【9月30日発売】公爵様の初恋の人探しは絶対詐欺!と疑う私に公爵様は本気なようです【本体1300円+税】

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●著:千石かのん
●イラスト:御子柴リョウ
●発売元:三交社
●発行元:メディアソフト
●ISBN:978-4815543969
●発売日:2026/9/30


公爵の初恋の人探しを高みの見物するはずが、隣の変なイケメンがまさかの公爵本人で!?


春の女神に仕える治療師フレデリカは条件に合致するからと公爵アルベルトの『初恋の人』探しに強制参加させられた。詐欺を疑い人目に付かない場所で様子を窺っていた彼女だが、使用人を装っていた公爵を見破り、初恋の人に指名されてしまう。
「君が可愛くて柔らかくて小さいのがいけない」
いきなりキスしてくるアルベルトを拳で殴るフレデリカ。だが彼は動じず幸せそうに愛を囁いてきて――!?






プロローグ



「お兄ちゃんはどこが悪いの?」
神殿の敷地内にある療養院の一室で、窓際に置かれた椅子に座り、外を眺めていた少年がフレデリカの呼びかけに振り返った。
肩まであるやや青み掛かった黒髪がさらりと揺れ、春の日差しの中、大きな銀色の瞳が真っ直ぐにこちらを映す。
白い肌が不健康さを表すようにやや青ざめ、線の細さと相まってどこかはかなげで消えてしまいそうな様子に、フレデリカは少し不安を覚えた。
現在八歳の彼女は、三年前に春の女神からの祝福を受け、治療の奇跡が使えるようになった。
まだまだ子供だが大人の治療師顔負けの修行をし、最近では依頼人の病や怪我の治療を独りで担当することも多い。
なので、それなりに人が持つ生命力のようなものを感じ取れるようになってきてはいたが。
「さむいの?」
青白い肌と銀色の瞳。それが氷と雪で出来た人形のように見えて、歩み寄ったフレデリカは小さな手で彼の頬に触れ、真っ直ぐに銀の瞳を覗き込んだ。
ひんやりとした感覚が掌に広がり、フレデリカは更に不安になる。
だが温かな指先で頬を包まれた少年は、ぽかんとフレデリカを見上げるだけだ。
「それともどこか痛い?」
ぺたぺたと陶器のようにすべすべな貌を触り、どこもかしこも冷たいことに不安を覚える。
「お兄ちゃん、だいじょぶ?」
あまりに無反応なので、遠慮なく覗き込めばサクランボのような赤の唇が震えながら開いた。
「君は……温かいね」
ぎこちなく持ち上がった少年の手がそっとフレデリカの手首に触れる。細められた銀色の瞳を覗き込みながら、フレデリカは笑った。
「うん。フレディねぇ、春の女神さまのしゅくふく? があるから温かいんだよ」
得意げに宣言した後、そのままもにもにと少年の頬を揉む。
されるがままの少年が面白くて、けらけら笑いだすと無表情だった少年の目尻が下がり、ふにゃふにゃの笑い顔になっていく。
「なんで俺の頬を揉むの?」
「おにんぎょさんみたいだから。かたくてちべたい」
えへへ、と笑い返して更に揉むと、そっと少年が目を閉じた。
「お兄ちゃん、きれいだねぇ」
ゆっくりと手を離すと、頬がピンク色に染まったかんばせが露わになった。
先程の人形めいた冷たさが消え、今にも花開きそうな華やかさが漂っている。
「おねーさんみたい」
ほうっと溜息交じりに呟けば、ぱっと目を開けた少年が苦笑した。
「お兄さんね」
「きれいなお兄さんー」
再びけらけら笑いだすフレデリカに、少年は苦笑すると深く息を吐く。それに、はっとフレデリカが身を強張らせた。
「ごめんね、ぐあい悪いよね」
「え?」
療養院に来る人は皆具合が悪い人だ。少年は身体が冷たく血の気が無い。線が細く、今にも天の神の御許に召されそうなほど生気が薄いのだ。
いつまでも座ったままで話をしていてはいけないと、フレデリカは戸惑う少年の手首を掴んで立たせる。それから壁際に添えられた寝台に寝るよう指示した。
「今は寝る。食べる。いいですか?」
こちらを見上げる少年に強引に布団をかぶせ、人差し指を立てたフレデリカが念を押した。彼はクスクス笑うと、「はあい」と返事をくれた。
「君は何をしてくれるの?」
ここに会いに来た時点でなにか治療師としてやることがあったのだろう、と示唆されて、フレデリカはふむ、と腕を組んだ。
