拳を握ると、向かいに座る相手ににこやかに微笑みかける。
「お父様、一つ提案をよろしいでしょうか」
私の発言に、父は視線だけをこちらに向けた。
「この度は不甲斐ない結果となり、力及ばず誠に申し訳ございません」
深々と頭を下げる私に、父は鷹揚に頷く。
「外交的には成果が上がっている。お前が自分自身を責める必要はない」
「寛大なお言葉をありがとうございます」
父は昔から、何より国益を重んじてきた、典型的な王家の人間だ。
今の言葉も慰めなどではなく、ただ単に私の功績が評価に値すると口にしているにすぎない。
王弟として国の補佐については全幅の信頼を置かれている父だが、父親としては全くの欠陥品だった。
「ただ、このようなことになってしまった以上、これより先も私のことでお父様のお手を煩わせてしまうことは本意ではございません。自分の責任は、自分で取らせていただきたく存じます」
「責任を取るとは?」
眉根を寄せた父を前に、すっと姿勢を正して相手を見据える。
「次の縁談相手、私が見繕ってもよろしいでしょうか」
私の提案に、父は訝しげに眉を顰めた。
「……それは、お前の元婚約者たちのように、愛する相手を見つけたいと?」
「まさか。そんな夢見がちなことは一切考えておりません。私は自身の責任において、グレイブス公爵家の者が嫁いでも遜色なく、今後二度と不名誉な婚約破棄を受けるようなことのない相手を探し出すことを、己の償いとさせていただきたいのです」
「お前が償う必要は――」
「いいえ、私の責任は私にしか負えませんから」
優美に見えるようおっとりと語り掛けながら微笑めば、父は口を噤む。
「公爵家の迷惑になるようなことは決してしないと誓います。他国に嫁ぐことがなくなった今、アレンスタ王国を支える一貴族として、今一度務めを果たしたいのです」
「ふむ」
熟考しているような様子に見えるものの、この提案に父の不利益はない。
何よりも国益を大切にしている父にとって、私の縁談という些末な問題に割く時間が減るのであれば、願ったり叶ったりだろう。
そんな私の心の声が聞こえたのかはわからないが、父は小さく頷いた。
「承知した」
その言葉に、パッと顔を上げる。
「次の縁談相手の候補はお前が見繕うといい。ただし期限を設けよう」
予想外の期限付きという発言に目を瞠れば、父はゆっくりとこちらに向き直った。
「半年だ。半年以内に相手が見つからなければ、こちらも縁談探しを始めることとする」
半年後といえば、私の十九歳の誕生日が控えている。
父が覚えているかは定かではないが、貴族令嬢の結婚は十八歳が一般的であり、十九歳を越えれば行き遅れと呼ばれる年齢になってしまう。
――それまでには確実に見つけておきたいわね。
妥当な期限を提案してきた父に満面の笑みを向けると、静かに頷き返した。
「もちろんです。ご承諾ありがとうございます」
感謝の言葉と共に席を立つと、丁寧に礼をとる。
「半年の間に必ずお相手を見つけ、お父様に紹介いたしますわ」
「ああ」
父の短い返答を確認して、書斎を後にした。
廊下に出た瞬間、緊張を吐き出すように深く息を吐く。
「お嬢様、すぐに部屋に戻られますか?」
唐突にかけられた声に視線を向ければ、馴染の専属侍女が心配そうにこちらを見つめていた。
「……大丈夫よ、シーラ。部屋に温かい飲み物を用意してちょうだい」
「承知いたしました」
ぱっと表情を明るくして給仕の準備に向かった彼女を見送ると、自室へと向かいはじめる。
廊下を進んでいれば、ふと窓硝子に自分の姿が映った。
毛先に向けて波打つ長い黒髪に、紫色の吊り上がった瞳。
父親との血の繋がりをひしひしと感じる自分の表情の硬さに、先ほどの父の声が脳裏を過ぎる。
『お前のそういうところは誰に似たんだろうな』
――もちろん貴方に決まっているでしょう。
胸中で悪態を突きながら、眉根を寄せた。
使用人たちに聞いた話によれば、幼い頃に亡くなった母は、朗らかで笑顔の多い女性だったらしい。
そんな母に似ればよかったのだろうが、残念ながら父の血を濃く受け継いでしまった私は、笑ったつもりでも怯えられることのほうが多かった。
「……今更だわ」
ぽつりと声を漏らすと、硝子の向こうの青空を見やる。
自分で縁談相手を探すからといって、『運命の相手』だの『真実の愛』を求めるつもりはない。
公爵家から嫁ぐに遜色なく、婚約破棄だの撤回だのと、こちらを裏切らない相手ならそれでいいのだ。
「まあ、それが一番難しいのだけれど」
そう口にしながら小さく肩を竦める。
難しいとわかっていても、自分でやらなければまた同じ轍を踏みかねない。
「私は絶対、自分を裏切らない結婚相手を見つけてやるわよ」
そう呟くと、ぐっと拳を握り締め、自室へと続く廊下を勢いよく進むのだった。
第一章 事件発生
「はぁ……」
自室の長椅子に腰かけ、何度目かわからない溜め息を零しながら天井を見上げる。
大きな硝子窓の向こうに見える晴天とは打って変わって、部屋の中にはどんよりとした空気が淀んでいた。
――惨敗だわ。
両手で顔を覆いながら、ずるずると長椅子に身体を横たえる。
父と話をつけてから約一週間。
これまで積極的に参加していなかった夜会や舞踏会に顔を出してみたものの、そこで目の当たりにしたのは、好奇の眼差しと悪意ある噂だった。
『……あら、あそこにいらっしゃるのはアリシア様ではなくて?』
『婚約者に二度も逃げられたのでしょう? 公爵令嬢という立場をもってしても裸足で逃げ出したくなるほどの悪女だとか』
今思い出しても腸が煮えくり返りそうな囁き声に、ぐっと唇を噛みしめる。
動揺していることに気付かれたくなくて、その場では平気なふりをしてしまったが、やはり一言言ってやったほうがよかったのではと自問自答をしてしまう。
そもそも貴族は体面を気にする性質だ。
二度も婚約破棄を受けているというだけでも腫れものなのに、その上『悪女』だと噂されているようではまともな相手は近寄ってこないだろう。
――見積もりが甘かったかしら。
自分の浅はかさに深い溜め息を吐く。
多少傷があろうとも、グレイブス公爵家の後ろ盾があれば多少の縁は見つかるかと思っていた。
しかし、世の中はそう甘くなかったらしい。
政略結婚の駒として他国へ嫁ぐことが決まっていたため、これまで国内での交友関係を重視してこなかった。
それがこんな結果を招くとは――。
先日目の当たりにした謂れのない誹謗中傷を思い出して、小さく肩を落とす。
父との約束は、半年以内に相手が見つけること。
それができなければ、間違いなく父の決めた相手に嫁がされてしまう。
二回の婚約破棄をもたらした父の持ってくる縁談が、まともなものだとは到底思えなかった。
「……どこかに落ちていないかしら、都合のいい結婚相手」
疲れているのか、ありえないような願望が声になって零れる。
ゆっくりと上体を起こして背もたれに身を預けると、天井を見上げた。
「私を裏切らなければ、誰だっていいのだけれど」
投げやりな呟きが零れると同時に、扉を叩く音が耳に届く。
返事をすれば、扉が開くと共にシーラが息を切らしながらこちらに駆け寄ってきた。
「シーラ、邸の中は走るものではないと――」
「たたた大変です、お嬢様!」
少々お転婆ながらも普段は落ち着いた振る舞いをする彼女の動揺ぶりに、眉根を寄せる。
「何があったの?」
「それが――」
言葉を切ったシーラは、呼吸を整えるとゆっくりと口を開いた。
「……つい今し方、先触れがありまして。現在、第二王子殿下が公爵邸に向かわれているそうです」
「セドリックが?」
第二王子であるセドリックは同い年ということもあり、幼い頃から交流のある幼馴染だ。
確かに突然の訪問は困ったものではあるが、セドリックの訪問はこれまでも稀にあったし、シーラがこれほど動揺することではなかった。
「セドリックの訪問に、何か問題でもあるの?」
私の問いかけに、彼女はぐっと眉根を寄せる。