「はじめは何が悪いのか『もんしん』するんだけど……お兄ちゃんは……」
改めて彼を「見る」。
「……お兄ちゃん、ふしぎなものに好かれてるねぇ」
そう告げると、はっと彼が息を呑んだ。
「……わかるの?」
「わかるー」
「……それが俺の不調の原因?」
恐る恐る尋ねられて、フレデリカは目を細めて首を傾げた。
「……わかんない」
「……わかんないかー」
小さく笑う少年に、でもフレデリカは自信満々に答えた。
「でもだいじょぶ。フレディがちゃんと治してあげるからね」
いいこいいこ、と布団に押し込めた少年の額を撫で、それからフレデリカはぴょん、と飛び跳ねるようにベッドから離れた。
「おじいちゃんに説明してくるから、お兄ちゃんは寝ててね」
ひらひらと手を振り、フレデリカは大急ぎで部屋を出た。
それから神殿の神官長を務める祖父の元へと飛んでいき、少年の様子を語って聞かせる。
少年はやはり、なにものかの影響を受けており、その力のせいなのか身体が酷く冷たかった。そして背中に赤い痕がある……。
だが原因となりそうな「なにものかの影響」に触れることなく癒してほしいと、少年を連れてきた男性に言われ、不思議に思いながらもフレデリカは少年の身体を癒していった。
一緒に過ごしたのは恐らく半年くらいだろうか。
秋の気配が近づく頃、フレデリカは元気になった少年とお別れをした。
その別れの際に少年と何かあったのだが……今では全く覚えていない。
だが二十六歳になったフレデリカは時折思い出すことがある。
あの風変わりな、線の細い少年は今でも元気に生きているのだろうか、もしかして彼は神からの祝福を受けていたのではないだろうか、と……──。
第一章 特殊詐欺にはご用心
スキンヘッドに厳つい顔、筋骨隆々の体躯を備えたジェット・ヘリオトロープは、その外見からは想像もつかないが、バウンディア峡谷神殿の神官長だ。
春の女神を祀るそこで、三人の神官と二人の巫女をまとめ、癒しの力を備えた治療師二人のマネジメントも務める彼は、孫であるフレデリカ・ヘリオトロープにとって頼もしい祖父であると同時に厳しい存在でもある。
なにせ、「出張治療に出かけた際は三倍の報酬をぶんどってこい」と言い、それをフレデリカが八歳の時から徹底しているのだから。
「ただいま〜」
定期的に呼び出されている、もはやお得意様状態のルーエンブルク伯爵家から帰ってきたフレデリカは元気よく、神殿敷地内に立つ平屋のドアを開けた。
毛先がほんのりとピンク色に染まったクリーム色の金髪に、春の空色と同じ瞳を持った彼女は、一張羅のワインレッドのデイドレスの裾と、金糸で刺繍がされた白いショールをなびかせながら意気揚々と室内に踏み込んだ。
どっしりとした梁が天井を支える、石造りの平屋にフレデリカはジェットと二人で暮らしている。
亡くなった母の実家で、ここに越してきてもう二十年以上が経過していた。
「おう、伯爵から毟り取ってきたか?」
ちょうど午後のお勤めを終えたジェットがお茶のポットを持ったまま居間へと出てきた。厨房と一続きになったリビングと、その奥にフレデリカの部屋とジェットの部屋、客間がある。
お風呂とトイレは別にあるが、細い回廊で繋がっていた。
焼き立てカップケーキとともに現れた祖父と一緒に、ダイニングテーブルにつく。
「今日の報酬」
甘い香りに誘われて、一つ手に取りながら布の袋に収められた硬貨を祖父の方に押しやった。
「金貨五枚に銀貨二十三枚。よくやった」
市井で暮らす家族が二か月は暮らせる金額に、ジェットは満足気に頷いた。
依頼人から提示された報酬金額は金貨四枚だった。それをうまい具合に交渉して金貨一枚と銀貨二十三枚を上乗せしてゲットできたのはフレデリカの手腕である。
「伯爵家側が仲介料と称してだいぶぼったくろうとしてたから、姑息な真似をするなら考えがあるって言ってね」
普段、依頼人からの料金の三割を仲介料と称してルーエンブルク伯爵家が持っていくのだが、今回依頼人に確認を取った金額の半分を持っていこうとしていたので制裁としてこちらが八割、受け取るよう交渉したのだ。
向こうは渋い顔をしていたが、そもそもフレデリカ達ヘリオトロープ家には、隣の領地の伯爵に仕事を紹介してもらう必要はない。
他の領地と契約するだけだと淡々と説明すると、黙って八割を寄越してきたのだ。
「なんだ、勝手に自滅しただけか」
紅茶を淹れながら呆れたようにジェットが呟く。
「そうとも言うー」
もぐもぐとカップケーキを頬張っていると、祖父はふんと鼻を鳴らした。
「まあいい。金はあるところからじゃんじゃん使ってもらわんとな」
神殿と療養院の運営はほぼ寄付金に頼っている。
だが療養院にやってくる患者は貧しい者が多く、寄付と言っても農作物や反物、家具、工芸品なんかが大半だったりするのだ。
それらももちろん運営には欠かせないが、色も思想もなく、欲しいものに化けるのが金だ。
なので持っているところからありがたく頂戴するのがジェットのポリシーなのである。
「……そういや、今日治療したのはどこのお大臣だったんだ?」
お菓子は食べるのも作るのも趣味という、これまた外見を裏切る特技を持つ祖父がカップケーキにかぶりつきながら尋ねてきた。
「ん〜……グレンダル伯爵夫人かな? はじめましての方で膝が痛くて困ってるって」
手を翳し、炎症を起こしているのがわかったので即座に「修復」し、微かに曲がっていた骨も綺麗に真っ直ぐに治したのである。
「喜んで帰ってたよ」
「今後のアドバイスもちゃんとしたのか?」
「うん。なるべく運動してくださいねって」
その時のことを思いだし、フレデリカが鼻を鳴らす。
「その時のルーエンブルク伯爵ったらさぁ」
馬車に乗って帰ろうとする夫人にそうアドバイスした時、見送りに出ていた仲介役の伯爵が微かに眉間にしわを寄せたのを思い出したのだ。
後ろにきっちりと撫でつけた薄い金色の髪と冷酷そうな細面。
昔はイケメンだったと思わせる顔つきだが、今は肌は色白く突き出た頬骨と細い顎が神経質そうな性格を物語っていた。
「健康になってしまったら金がとれないじゃないか、って不満がありありと出てたよ」
手に付いたカップケーキのくずを払い落とし、紅茶をあおって立ち上がる。そのまま厨房の水桶で食器を洗いながら、フレデリカは苦い思いを噛み締めた。
「患者さんを人として見てないの、丸わかり」
吐き捨てるように言えば、同じようにカップを持って隣にきたジェットが幾分和らいだ声で言う。
「そうだな。我々も金払いがいい相手からは集金してるが……また来てほしくて中途半端な真似をすることは死んでもやらないものな」
そんなのは治療師とは呼べない。
「……お前は伯爵とは違うよ」
優しい声がそう言い切り、力いっぱい握り締めていたヘチマのスポンジを取り上げられた。
顔を上げると、祖父の澄んだ青色の瞳が間近にあり、フレデリカは詰めていた息を吐き出した。
「うん」
そう。自分はあの伯爵とは違う。病を得たフレデリカの母を、使いものにならないからとあっさり「ルーエンブルク伯爵」とは違う。
ちらりと隣の祖父を見上げる。鼻歌混じりに食器を洗い始めるジェットが「正しい感覚」の持ち主で本当によかった。
(伯爵と同じ血が流れているというだけで嫌なのに……四分の一はおじいちゃんと同じだからと納得できている)
だから自分は間違えない。絶対に、伯爵のようにはならない。
生物学上の父である伯爵に対して抱いているのは恨みや憎しみではない。そういった感情はジェットのお陰で持たずに済み、単なる金払いの良い「依頼人」で収まっている。
今後もそれでいい。伯爵を父と呼ぶ日なんて、天が裂けても来ないだろう。
「おお、そうだそうだ、フレデリカ。お前に縁談が来てたぞ」
心の底にわだかまりそうだったもやもやした思いを払拭し、自分はヘリオトロープの娘だ、と再度認識を改めていたところにトンデモナイ爆弾を落とされて、フレデリカは目を見張った。
「はあ!?」
やや大きめの声が漏れる。
口を開けたまま固まるフレデリカを他所に、食器を拭き上げたジェットが大股で居間へと戻り、壁際の食器棚の引き出しから一通の手紙を取り出した。
「これだ」
「既に封が切られてるじゃないの」
やや呆れてそう返せば、ジェットは誇らしげに宛名を示してみせた。
「宛名はわしになっておる」
「……じゃあおじいちゃん宛ての縁談じゃない」
「んなわけあるか。つべこべ言わずに中を見ろ」
半眼で祖父を眺めながら、フレデリカは立派な拵えの封筒から真っ白で繊細な紙を引き出した。