「その、セドリック殿下お一人だけではなく、婚約者となる方も同行されているそうでして……」
「婚約者?」
心当たりのない相手に首を傾げる。
先日の夜会でも、今年十九歳となる第二王子に婚約者がいないことが話題になっていたほどだった。
「フォートナー侯爵家のシャーロット様だそうです。正式な発表の前に、アリシア様にご挨拶をされたいと、お二人一緒にこちらに向かわれているそうです」
「私に?」
困惑に目を瞬く。
いくらグレイブス公爵家が王家の親戚とはいえ、従姉妹である私に事前に挨拶をする必要があるだろうか。
それに、先触れがあったとはいえ事前の約束もなく当日に訪問することは、本来なら礼を欠いた行動だ。
少々癖の強い性格ながらも礼儀は弁えているはずのセドリックが、その日に思い立ったような行動をするとは考えにくい。
ということは、つまり――。
「シャーロット様たってのご希望ということかしらね」
ぽつりと声に出してみれば、面倒ごとの予感に溜め息が漏れる。
セドリックの婚約者だという『シャーロット・フォートナー』とは、ほとんど面識はない。
フォートナー侯爵家に娘がいることくらいは把握していたが、これまでお茶会や夜会で軽く挨拶を交わした程度の関わりしかないはずだ。
そんな彼女が、敢えて私に婚約の挨拶をしたいというのだから、それがどういうつもりかくらい容易に想像がつく。
長椅子の背に身体を預けて、ゆっくりと息を吐くと天井を見上げた。
――牽制、もしくは勝利宣言かしら。
第二王子と同い年の幼馴染である私は、身分的に釣り合いが取れることもあり、過去には彼の婚約者候補として名前が挙がることもあった。
政略結婚の話が出はじめてからは立ち消えになっていたし、二度の婚約破棄を受けた今となっては王家に嫁ぐなんて考えられない話だが、彼の婚約者に内定したばかりの彼女からすれば、私の存在は目の上のたんこぶでしかないだろう。
「どちらにしろ、嫌な予感しかしないわ」
ぽつりとそう零しながらも、じきに到着するだろう王家の馬車を追い返すわけにはいかない。
逃げ道はどこにも用意されていないのだ。
――『悪女』らしく悪役を買ってあげるのも一興ね。
自嘲の笑みを浮かべながらも小さく頭を振ると、ゆっくりと上体を起こす。
あとできっちり幼馴染に見返りを求めようと心に決めると、重い腰を上げて、肩にかかる黒髪を払った。
「いいわ、すぐに出迎えの準備に取りかかってちょうだい」
私の声に深々と頭を下げたシーラは、足早に部屋を去っていく。
数時間後には到着するという二人には、当日訪問の無礼を許す代わりに、しばらく客室で大人しくしておいてもらおう。
――それくらいの無礼は許されるでしょう。
小さく肩を竦めながらクローゼットへと向かう。
扉を開くと『悪女』となるべく、相手を迎え撃つためのドレスを選びはじめたのだった。
*・*・*
「ようこそおいでくださいました。セドリック殿下、シャーロット様」
一足遅れて客間を訪れた私は、丁寧に礼をとる。
私の登場に、寛いでいたらしい二人は改まった様子で腰を上げた。
「やあ、アリシア。突然訪ねてしまって申し訳ない」
眩い白銀色の髪を掻き上げながら、にこやかに謝罪を口にする幼馴染に反省の色はない。
相変わらず整った顔立ちながらも、幼い頃から何を考えているのかわからない相手の態度に肩を竦めつつ、淑女の嗜みとして微笑み返す。
「あら、申し訳ないという気持ちがおありでしたら、日を改めていただきたかったですわ。突然の先触れに驚きましたのよ」
「ああ、それは申し訳なかった。急遽予定が変更になったんだ」
真っ向から嫌味をぶつけてみるものの、当人は上機嫌な様子でにこにこと微笑んでいる。
「先ほど正式な書面を交わしたばかりなんだが、近日中には公表されると聞いてね。それより先に、アリシアには私たちから直接報告しておきたいという話になったんだ」
なぜそこで私の名前が、と思うのは野暮なのだろう。