ジェット・ヘリオトロープ様
この度ミストヘイズ公爵、アルベルト・マーキス閣下の花嫁を選ぶべく、閣下の『初恋の人』探しを実施いたします。
つきましては、ジェット殿の血縁であらせられるフレデリカ嬢が下記の条件に該当いたしますので、是非とも王都にあるミストヘイズ邸までいらしていただけますと幸いです。

【初恋の人の条件】 癒しの奇跡が使える、または医療の知識がある治療師──

そこまで読んでフレデリカは呆れた顔でジェットを見上げた。
「これって、春の女神に仕える神殿の巫女なら誰でも当てはまるじゃないの」
なんなんだこれは。巫女を集めてどうする気だ。初恋の人って胡散臭くないか?
早くも眉間にしわを寄せるフレデリカに、ジェットは自信満々に胸を張った。
「そうでもないぞ。ミストヘイズ公爵は現在二十八歳。その彼が初恋だというから幼少期か少年期の相手だろう」
その時期に知り合った現役治療師となると……。
「え? めっちゃ年上じゃないの?」
思わずのけ反るフレデリカに、「話を最後まで聞け」とジェットが目をギラギラさせた。
「公爵閣下が求めているのは三十代までの女性だ。ということは、仮に十歳の頃に出会った相手に恋をしたとして……十八年前。その頃、十二歳くらいで治療師として名を上げていたものは少ない」
「……そうかなぁ」
確かにその頃、フレデリカは既に治療師として療養院で働いていたがバウンディア峡谷神殿は、その名の通り峡谷の入り口にあるため、僻地の部類として数えられ、巫女もそんなにいなかった。
一方、王都付近の春の女神の神殿には若い巫女や神官が大勢いると聞く。
治療の奇跡が使える者がどれくらいいるかはわからないが、片田舎の神殿でも、フレデリカが治療の奇跡を使えるのだからきっと大勢いるだろう。
というか、そもそもの問題として、ミストヘイズ公爵と自分に幼い頃接点があるのだろうか。
ふと、可愛らしい黒髪おかっぱ頭の、色白だった少年を思い出す。
知らず、彼女の手が首から下がっている「お守り」に触れた。
ブラウスの下、飾りひもの付いた紺色の袋の中には不思議な色合いの宝石が嵌った指輪があった。
いつから下げているのか覚えていないが、多分、母から貰った物だろう。そしてこの「お守り」とセットで思い出すのが──……黒髪おかっぱ頭の少年なのだ。
「……ちなみに、そのミストヘイズ公爵様の外見の特徴はわかる?」
彼なのだろうかと考え込みながら尋ねると、ジェットはいそいそと身を乗り出した。
「ミストヘイズの領地は東の国境沿い、『霧の森』から溢れる魔物の討伐を任されている武門の一族だ。その当主たる公爵閣下は、血気盛んな領地の騎士や拳闘家を束ねるに相応しい容貌だと聞く」
「……なるほど、筋骨隆々な……おじいちゃんみたいな容姿ってことね」
胡乱気な眼差しでジェットを見る。
「筋肉は裏切らないからな」
詰襟で袖と裾の長い黒衣の下には、割れた腹筋が潜んでいる。
「だが、公爵はお前が想像するようなマッチョではないぞ。細マッチョだ」
「………………へぇ」
割とどうでもいい内容で、やる気のない返事が漏れた。
ジェットはまだ何か話しているが、フレデリカは半分以上聞き流した……というか。
「おじいちゃん、なんでそんなに詳しいのよ」
いつの間にか筋トレの話になっているジェットに無理やり尋ねると。
「同じマッチョだからな!」
聞かなきゃよかった。
そうだ、お前も一緒に腹筋するか? と目を輝かせて訊いてくる祖父を適当にあしらい、フレデリカは手紙をダイニングテーブルに置くとさっさと自室へと戻る。
祖父の趣味が筋トレなように、フレデリカにも趣味がある。
今日はもう自分の仕事は終わったので、これからは趣味の時間だ。
祖父を完全に無視して部屋へと足を踏み入れたフレデリカは、すぐに縁談のことも、ミストヘイズ公爵のことも、そしてあの線が細く儚げな印象だった少年のこともすっかり忘れてしまうのであった。


公爵家からの手紙が届いてから二週間後。
まだ夜も明けぬ暗い中、たたき起こされたフレデリカは眠い目をしたまま、鞄を手渡す祖父を恨めし気に見上げた。
「ねえおじいちゃん……私、寝たのついさっき──」
「公爵閣下が馬車を用意してくださったのだ。断ることなんぞできん」
ふんす、と鼻息荒く訴えるジェットに、フレデリカは遠い目をする。
問題の手紙が届いてから今日まで、公爵家の「初恋の人探し」に関する話題は、ヘリオトロープ家では出なかった。
なので結局フレデリカは該当ではない、とジェットが考えていると納得していたのに。
「おじいちゃん……絶対詐欺だって」
これはもう、フレデリカの本心だった。
「だって、王都には春の女神の神殿が大きいもので三つもあって、合わせて何百人もの巫女が仕えているっていうよ? 候補者はその中の誰かだって」
なんで辺境の神殿の、更には巫女でもない治療師が初恋の人なのか。
「きっと処女を集めて売り飛ばすんだよ。王都は危険だよ。孫がそんな目にあっていいの?」
「馬鹿を言うな。逆に詐欺だとしてなんでこんな辺境の巫女でもない治療師をわざわざ迎えにくるんだ? それもこんな夜明け前に」
「それは」
おじいちゃんがお年寄りだからだ。
だがそれを言うとジェットは怒る。確かに同年代よりは元気で頭もしっかりしているが、王都や領地の流行には疎いし知識が古いことも多い。
バウンディアの街で出会う若者や奥様達、治療に来る人たちからフレデリカ達は情報収集をする。
お買い得商品から最新の流行ファッション。そして巷で蔓延する犯罪行為。
王都で流行っているものの情報も、ちょっとは遅いが手に入る。
だがジェットがそういった話題に触れる機会があるかといえば……ほぼない。
「あのね、おじいちゃん。今王都では家を出た息子を騙る手紙で、自分の困窮している状況を書いて心配した親御さんが指定の場所にお金を送っちゃう詐欺が流行ってるのよ」
がし、とジェットの逞しい肩を掴んで訴える。
「おじいちゃん、これはその部類に該当しない?」
くわっと目を見開き、力いっぱい訴える。必死な形相で祖父を見上げれば、彼はすっと眼光鋭い眼差しを細くすると、唇の片側を引き上げた。
「仮にそうだとしても、だ。わしの孫のお前なら詐欺集団から金を毟り取ってこれるだろ」
「ええぇ……」
げんなりするフレデリカの背中を押して、ジェットは家の外へと導く。
確かにそこに、小さなランタンを御者席にぶら下げた、紺色の馬車が一台止まっていた。
「ミス・ヘリオトロープ! お迎えに上がりましたッ」
お仕着せ姿の御者が一歩前に出て勢いよくお辞儀をした。だがその仕草は使用人というよりも騎士のような、武の者を思わせるものでフレデリカは思わずのけ反ってしまった。
「きんにく……」
上着の前ボタンが今にも弾け飛びそうなのが暗がりでもよくわかる。振り返るとジェットが何故か感心したようにうんうん頷いていた。
「さあ、どうぞ。ミスター・ヘリオトロープ、責任を持ってお嬢様を我がミストヘイズ邸までお送りいたしますゆえ」
びしっと背筋を伸ばし、はきはき告げる御者に「よろしく頼みます」とこれまた武の者のようなお辞儀をし、ジェットはフレデリカににやりと笑って見せた。
これが詐欺だと思うか? と言外に問われているようで、フレデリカは肩を竦めて首を振ると覚悟を決めて馬車へと乗り込む。
(もしこれが詐欺でも……そうね、詐欺師の拠点がわかったことになるから、ここを王都警察に売れば案外報奨金が貰えるかもしれない)
転んでもただで起きるつもりはない。
よっしゃ、と気合を入れ直して椅子に腰を下ろし、フレデリカは衝撃を受けた。
(ざ、座面がふかふか!?)
伯爵家に呼ばれて向かう際、寄越される馬車は一頭立て二輪馬車でいわゆる「辻馬車」という市街地を大急ぎで走る馬車だった。
混雑を避けるために軽量化されたそれは客車に二人も乗ればぎゅうぎゅうで、なおかつ椅子はただの木製で硬い。
伯爵家にも立派な紋章付きの二頭立て四輪馬車があったりするが、平民となり下がったフレデリカの迎えには、使い古された辻馬車しか来ない。
フレデリカもそれを疑問視しておらず、なんなら早いだけで乗り心地の悪いその中でも爆睡できるくらいには神経が図太い。
そのため、公爵家から寄越された二頭立て四輪馬車におののいてしまう。
「少し急ぎますが不具合があったらすぐにお申し付けください」
にかっと白い歯を煌めかせて告げる御者が、扉を閉める前に客車の中にランプを吊るしてくれた。ごくごく小さなそれでも室内を照らすには十分で、金と緑で装飾された豪華な内部をフレデリカはまじまじと眺めた。
(手の込んだ詐欺だなぁ)
詐欺である、という認識は外せない。ここまでして治療師を集めて何をする気なのだろうか。
静かに走り出した馬車の中、フレデリカは到着までじっくりと今回の申し出の本意を考えようと沈思黙考する。
だがそれも五分が限界で、一頭立て二輪馬車でも爆睡できるフレデリカが、ふかふかな椅子と乗り心地の良い二頭立て四輪馬車に抗えるはずもなく。
また夜明け前ということも手伝ってあっという間に眠りの淵を転がり落ちていくのであった。