セドリックはともかく、ほぼ初対面である婚約者の彼女がわざわざ直接私に報告したいということは、やはり予想通りの勝利宣言らしい。
「……そこまでお気遣いいただく必要もありませんでしたのに」
「はは、シャーロットたっての希望でもあったからね」
遠回しな牽制も伝わらず、セドリックの能天気な返答にぴくりと頬が引き攣りそうになる。
「紹介するよ。私の婚約者となるフォートナー侯爵家のシャーロットだ」
そう口にしながらセドリックが隣を指し示せば、側に立っていた令嬢はびくりと肩を跳ねさせた。
ふんわりとした水色のドレスに身を包んだ彼女は、私と目が合うと、びくりと身体を強張らせる。
「あ……」
声が出ないのは緊張からか、恐怖からか。
わざわざ私に会いに来たという相手の姿に、立場も忘れて思わず見惚れてしまった。
白く滑らかな肌に、薄く色づいた唇。
ぱっちりとした大きな緑の瞳は金色の睫毛に縁どられており、まるで人形のように愛らしい。
金色の長い髪がふんわりと広がっている姿は、さながら妖精のようでもあった。
蝶よ花よと育てられたに違いない可憐なご令嬢にとって、私は毒花にでも見えていることだろう。
その姿に毒気を抜かれて、思い直す。
――わざわざ嫌われにいく必要もないわね。
なるべく穏便にことを済ませられるようにと、柔らかな表情を心がけて笑顔を作った。
「シャーロット様、我がグレイブス公爵邸にようこそおいでくださいました。改めまして、グレイブス公爵家のアリシアでございます」
現在の身分は彼女のほうが下ではあるが、近々第二王子の婚約者として公表されるのであれば、王家と同列と見做すべきだろう。
最上級の礼をとると、ゆっくりと胸元に手を置く。
「どうぞアリシアとお呼びください。仲良くしていただけると嬉しいわ」
あまり堅苦しい口調になりすぎないよう、にっこりと微笑みかけた。
私の挨拶に大きくその目を見開いた彼女は、僅かに唇を動かしたものの、小さく頭を振るとその顔を俯ける。
華やかな容姿とは真逆と感じられるほどの慎ましやかな態度に、目を細めながら相手の様子を見守った。
ほんのりと赤みを帯びた頬を冷ますように手を添えるその仕草に、一人心の内で感嘆の息を零す。
――まさに守ってあげたくなる女性のお手本ね。
恥じらうように顔を俯けているそのさまは、同性の私でさえも思わず手を伸ばして支えてあげたくなるほどに庇護欲をくすぐられる。
貴族男性の求める理想像のような彼女の仕草に、ちらりと傍の幼馴染を見やった。
――セドリック、見る目あるじゃない。
後で話のネタにでもしてやろうと胸中でほくそ笑んでいれば、小さな声が耳に届く。
「あの……」
遠慮がちに声を上げた彼女は、落ち着かない様子で視線を彷徨わせながらも、一歩こちらに踏み出した。
きっと挨拶をしようとしてくれているのだろう。
緊張が伝わってくる彼女の様子に、ふと自分のデビュタントを思い出す。
――あのときの私も、こんなふうにぎこちなかったのかしら。
ふっと頬を緩ませながら見守っていれば、彼女はこわごわと口を開いた。
「は、初めましてアリシア様。先ほどセドリック様からご紹介いただきました、フォートナー侯爵家のシャーロットです。せ、先日の誕生日で十六歳となりました」
ぎこちない挨拶を告げた彼女は、正式な礼をとろうと裾を摘まむ。
姿勢を正したまま膝を曲げようとした瞬間、緊張で脚がもつれたのだろうか。
その華奢な身体が、ぐらりと傾いだ。
「あ――」
小さな声と共に、その顔から血の気が引く。
まるで時が止まったかのようにゆっくりと倒れ込んでくる彼女の姿に、反射的に手を伸ばした。
「シャーロッ――!?」
横からセドリックの声が聞こえてきた直後、カッと眩い光が周囲を埋め尽くす。
強い閃光と同時に、突如巻き起こった強い風が周囲を包んだ。
「きゃあっ!」
「一体、何が!?」
何も見えない空間の中で、使用人たちの叫び声が響く。
窓も開けていない部屋の中で、突風が吹くなんてありえない。
――何が起こっているの!?