        ◆◇◆

王国東の外れ。隣国との国境に近いミストヘイズ公爵領は、冬の女神に愛された土地として王都でも有名だった。
広大な領地には大森林が広がり、その奥にある「白橡の湖」は、伸ばした自身の手の指が見えないほどの濃い霧が立ち込め、更には魔物が生息する地として恐れられていた。
そのため、当主の公爵は代々、溢れ出る魔物討伐に日々を費やし、魔湖である「白橡の湖」の浄化に尽力していた。だが奮闘虚しく、ついに魔湖に竜が棲み付きだした。
現当主、アルベルト・マーキスも五歳から騎士として鍛錬を始め、九歳の時には従騎士となり立派な戦力となっていた。
だがそれがいけなかった。
子供ながら戦場に立ち、次期当主として領地の騎士たちから期待を掛けられていたアルベルトは当時とても綺麗でたおやかな容姿を持っていた。
肩まである艶やかな黒髪に、銀色の大きな瞳は澄んでいて、領民が崇める冬の女神のよう。
肌も雪のように真っ白で、美少年の片鱗を見せる彼に目を付けたのは……何を隠そう当の「冬の女神」自身だったのだ。
ある日、討伐作戦中のミストヘイズ騎士団本隊が、濃い霧の中で立ち往生する事態が発生した。その時、後続部隊との連携をとるため、伝令に選ばれたのがアルベルトだった。
自分にとってほぼ庭のような大森林は、視界不良でも大体の位置がわかる。
そのため、難なく後続部隊と合流して本隊へと引き返せたのだが……問題はそこからだった。
(おかしい……)
何度も目的の方向へと歩くのだが、その度に同じ場所に戻ってくる。自分がつけた目印が何度も目に入るのだから間違いない。
こういう時、魔物が張り巡らせた罠に足を突っ込んでいると知っていたアルベルトは、この空間を閉じているであろう魔術媒介を探し出し、たたき割る決心をした。
注意深く周囲の様子と気配に気をつけて再度歩き続けていると、やたらと不自然にねじ曲がった樹を発見した。
おそらくそれがこの地の空間を歪めている存在だろう。
アルベルトは腹に力を込めると、その樹を一刀のもとに切り倒した。途端、周囲を覆っていた霧が晴れ、冬枯れた木立の合間に真っ白な衣を身にまとった、銀の髪の女性を見つけた。
瞬かない星のような、凍った冷たさを誇る銀の眼差しがじっとアルベルトを見ている。
雪のように青白い肌を持ち、何より、長い銀色の髪が特徴的な女性は……一目見ただけで人ではないとわかった。
反射的に逃げようとするが、魔物よりもずっと高位の存在に魅入られていては動けない。
そうこうするうちに、アルベルトは冬の女神から「祝福」を授けられたのである。

この力は偉大で、アルベルトが振るう剣には常に「氷の魔法」が付与され、更には巨大な氷の壁を作り出して領地への魔物の侵入を抑えることができるようになった。
だがその代償は「冬の女神に気に入られ続ける」ことで、しばらくアルベルトは美少年風の装いを余儀なくされていた。
だがそれらの防御をもってしても敵わない魔物が、ミストヘイズ騎士団の前に立ちふさがった。
歴戦の猛者が次々と倒れ、父公爵も負傷して退去せざるを得なかった。
主を護りつつ後退する騎士たちと、その支援を担う従騎士たち。
残され、緊張して青ざめるアルベルトたち若い騎士の目の前に現れたのは、周囲の枯れた木々を踏み倒し、鱗を青紫に輝かせ、口元に眩い夕日の金を思わせる火花を漂わせた、巨大な竜だった。
(──紫竜……)
雷や稲妻の素とされるその竜を前に、アルベルトは震える。
ベテラン騎士が倒れたのは感電によるものだと気付いたが、対処できるかといえば違う。
それでもアルベルトは従騎士たちを「自領の今後を担う存在」として重要視していたので、彼らを護るべく剣を抜いた。
氷で雷を止めることができるか、など今まで考えたこともなかったが紫竜が雷撃を行うより先に氷漬けにしてしまえば問題ないだろう。
震える従騎士たちに退避を叫びながら、アルベルトは紫竜が電撃を放つ瞬間を見極めた。
閉じた口の端がバチバチと火花を散らす。
 転瞬、網目状の雷撃が空気を走り、アルベルトは咄嗟に地に伏せた。
雷は通りやすい部分を目掛けて走っていく。
背の高い木々を通過し、何人かが倒れる中、がばりと身を起こしたアルベルトは真っ直ぐに紫竜に向かって走った。
奴の巨大な眼差しが自身を捕えるより前に、アルベルトは剣を振るって大地に氷を走らせると足元から一気に凍り付かせようとした。
だが彼が持つ魔力は巨大な竜を凍り付かせるには足りず、喉元辺りで視界が真っ暗になった。
(駄目だ……!)
バキバキと破砕音がし、大地に倒れ込んだアルベルトの身体を衝撃が走り──……。
次に目が覚めたのは、真っ白な天井と壁、そしてのどかな日差しが差し込む病室だったのである。