恐怖を抑え込むように、腕の中にいる彼女を強く抱きしめる。
硬く目を閉じ身体を縮こまらせていれば、ふと風が止んだ。
瞼の向こうの眩しさが収まったことに気付き、恐る恐る目を開く。
まるで何度も回転した直後のように定まらない視界に眉根を寄せながらも、ぱちぱちと目を瞬けば、突然目の前に影が差した。
「大丈夫か!?」
声と同時に現れた目の前の幼馴染の顔に、ぎょっと目を見開く。
「近い!」
目と鼻の先に現れた顔を片手で掴むと、思いっきり突き飛ばした。
勢いよく尻もちをついた彼は、何が起こったのか理解できていないのか、呆然とこちらを見つめている。
「まったく、王族たるもの人との距離感は適切に保ちなさい。それに、貴方が今一番に心配すべきは大切な婚約者でしょう?」
腰に手を当て、相手をキッと睨みつける。
視線の先のセドリックは、唖然としたままこちらを見上げて目を瞬いていた。
「シャーロット……?」
どこかで頭を打ったのか、こちらに向かって婚約者の名前を呼ぶ幼馴染に肩を竦める。
「それは貴方の婚約者の名前でしょう」
呆れ交じりの溜め息を吐くと、シャーロットのほうへと振り返った。
「まったく。先ほどは驚きましたね、シャーロットさ――」
そう声をかけようと相手に微笑みかけた瞬間、衝撃が走る。
「え?」
目の前に立っていたのは、誰よりも見慣れた姿。
毛先のうねった黒い髪に、吊り上がった紫色の瞳。
落ち着いた深紅のドレスを身に纏い、正に『悪女』といった様子のその姿は――。
「私……?」
呆然と声を漏らせば、こちらに向けられた紫色の瞳が戸惑いに揺れた。
「ア、アリシア様……ですか?」
向かい合う相手は確かに『私』のはずなのに、眉尻を下げて今にも泣きだしそうに瞳を潤ませている姿は別人にしか見えない。
「貴女は……?」
「わ、私、シャーロットです! 目を開けたら『私』の姿があって……どうしてこんなことに」
「それは、私も聞きたいのだけれど……」
お互いに戸惑ったまま周囲を見回した先で、窓硝子に自分の姿が映る。
目が合っているはずの『自分』は、蜂蜜を溶かしたような金色の髪に大きな緑の瞳に、ふんわりとした水色のドレスがよく似合う清楚なご令嬢――シャーロット・フォートナーその人の姿になっていた。
――一体、何が起こっているの!?
信じられない状況に呆然と立ち尽くしていれば、向かいの『私』があっと声を上げる。
「まさか――」
何かを思い出したかのように、こちらに手を伸ばした『私』は、首にかかっていた銀色の細いチェーンを引っ張り出す。
長いチェーンの先に下げられていたのは、金細工で縁取られた大きな黒曜石だった。
震える手にそれを乗せた『私』は、恐る恐るこちらを見つめる。
「こ、これ……本物だったのかもしれません」
「『本物』?」
「少し前に婚約祝いの品としていただいたんです。その……『少しの間だけ、なりたい自分になれるお守り』だと……」
突拍子もない彼女の発言に、眉を顰める。
「なりたい、自分?」
「はい。今日アリシア様とお会いできると聞いて、慌ててお守りをつけてきたんです。これがあれば、アリシア様のように堂々と挨拶できるかと思って――」
「私のように……?」
不可解な彼女の発言に、思わず首を傾げた。
侯爵家よりも家格は上とはいえ、今の社交界における私の立場は『二度も婚約破棄を受けた悪女』であり腫れものでしかない。
そんな私に対して好意すら感じられる発言をするシャーロットに、困惑せずにはいられなかった。
そもそも彼女がここに来た本来の目的は、婚約報告という勝利宣言ではなかったのだろうか。
「ええと……シャーロット様はセドリックの婚約者として、私を牽制しに来たのでは?」
私の問いかけに、彼女は吊り上がった紫色の瞳をくわっと大きく見開く。
「まさか! ありえません。どうして私がアリシア様にそんなことをしなければならないのですか!?」
ずいっとこちらを覗き込んできたその勢いに、反射的に上体を引いた。
「ええと、私が邪魔なのでは……?」
「邪魔なはずあるわけないじゃないですか! 私は――」
言葉を切った『私』は、ぐっと唇を噛むと、すうっと大きく息を吸う。
「私は――ずっとずっと前から、アリシア様に憧れていたんですから!!」
その声は、広い客間に響き渡った。
頬を上気させ感極まったように紫色の瞳を潤ませている『私』と、呆然と私たちを交互に眺めている幼馴染。
困惑と戸惑いにただただ目を瞬くばかりの私は、ゆっくりと首を傾げた。
「え?」
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