        ◆◇◆

春の女神の神殿で治療師の少女と共に過ごした日々は、十八年経った今でもアルベルトの心の中に明るい日差しのように居座っていた。
可愛い少女で、アルベルトのことを「おにいちゃん」と呼んでちょこちょこ後ろをついてきた。
本人曰く、「おにいちゃんはまだ体調がよくないので、フレディがみまもるの」ということだったが、彼女の治療の奇跡のお陰で、体力回復のための外遊び中に具合が悪くなることはなかった。
従騎士として鍛えていたし、少女よりも体力がある方だと思うのだが、彼女は常に、どういうわけか元気いっぱい、エネルギー満タンな存在だった。
理由はただ一つ。彼女の祖父がムキムキのマッチョだったからだ。
(筋トレが趣味だったな……フレディは)
王都へと向かう馬車のなかで、アルベルトは外を眺めながら小さく笑う。
八歳の少女は従騎士のアルベルトと同等の身体能力を発揮し、木に登り川を難なく渡り、岩を飛び越え……非常に身体能力が高かった。
故に遊ぶのがとても楽しかったのだ。それと同時にアルベルトの容姿を少女は酷く心配していた。
青白い肌に線の細い体格はフレディにとっては「脆弱」な部類に入っていたのだろう。
比べる対象がマッチョ神官では仕方ない部分もあるが、彼女が心配そうに何回もアルベルトを振り返るのを見て一念発起した。
自分に足りないのはそう……筋肉だ。
フレディとの再会を誓って、領地へと戻ったその日から、アルベルトは美少年な外見をかなぐり捨てる決意をする。
冬の女神を祀る神殿からはクレームの嵐だったが、当の女神からの制裁は特になく、アルベルトは歳を重ねるごとに男性らしい外見へと変貌を遂げていった。
ただムキムキマッチョになることだけはやめてくれと両親……とりわけ母親から頼まれ、不承不承、腹筋が六個に割れる程度で留めるようにしている。
ただそれでも美少年からの変貌はすさまじく、先代公爵夫人は、周囲が狂犬と呼ぶくらい、やんちゃな若者へと様変わりした息子に力いっぱい嘆いていた。
「今の俺を見て、フレディはどう思うかな」
馬車の中で長い脚を組んで座るアルベルトは、どこかうっとりした様子で窓の外に目を細める。
おかっぱだった黒髪は、サイドを短く刈り上げたツーブロックで、やや長めの前髪を後ろに流しているため、一見爽やかでありながらもワイルドさが見える。
体型は細マッチョで、領地では魔物相手に日々暴れ回るため、騎士というよりは傭兵のような粗野な雰囲気が溢れている。
そう、全体的に街のちょっとやんちゃなお兄さんっぽいのだ。
だが紛れもなく公爵閣下で、その強さはぴか一。社交界には魔物討伐で忙しく顔を出していないが、顔立ちが端正なこともあり令嬢たちの間でちょっとした話題になっていた。
というのも、公爵という地位にいながら未婚で若い人物はそういない。
しかも容姿端麗との噂があれば、お近づきになろうと画策する令嬢や婦人は多くなる。
だがアルベルトはただ一人、幼少期に出会った初恋の『フレディ』こそが自分の伴侶であると決意していた。
そのため、怪我を治して領地に戻ってから幾度となくフレディの元へと手紙を送った。
だがそのどれもが、「宛先不明」で返送されてきたのだ。
まだ十代だったアルベルトは理由がわからず、自分が搬送された神殿の名称や場所を父公爵に何度も確認した。
場所はあっている。だが手紙はそのまま返ってくる。
何故だと両親に詰め寄れば、二人は顔を見合わせて苦々しく切り出したのだ。
手紙が届かないことが、全ての理由だと。
「ふざけんなって話だよなぁ」
気付けば凶悪な顔で低く呟いていて、正面に座る副官に呆れたような声でたしなめられていた。
「閣下、先代公爵夫妻も閣下の純粋なお心がお相手に届くよう、全力を尽くされていました。だが相手は国家の法や権力の及ばない神殿です」
アルベルトのお目付け役でもあり、引退した先代公爵の側近でもあったヴァイスに窘められ、思わず舌打ちしてしまう。
五十歳を超えてもなお、逞しい体躯とロマンスグレーと呼んでもいい髪、上品な髭を持つ彼は、穏やかな口調で話すがその実、魔物を前にした際には苛烈な行動に出る人物でもあった。
ようは怒ると怖いのだ。
「知ってるけどさぁ。神殿側が俺とフレディが接点を持つことを嫌ったってことだろ?」
それは何故なのか。
「……金の卵を産むガチョウを手放す馬鹿はいないということでしょうか」
淡々と答えるヴァイスに、はん、と小さく鼻で笑う。
「神殿がネックだったわけじゃあなさそうだけどな」
あの筋骨隆々マッチョマンな神官が、孫娘が金になりそうだからと外界との接点を全てシャットアウトするとは思えない。というか、彼は幼かったアルベルトにとても親切だったのだ。
効果的な筋トレと鶏ハムの作り方を教えてくれたし。
「ま、だからこそ、排除すべきがどこなのかわかった」
にんまりと、ニワトリを前にした狼のような好戦的な笑みを浮かべてアルベルトが言う。
「あれから十八年が過ぎた。俺だって効果的な方法くらい考え出せる」
得意げに顎を上げたところで、呆れかえった溜息をヴァイスから貰った。
「初恋の人探し、なんて……閣下以外には思いつかないでしょうねぇ」
過分に嫌味が混じっているが、本人は気付かないし気にしない。
「そう褒めるな」
「……褒め言葉に聞こえましたか」
「とにかく、我が家の家令から『ジェット・ヘリオトロープ氏』宛てに出した手紙は返送されてはこなかった」
つまりは初めてあの神殿に、アルベルトからの手紙が届いたということだ。
ボロボロの封筒に誤字だらけの住所氏名。滲んだインクの手紙を手にした者は、「療養院への救済依頼だろう」と考えたはずだ。
その中には立派な拵えの、家紋が押された本物の手紙が入っていることなど気付かずに。
あのころと比べてずいぶんと監視体制が甘くなったとそう思う。
十八年で「フレディ」との関係が変わったということだろうか。
「加えて念には念を入れヘリオトロープ嬢以外の令嬢や金持ちの娘なんかも一応募ったと」
「万が一、俺とフレディの間を隔ててた連中に疑いを持たれても困るからな」
招待状を送ったのはフレディただ一人。あとは協力者を介して新聞や王都の舞踏会等で事前に噂を流した。ミストヘイズ公爵がいよいよ花嫁探しに本腰を入れ出した、と。
「フレデリカ様お一人お呼びになるだけでよかったかと思いますがね」
呆れかえるヴァイスの一言に、かっと目を見開いたアルベルトが堂々と宣う。
「そんなの恥ずかしいじゃないか!」
「…………童貞の考えることはよくわかりませんね」
半眼で呟く失礼過ぎるヴァイスを、しかしアルベルトは咎めない。
「純愛と呼んでくれ。俺の全て……全部をフレディに捧げると決めたんだ」
目を閉じ、うっとりと呟くアルベルトの脳内ではめくるめくあんなことやこんなことが繰り広げられている。
ただ相手がどんな容姿に育ったのか見当もつかないので、思い描くのは理想の女性なのだが。
「……よくいえば純愛なのでしょうが……変態チックでもありますね」
遠い眼差しで呟くヴァイスから、アルベルトは以前夜伽の話を持ち込まれたことがあった。
彼曰く、アルベルトの愛が重すぎて受け取る側のフレディに多大なる負担をかけることになってしまうから、多少は経験を積んで欲望と愛をコントロールできるようになれと言われたのだ。
だがその提案にアルベルトは頷かなかった。
自分の「初めて」はフレディに捧げる。未熟な所為で彼女の身体に負担を掛けるのだと言われれば、「指南書を寄越せ」と堂々と要求した。
一応、娼館に金を払って見られても平気な連中の様子を見学させてもらったし。多分、大丈夫だ。
「彼女は俺を見分けてくれるだろうか」
馬車の窓に凭れかかりながら、憂える表情で悩ましげにつぶやく。
その姿はやんちゃな外見と相まって何とも言えない、凄絶な色気を醸し出している。だが悲しいかな同乗するのは五十を過ぎたおっさんで。
「拗らせた性癖のせいで逃げられないようにせいぜい気を付けるんですね」
「逃がすわけないだろ」
真顔で答えるアルベルトに、自分を死ぬ瀬戸際まで追いやった紫竜討伐を未だに諦めず、日々鍛錬と作戦立案を怠らない執念深さを垣間見て、ヴァイスは呆れたように口を閉ざした。
そんな二人を乗せた馬車は、やがてミストヘイズ公爵家の王都にある別邸へと滑り込んで行った。




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